世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

武士の情けの顕現 熊谷直実の武士から僧への念仏行脚!

2007年03月25日 | Weblog

「仁」は儒教の根幹をなす孟子の思想のひとつである。孟子、曰く

「不仁にして国を得る者は、之有り、不仁にして天下を得る者は、

未だ之有らざるなり」と・・・。「仁」は平たく言えば<あわれみ>とか

<おもいやり>の心情だ。「武士の情け」の顕現といってもいい。

戦国武将は「仁」なくして戦いに勝つことは出来ても「仁」を持たず

しては天下を執ることは出来ない、と言っている。「武士の情け」を

もう少し紐解いてみよう。それは「武士が自分よりも弱い者に与え

る恩恵であり、転じて、強い者が弱い者に施す恩恵の例え」を意味

する。即ち、たとえ経済的に裕福でなくても鷹揚な精神で立場の弱

い者に対する寛大な心を示すことである。新渡戸稲造氏の「武士

道」を援用すると、日本古来の情緒的、叙情的な趣のある言葉であ

る。例を熊谷直実(くまがいなおざね)<武蔵熊谷郷の武人>と平

敦盛(たいらのあつもり)<平家一門武将>との悲運物語で「能」

の『敦盛』の題材にもなっている。時は 一の谷の合戦 での一件で

ある。「海上、遠く沖の平氏の船に取り残された平氏の武将との一

騎打ちに挑んだ熊谷直実は自分から名乗りをあげ、相手の名を問

うた。だが、相手は名乗らない。自分が平家一門の 平 敦盛 であ

ることを知られれば、その首を狙って源氏の雑兵(ぞうひょう=身分

の軽い兵卒)が手柄を立てる為に殺到するに違いない、そう思って

敦盛は名乗らなかった。戦国時代は雑兵に首をとられる事を不名

誉極まりないと忌み嫌った。蛮勇の熊谷は名乗らない武将をいぶ

かり兜を剥ぎ取った。そこに観たのは肌の白い少年の顔であった。

不意を撃たれた衝撃のあまり、暫し立ち竦んだ・・・。「あなたを殺す

気はない。さあ、どこかへ逃げなさい」と逃亡をすすめた。だが、敦

盛は「はやく首を斬れ」と頑として動じない。折りしも味方の源氏の

軍勢が近づいて来る。熊谷は意を決して「武士の情け」を顕現し

た。悲壮な決意である。名もなき雑兵の手に掛けるよりは自分の手

で・・・。そう決意した。<後の供養も自分の手>で、と断行し

た。・・・敦盛の首を斬った熊谷直実は凱旋の後、武士の身分を捨

て「僧」になった。余生を敦盛の供養の念仏行脚に費やした。「武

士の情け」を地でいく熊谷の崇高な精神の顕現である。顧みるに日

本古来の情趣溢れる叙情が失われていく昨今に想いを馳せると歴

史の一齣に垣間見る武士道の精神の喪失を思い知らされる。理不

尽な事件事故の頻発する現代、現状に心を痛め、かつての「美し

い日本の国」の精神文化の帰趨を願わずにはいられない。懐古的

復古調の武士道ではなく正しい「武士道の精神」の復活を夢見る。

見果てぬ夢でもその精神は喪失したくない。・・・

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