世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

痴呆症の母との愉快な会話!

2008年07月15日 | Weblog

“微笑みの天使”とは言い得て妙である。何も韓国俳優の代名詞のみ

ではない。我が愛する母の代名詞だ! 過去の更に過去の話になると、それこ

そ生き生きとリアルに語る。それを知ってからは私も気が楽になった。現在の

直近の 事は数秒後に、すっかり忘れているが 遥かなる遠い過去の追億は鮮

明であり正確である。・・・1週間に数回、訪れる母の居る施設では 従来は 悲

愴感が漂い 健常時の頃 を 懐かしみ 今の母の姿 と対比しながら語らう事の

鬱陶(うっとう)しさに心を痛めた。だが、今は違う。母が幼少の頃の話になると

正確無比の年月年代は言うに及ばず事の詳細、細部に至るまで鮮やかに捻

(ひね)り出す。お見事という他はない。 最近は訪問が楽しみになった。あの生

生きした母の語り口が聴けるからだ。痴呆症の<要3>だが対話は健常時

変わらない。偶(たま)に会う親戚・知人は 何だ!普通の人と変わらない話

ぶりではないか、と怪訝(けげん)そうに聴き入る。

暫くして会話が弾んでいるうちに、やっぱり痴呆症か、と気づく。まともな話題の

節々に妙な、ちぐはぐな会話が入り込み持ちきりになるからだ。やっぱり、と頷

いて傾聴?する。しばらく会話が弾んでから終幕となるのが最近のパターン

だ。それから私を労い帰途につく。それが親戚、知人・友人の何時もの訪問手

法である。私は“御苦労さまでした”、と労をねぎらってから見送る。

・・・私と母との現在の態様は最近の、現在の話題は差し控えて、過去の又そ

の過去の話題に意図的に持っていく。すると、止まることを知らずに話題は展

開する。私の意図どおりだ。母の話に耳を傾けながら盛んに頷くことが私の、こ

の頃の遣り方だ。あの母の喜ぶ、“微笑み”は正に“天使級”である。何時、終

わるとも知れない話題は 昨今の母の<生き甲斐?!>になっている。「母孝

行」のつもりで永遠!? に続けていこうと、この頃、思っている。・・・