日常の生活の場面でも人生の岐路に立つ場面でも、あれか、これかと迷
う場面に遭遇する時がある。そういう二者択一の時は迷わず「明」の方、明る
い方を採った方がよい。映画好きの人は悲劇のヒロインに自分を重ね合わせ
二人三脚で演じきる。時たまのカタルシスだったらよいが常連になり共鳴が日
常化すると負の連鎖で日常生活を破壊する羽目に陥る。心したいものである。
何時か幸せがやって来る、と信じコツコツ励むのもいいが、その何時か、は永
久にやって来ない確率が高い。では、どうするか?・・・心のギアをチェンジすれ
ばよい。“シンプル イズ ベスト”で『今が幸せ。今が幸福』、と思い込む以外
にない。今を充実して生きる事に外ならない。今の瞬間、瞬間を精一杯、生き
きる事、である。思い出すのは、かのカールブッセの「山の彼方の空遠く、幸い
住むと人のいう、ああ、我ひとととめゆきて・・・」云十年前の青春時代を謳歌し
た時の讃歌である。・・・社会事象や世相、事件事故の是非を判断するにして
も、政策、思想信条を判断するにしても、完璧を求める事は不可能である。よ
り近い、より考え方が近い方を選択しているのが実情ではなかろうか。二者択
一で一方を選択しても、完璧は求めないのが普通である。卑近な例ではポピュ
リズムに乗っかり小泉旋風に煽られ組した人でも民主党に鞍替えした選挙民も
多い。市場原理の負の露呈を実感し格差拡大に呻きんしているからである。白
黒をつけるのが勇ましいスタンスだが、<曖昧模糊>としているのが世の中の
実態、実情ではなかろうか。極めて「あいまいさ」こそが中立的スタンスである。
一党一派に偏しない、特定の思想にのめり込まない普通の生き方を求めるの
が、よりベターな生き方なのではなかろうか。そういう点も勘案して日常に戻
り、明暗がハッキリしている悲劇のヒロインを演じ共鳴するよりも「明」の方、明
るさを演出する方が健全な精神活動にはよい。そして『今が幸せ』と思い込む
事である。信じきる事である。・・・