あれは痛ましい戦後初の小学校生の犠牲者だった。記憶を辿ると薄っす
らと蘇ってくる。児童11人を含む17人が犠牲になった。米軍への憎悪が全県
を襲った。反米感情が露骨に現れ日増しに増幅したのを覚えている。先だって
宮森小学校卒業生が当時の事故を風化させてはいけないと新聞に記事を掲載
した。記憶は定かではないが大人たちが深刻な面持ちで話し合っていた様子を
思い出す。あれから、もう49年の歳月が経ったのかと感慨ひとしおである。沖
縄県旧石川市宮森小学校に米軍ジェット機が墜落したのは1959年6月30日
の午前10時頃である。児童が給食のミルクを飲もうとしていた矢先に発生し
た。当時の小学校2年生だった現校長 平良嘉男氏は「今でも世界では戦争で
多くの人が亡くなっている。戦争のない、平和をつくる人になってほしい」と強く
訴えた。宮森小学校では今日、全校児童が御霊を祀った碑「仲よし地蔵」の前
で花と千羽鶴を捧げて平和への誓いを新たにした。当時、犠牲になった児童の
親(80歳)は「二度とあの様な悲劇が起こらない様に平和な世の中をつくって
ほしい」と呼び掛けた。沖縄では今でも戦争の記憶は鮮明であり鮮烈である。
体験者が少なっていく現実に危機感を持っている。語り継ぐ“語り部”の育成が
課題となっている。でも戦後世代の若者が徐々にではあるが育ってきているの
は頼もしい。体験者も必死になって語り継ぐ意義を後代に託し懸命に伝えてい
る。何時の世も権力者の恣意で犠牲になるのは庶民である。是は是、非は非
として憚ること事なく結集して当たることを旨とすべきである。平和はこの日本
こそ国是としているので世界の先頭に立って推進すべきでさる。今日の沖縄、
宮森小学校のあの忌まわしい事件をきっかけに更なる平和への誓いを新たに
したい。・・・