往年の大スターの甘美な歌声が静かに流れる。水を打った様に静寂の一
時が過ぎ去る。歌い終えた数秒後、ステージが、満員の観客席が、怒涛の如く
大歓声で爆発しそうに振るえる。振動が、しばし止まらない。余韻が数十秒 続
く。第一波、第二波・・・と押し寄せる波の如く連続波は続く。さすが一世を風靡
した銀幕の大スターだ! あの歌う時の仕草は健在だった。純白のハンカチで
耳元を覆い透きとおる歌声で“街のサンドイッチマン”を熱唱する・・・鶴田浩二
である。既に故人となったがステージでは未だ健在だ。昨日のNHK火曜特
番?での、テレビ放映の一コマだ。懐かしい一幕に往年のフアンは痺(しびれ)
たであろう。テレビに食い入る様に観(魅)入ったに違いない。歓声が画面を突
き破る様に茶の間に木霊(こだま)した。それもそうだろう。当世風では比肩す
べき方々の居ない平均的な役者のご時世である。大人風の貫録 十分な役者
は昨今、見当たらない。さすが大物スターだ。久々にテレビでの映像だが堪能
した。そこに居る、在る、だけで存在価値がある。・・・あの三浦光一も当年80
歳であるが歳を感じさせない歌いっぷりは全盛時を凌ぐ貫録である。久々に
「落葉しぐれ」に聴き入った。“東京の人”も三浦光一の持ち歌だ。80歳と言わ
ず90歳・・・と年期を重ねても歌い続けてほしいと思った。懐かしさに震えて、し
ばし沈黙が続いた。・・・低音の魅力で一世を風靡した フランク永井 もテレビで
は健在だった。「有楽町で逢いましょう」、「東京ナイトクラブ」はよく口遊(ずさ)
んだものだ。青壮年の頃が回帰された。“歌は世につれ世は歌につれ”とは良
く言ったものだ。歌は心を癒し、しばし日常の生活から遊離して非日常の世界
に誘ってくれる。だからこそ日常に還ると又、仕事に励む事も出来るのだ。“歌
こそ我が命”とその全情熱を全力投球した歌手も居る。その意気込みにファン
も心を癒され又、業務に励む事も出来るのだ。<歌こそ我が命>と往年の歌
手に賛同し昨日の余韻を残したまま感動の幕を閉じる事にする。・・・