ようやくお天気は回復したようです。
こんにちわ。相変わらずのI権禰宜です。
さて今日は珍しくも月に2回目の三条卿のお話(というか明治初年のお話)
維新後最大にして日本最後の内戦・西南戦争は、首魁・西郷隆盛以下幹部の死によって明治政府の勝利に終わりました。
この間、事実上の政府のトップにあったのが・・・
内務卿・大久保利通です。
大久保卿は薩摩出身。西郷の幼馴染で莫逆の友という間柄でもありました。
彼が明治維新に果たした役割は大きく、現在、西郷・木戸孝允に並んで『維新の三傑』と讃えられています。
しかし「三傑」と讃えられるわりに、人気は西郷は勿論、木戸にも及ばず、寡黙・冷徹・酷薄・現実主義という面ばかりが強調されがちで、だいぶ損をしている人物です。当時も現在も。
西郷が親しみやすい面を持っているのと対照的に、大久保のそれは威厳。
その一面がよくわかるエピソードを御紹介すると・・・
大久保の同郷で後に西南戦争で西郷軍の副司令官的存在となる陸軍少将・桐野利秋は、大久保の威厳を非常に畏れたと言います。桐野少将といえば、幕末期は中村半次郎の名前で勇名を馳せた典型的な「薩摩っぽ」です。
↑桐野少将
そんな桐野少将がある日、大久保の気迫に押されないため、飲酒をしてから意見をしようと試みましたが、大久保卿の一睨みで慌てて引き下がったと言われます。
「人斬り半次郎」の異名を持つ(実際に暗殺は一件だけらしいですが)桐野少将を一瞥で退散させるとは・・・一体どれだけの威厳を持っていたのでしょうね。
またある時、大久保が内務省へ登庁した際、それまでざわついていた省内が大久保の足音を聞くやいなや一気に静まり返って緊張感に包まれたと言います。
これなども、突然とぼけた事を言って、それまでピリピリしていた役所内の雰囲気を和らげたといわれる西郷とは対照的な性格をしているのが良く分かりますよね。
そして大久保の様な人物は、尊敬されても、好かれる事はまずありません・・・。
事実、維新後の大久保は特に不平士族から非常に嫌われていました。
彼ら不平士族の目には、尊大な大久保が、維新に大功のあった士族を蔑にして、自らの独裁政権を作り上げている・・・というふうに見えたのでしょう。
その風潮は西南戦争終結後にいよいよ顕著になります。
「大久保はついに盟友・西郷すら葬り、独裁政治を完成させた!」
各地の不平士族達は大久保に対して益々憎しみを募らせていったのでした。
ただ、当の大久保はそのような風潮は意に介す事無く、愈々政治に取り組んでいきました。
明治11年5月14日。
その日大久保卿は朝から福島県令・山吉盛典の訪問を受けており、その際に山吉県令に次の様な事を述べたと言います。
「維新回天より今日までの10年はまさに創業の10年間であった。そしてこれからの10年間は、内政を整え産業を興す建設の10年間である。吾輩はこの間を全力で政務に取り掛かりたい。そしてその後の10年は後進の賢人に道を譲り、守成の10年間を見届けようと思う」
その後自邸から宮城(皇居)へ向かう途中、紀尾井の清水谷において暴漢の襲撃を受け遭難。その命を落とします。享年49歳。
暴漢達は石川県の士族・島田朝勇、長連豪らで、本懐を遂げるとその足で自首。数ヵ月後処刑されました。
英国の新聞、『ロンドンタイムス』は大久保の遭難についてこう述べています。
「卿の死は日本全体の不幸である」
大久保の死後、その資産が公開されましたが、それは人々の想像よりもはるかに少なく、それどころかおよそ2億円以上の借金がある事が判明しました。
この借金はほとんど国の借金を自分で肩代わりしたもので、私財を蓄えるようなものではなかったと言います。冷徹ではありますが私欲に走らない大久保の素顔が垣間見えます。
かの大隈重信は大久保を評して「維新時代唯一の大政事家」としています。
このように政治家の鏡のような人物である大久保利通でしたが、最初に述べた如く人気は頗る低く、特に郷里・鹿児島では西南戦争の影響で著しかったといえます。
例えば・・・大久保の遺骨が鹿児島に戻れたのは100年以上経ってから。それまでは西郷を死に追いやった人物として忌避されていたといわれます。
また現在では鹿児島市内に西郷・大久保両雄の銅像が建っていますが、西郷像が昭和の初年に作られたのに対し、大久保像は50年程遅れて建てられました。
これは真実かどうかは定かでは無いですが、県外の人から
「西郷像があるのだから大久保像も作った方が良い」
と言われ、渋々作ったとかなんとか・・・。
嘘であってほしいですが・・・。
ちなみに大久保利通を祀る神社としては、なぜか福島県郡山市に「大久保神社」があります。参拝したことが無いので詳細が分からないのが残念です。
大久保の死によって「維新の三傑」は死に絶え、明治政府は転換期を迎えます。
相次いで世を去った西郷・大久保に代わって建設の10年間の主役となるのが、伊藤博文であり山県有朋、黒田清隆などの三傑の後輩達でした。
この間に日本は内閣制度を整え、憲法を制定し近代国家として成立。大久保がどのような建設を考えていたかは分かりませんが、なにはともあれ建設の10年間を乗り越えました。
そして守成・発展の10年の始まりである明治20年代。
それまで目立つことの少なくなってきたこのお話の主人公・三条実美が、俄かに政治の矢面に立つことになりますが、それは次回の最終回に・・・。
I権禰宜