世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

65年前の真珠湾からの教訓は何だったのか?

2006年12月09日 | Weblog

昨日は真珠湾攻撃から65年目にあたる。昭和16年12月8日未明、ハワイの真珠湾が日本海軍によって奇襲攻撃された。米太平洋艦隊への攻撃である。所謂、太平洋戦争の始まりとなり米英軍などとの戦闘になった。その結果、300万人の日本人の犠牲者をだした。3年8ヶ月にも及ぶ大戦となったのである。そして敗戦。それに続く占領で日本は多くのものを失った。伝統や文化、道徳観など諸々の価値観をも失った。山本五十六元帥はその開戦に最後まで反対し抵抗したが運命の悪戯か、その戦争の最高司令官になったのである。緒戦は勝利に次ぐ勝利で大本営発表もラジオから全国民へと知らされ士気を鼓舞した。ミッドウェーの海戦を境に戦況は不利になり敗戦へと終焉する。・・・ご承知の通りの戦争裁判で判決がでた。遡る15年戦争から第二次世界大戦終焉までの過程は東京裁判の帰結、A級戦犯問題、戦勝国主導の裁判等と幾多の疑問を残して今日に至っているが(未解決のままだと一部の識者は主張しているが)詳細は省略する。兎に角、軍部の独走を阻止できなかったのが教訓であり、その反省の基に今日の「日本国憲法」が誕生したのである。世界に誇る平和憲法として世界の承認を得て今日に至っている。真珠湾の教訓は軍部内部の葛藤・相克の帰結であり軍部の独走を許した当時の軍国主義一色の世相の帰結でもある。だからこそ日本国憲法にはその反省としての文民統制を強調したのである。「防衛庁」が「防衛省」に昇格しても文民統制は如何なる場合でも断固、履行するのが過去の戦争の反省を生かした今日的意義である。・・・付記:「真珠湾攻撃」・・・1941年12月8日午前3時(日本時間)、米国太平洋艦隊に対して日本海軍の航空隊、特殊潜航艇が行ったハワイ真珠湾(パール・ハーバー)への奇襲攻撃。野村吉三郎、来栖三郎両大使がハル国務長官に最後通牒を手交する1時間前であり、奇襲は成功して停泊中の太平洋艦隊に大打撃を与え、これより太平洋戦争が始まった。なお、米国大統領F.Dルーズベルトは事前にこの攻撃を知らされており、国内世論を対日参戦に転換させるために適切な防衛指令を出さなかったとの説もある。 『百科事典マイペディア』より