“微笑みの天使”とは言い得て妙である。何も韓国俳優の代名詞のみ
ではない。我が愛する母の代名詞だ! 過去の更に過去の話になると、それこ
そ生き生きとリアルに語る。それを知ってからは私も気が楽になった。現在の
直近の 事は数秒後に、すっかり忘れているが 遥かなる遠い過去の追億は鮮
明であり正確である。・・・1週間に数回、訪れる母の居る施設では 従来は 悲
愴感が漂い 健常時の頃 を 懐かしみ 今の母の姿 と対比しながら語らう事の
鬱陶(うっとう)しさに心を痛めた。だが、今は違う。母が幼少の頃の話になると
正確無比の年月年代は言うに及ばず事の詳細、細部に至るまで鮮やかに捻
(ひね)り出す。お見事という他はない。 最近は訪問が楽しみになった。あの生
き生きした母の語り口が聴けるからだ。痴呆症の<要3>だが対話は健常時
と変わらない。偶(たま)に会う親戚・知人は 何だ!普通の人と変わらない話
しぶりではないか、と怪訝(けげん)そうに聴き入る。
暫くして会話が弾んでいるうちに、やっぱり痴呆症か、と気づく。まともな話題の
節々に妙な、ちぐはぐな会話が入り込み持ちきりになるからだ。やっぱり、と頷
いて傾聴?する。しばらく会話が弾んでから終幕となるのが最近のパターン
だ。それから私を労い帰途につく。それが親戚、知人・友人の何時もの訪問手
法である。私は“御苦労さまでした”、と労をねぎらってから見送る。
・・・私と母との現在の態様は最近の、現在の話題は差し控えて、過去の又そ
の過去の話題に意図的に持っていく。すると、止まることを知らずに話題は展
開する。私の意図どおりだ。母の話に耳を傾けながら盛んに頷くことが私の、こ
の頃の遣り方だ。あの母の喜ぶ、“微笑み”は正に“天使級”である。何時、終
わるとも知れない話題は 昨今の母の<生き甲斐?!>になっている。「母孝
行」のつもりで永遠!? に続けていこうと、この頃、思っている。・・・
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