路の途中

35歳からジョギングを始め、今もゴールを目指してさまよい続ける市民ランナーの記録。

教えるということについて

2015年05月02日 06時15分31秒 | Weblog
おとといでしたでしょうか
娘が
「ぱぱ、理科教えて。」
と言ってきた。

先生の説明がよくわからないのだという。

どれどれ、と一読するも、プリントの意味がよくわからない。
うーーーん。

裏側を見ると、既習事項が書かれていた。
なるほど。

「ほら、ここにこう書いてあるだろ。これを使って…。
 それから、これはこういう意味だから、この線に沿って力を・・・。」

などと説明してあげた。


翌日、クラスのお友達に教えてあげて、感謝されたそうだ。

どうして、理科の先生の説明がわからなかったのか?
考えてみた。

たぶん、先生は
「自分がわかっているから、このように説明すればわかるはず。」
と思って、話していたのではないか?
と推測する。

今回私は
「わからん!」
というところから始まった。
ここまではわかっているけど、これはどうするんだろう?
あぁ、ここに書いてあるね。
じゃぁ、こう考えられるだろ?
のように、一緒に考えていった。

詰まり娘にとっては、ナチュラルな
コーチングになっていたのだろう。
(ティーチングではなく)

自分の仕事でも、相手側の目線に降りて(もしくは立場に立って)
話すことの大切さを再認識させてくれた。

「人は、女性に生まれない。女性になっていくんだよ。」
と、誰かが言った。
「人は大人に生まれない。大人になっていくんだよ。」
昔ラジオで聞いた。
「初めからわかりやすく教えられる人はいない。聞いてくれる人によって育てられるものなんだ。」
と、今思う。

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