「仁」は儒教の根幹をなす孟子の思想のひとつである。孟子、曰く
「不仁にして国を得る者は、之有り、不仁にして天下を得る者は、
未だ之有らざるなり」と・・・。「仁」は平たく言えば<あわれみ>とか
<おもいやり>の心情だ。「武士の情け」の顕現といってもいい。
戦国武将は「仁」なくして戦いに勝つことは出来ても「仁」を持たず
しては天下を執ることは出来ない、と言っている。「武士の情け」を
もう少し紐解いてみよう。それは「武士が自分よりも弱い者に与え
る恩恵であり、転じて、強い者が弱い者に施す恩恵の例え」を意味
する。即ち、たとえ経済的に裕福でなくても鷹揚な精神で立場の弱
い者に対する寛大な心を示すことである。新渡戸稲造氏の「武士
道」を援用すると、日本古来の情緒的、叙情的な趣のある言葉であ
る。例を熊谷直実(くまがいなおざね)<武蔵熊谷郷の武人>と平
敦盛(たいらのあつもり)<平家一門武将>との悲運物語で「能」
の『敦盛』の題材にもなっている。時は 一の谷の合戦 での一件で
ある。「海上、遠く沖の平氏の船に取り残された平氏の武将との一
騎打ちに挑んだ熊谷直実は自分から名乗りをあげ、相手の名を問
うた。だが、相手は名乗らない。自分が平家一門の 平 敦盛 であ
ることを知られれば、その首を狙って源氏の雑兵(ぞうひょう=身分
の軽い兵卒)が手柄を立てる為に殺到するに違いない、そう思って
敦盛は名乗らなかった。戦国時代は雑兵に首をとられる事を不名
誉極まりないと忌み嫌った。蛮勇の熊谷は名乗らない武将をいぶ
かり兜を剥ぎ取った。そこに観たのは肌の白い少年の顔であった。
不意を撃たれた衝撃のあまり、暫し立ち竦んだ・・・。「あなたを殺す
気はない。さあ、どこかへ逃げなさい」と逃亡をすすめた。だが、敦
盛は「はやく首を斬れ」と頑として動じない。折りしも味方の源氏の
軍勢が近づいて来る。熊谷は意を決して「武士の情け」を顕現し
た。悲壮な決意である。名もなき雑兵の手に掛けるよりは自分の手
で・・・。そう決意した。<後の供養も自分の手>で、と断行し
た。・・・敦盛の首を斬った熊谷直実は凱旋の後、武士の身分を捨
て「僧」になった。余生を敦盛の供養の念仏行脚に費やした。「武
士の情け」を地でいく熊谷の崇高な精神の顕現である。顧みるに日
本古来の情趣溢れる叙情が失われていく昨今に想いを馳せると歴
史の一齣に垣間見る武士道の精神の喪失を思い知らされる。理不
尽な事件事故の頻発する現代、現状に心を痛め、かつての「美し
い日本の国」の精神文化の帰趨を願わずにはいられない。懐古的
復古調の武士道ではなく正しい「武士道の精神」の復活を夢見る。
見果てぬ夢でもその精神は喪失したくない。・・・
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