雨こそ降らないものの、湿度が高く非常に過ごしにくい日々が続きますね。こんにちわI権禰宜です。
さて久しぶりに実美卿のお話の続きです。
維新後、流人扱いであった卿が一躍新政府の最高官に就任したという事は前回説明したとおりです。
しかしながら、人臣位を極めた卿に気の休まる日はありませんでした。
最高官の卿の下にいる要人たちは皆幕末動乱をくぐりぬけた豪傑ばかりでしたので、各々一筋縄ではいかない実力者達でありました。卿自身、流罪の苦難を味わうなど通常の公家よりは波乱万丈の経歴を持つ人物でありましたが、やはりそこは上品な気性の持主でしたので、維新志士出身の要人達の扱いに苦慮した事でしょう。
以下が維新初期の政府要人達です。
<左大臣>
島津久光(鹿児島)
<右大臣>
岩倉具視(公家)
<参議>
西郷隆盛(鹿児島)
大久保利通(鹿児島)
木戸孝允(山口)
板垣退助(高知)
後藤象二郎(高知)
江藤新平(佐賀)
勝安芳(幕府)
大隈重信(佐賀)
西郷従道(鹿児島)
黒田清隆(鹿児島)
広沢真臣(山口)
前原一誠(山口)
副島種臣(佐賀)
大山巌(鹿児島)
山県有朋(山口)
川村純義(鹿児島)
伊藤博文(山口)
井上馨(山口)
松方正義(鹿児島)
寺島宗則(鹿児島)
山田顕義(山口)
大木喬任(佐賀)
福岡孝悌(高知)
斎藤利行(高知)
伊地知正治(鹿児島)
そうそうたる面々ですね。このような英雄豪傑達を纏めるのは並大抵の事ではありませんですし、結果を先に言ってしまえば、実美卿はこれら維新の英傑達をついに纏める事はできませんでした。しかし幕末期の後半を太宰府で流人として過ごした卿にこれらの責任を負わせるのは酷でありましょう。卿が纏めるには要人達は余りにも実力者ばかりだったからです。
そして対立の深まった新政府内部では要人達の下野・暗殺・反乱が相次ぎ、やがて維新後最大にして、日本最後の内戦・西南の役へと向かっていくのでした。
I権禰宜