フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2005年5月(前半)

2005-05-15 23:59:59 | Weblog

5.1(日)

 J.M.クッツェー『恥辱』を読んだ。これほどの余韻を残すラストシーンにはそう出会えるものではない。文学の力というものを再確認する力作である。

 

5.2(月)

 連休の中日である。終日、書斎で仕事。特に仕事のペースが上がるわけではない。早くも遅くもないペースだが、中断されることがないのがありがたい。毎月、第一週がGWであったらなと思う。夕食の食卓でひさしぶりに娘の顔を見た。大学の演劇研究部の春期公演が先日まであって、連日帰宅が遅かったのだ。今回、彼女は女優ではなく、作・演出を手がけた。「マシマロ」というタイトルの劇で、何か原作があるのかと尋ねたら、オリジナルとのこと。1時間半の芝居の脚本を書くというのはけっこう大変であったろうと想像する。卒論一本分くらいのエネルギーが必要だろう。私は観に行けなかったが、妻の話によると、なかなかのものであったそうだ(K君はオカマの役だったという。いいキャスティングかもしれない)。ビデオがあるそうなので、いずれじっくり観せてもらおう。娘が女優として出ている芝居より、作・演出の芝居の方が冷静に観ることができるだろう。

 

5.3(火)

 今年のGWは天候に恵まれている。初夏の陽射しとさわやかな風。避暑地にいるようである。今日も終日、書斎で仕事。いまのペースならGW中に予定している仕事の9割は終えることができそうだ。快調、快調。しかし、その一方で、気になるのが運動不足である。衣替えをして夏のズボンに履き替えたのだが、どれもウエストが窮屈である。気がついてみると、この3日間、一歩も外に出ていない(ベランダ以外は)。出たいとも思わない。あれやこれやの会議で無理矢理引っ張り出されることが多いので、その反動かもしれない。中年の引きこもりである。しかし、電話という文明の利器のおかげで、自宅に引きこもっていても学内政治の三文オペラからお声がかかる。長い電話であった。映画を一本観られるくらいの時間だった。フレンチのフルコースを食べ終えることのできるくらいの時間だった。メロスにあげたら友との約束を楽々果たせる時間だった。結婚詐欺師なら初対面の女性から預金通帳と判子をまきあげることができたかもしれない。15分で自動的に回線が切れて、24時間経過しないと同じ番号にかけることができない電話というものを誰か発明してくれないか。

 

5.4(水)

 今日は2回外出をした。昼食にテイクアウトの寿司を買いに出たときと、夕食を家族と食べに出たときである。薫風というやつが気持ちよかった。夕食の帰り、近所の花屋「サッチモ」で花束を買い、私の両親に孫二人から手渡す。今日は両親の54回目の結婚記念日である。二人が結婚していなければ、私も子どもたちもこの世に存在しない。妻は他の誰かと結婚し、違う人生を歩んでいたであろう。そう考えると、なんだか不思議である。花束を贈ろうと言い出したのは妻である。私と出会えたことを感謝しているのだ。きっとそうに違いない。たぶんそうだと思う。そういうことにしておこう。

 

5.5(木)

 GWも今日で終わり。明日印刷所に渡す報告書の原稿の最終チェック、明日の大学院の演習と学部の調査実習の授業の下調べ、それで一日が終わった。途中、近所のコンビニにコピーを取りに行ったのが唯一の外出。端午の節句ということで、菖蒲湯に入ったが、夕食のデザートはフルーツタルトだった。やはり柏餅にすべきだったのではないか。年中行事というものは型通りに行うことが肝要なのである。明日、一日遅れの柏餅を食べよう。たたみたる葉の起き上がる柏餅(三河まさる)。

 

5.6(金)

 油断をして風邪を引いてしまった。喉が痛くて声がかすれる。熱はないがちょっとばかり寒気がする。大学に出かける前に近所の内科医院へ行って、抗生物質と鎮痛剤を処方してもらう。今日の授業は2つとも演習(大学院と調査実習)で、私一人がしゃべり続けるものではないのがせめてもの救いである。夜、高田馬場の「&Tokyo」で調査実習のクラスコンパ(先週、卒論演習のコンパをしたのと同じ場所である)。幹事をやってくれたのはS君である。なぜわざわざイニシャルを載せたかというと、このフィールドノートに自分を登場させてくれとS君に直談判されたからである。フィールドノートに載せないで下さいと言われたことは何度かあるが、載せてくださいと言われたのは初めてである。S君は1年生のときに私の社会学基礎講義を履修し、2年生のときに私の社会学研究9・10を履修し、そして3年生の今年、私の調査実習を履修したのだが、いつかこのフィールドノートに登場することが夢であったという。へぇ、そういう夢というものもあるのかと私はびっくりしたが、そんなのお安いご用だよと答え、いまこうしてS君のことを書いているしだいである。S君(5回目だ)、これでいいかな?

 

5.7(土)

 明け方、ちょっとした地震があって、目が覚めた。ちゃんと声が出ず、あいかわらず寒気もする。今日は大きな教室での講義が2つある。ちょっと無理なのではないかと思ったが、朝食をとったらいくらか喉が楽になったので、大学に出る。2限の授業はお茶を飲み飲みなんとかこなしたが、3限の授業は途中で何度か吐き気がしてかなりきつかった。でも、たぶん学生の目には、思索に耽っては語り、語っては思索に耽っているように見えたであろう。ゲオルグ・ジンメルの講義がそんなふうであったと本で読んだことがある。

 

5.8(日)

 鶯谷の菩提寺でおせがき(施餓鬼)法要があり、妻と出かける。法要の前座として演芸(落語とパフォーマンス)が本堂であったが、母の話では昔は写経などをしていたのだが、先代の住職からそういう堅苦しい行事をなくしたのだとのこと。落語は「垂乳根」(大工が大家の勧めで妻をとることになったのだが、その妻がやたらに言葉遣いが丁寧で・・・という話)。落語家は違ったが前回の法要とのときと同じ演目だったので驚いた。法事のときの演目として「縁」にまつわる話を選択するのは自然なことだから、こうした偶然の一致が生じやすいのだろうが、やはり出演依頼のときに前回の演目は情報として伝えておくべきだったろう。妻は今回の方が上手だったと言っていた。パフォーマンスは「あいあいず」というサルの着ぐるみを着た男女二人組で、最初、どうみても幼稚園向けの出張演芸で法要の前座としては不向きなもののように思えたが、実はそれがさにあらずで、観客を巻き込んでの進行は洗練されており、笑いと拍手が途中で何度も起こった。夜、母の日ということで、私の両親も一緒に家族で外食。体調の方はあいかわらずで、帰宅して、風呂を浴び、瀬尾まいこの新刊(短編集)『優しい音楽』の表題作を読んでから、早々に就寝。

 

5.9(月)

 睡眠時間をたっぷり取ったせいだろう、昨日に比べるとだいぶ楽になった。これで今日一日、自宅で静養できれば体調もすっかり回復するはずなのだが、あいにくと会合の予定が一つ入っていて大学へ出なければならない。会合が早めに終わってくれることを念じつつ家を出た。・・・・会合は1時間半ほどで終了。首と肩の筋肉がひどく凝ったが、懸案が一つ片付いたのでやれやれである。ミルクホールで餡ドーナツを一つ購入し、食する。疲れたときはやはり甘いものである。

 

5.10(火)

 今日は午後から大学で会議が2つある。家を出る前にメールをチェックしていたら、M先生からメールが届いた。「ご報告」という件名だったので、学部再編がらみの用件かなと思って開いたら、今度結婚することになりましたという内容だったのでびっくりした。M先生は私より4つ年下だから今年で47歳。初婚である。3、4年前になるだろうか、M先生を結婚させようと仲間内であれこれ画策したことがあったが、結局、徒労に終わった。人柄は申し分ないのだが、結婚に必要な積極性というか、イニシアチブというか、要するに踏み込みが不十分で、「これでは実るものも実らないよな」と、われわれも最後は匙を投げたかっこうだった。そのM先生からの突然の結婚宣言メールだったから、思わず妻を呼んで、「あのね、M先生という人がいてね、私より4つ年下なんだけどね・・・・」と勢い込んで話してしまった。お相手の方は学部(一文)時代の同級生。当時から憎からず思っていた女性だったらしいが、卒業後数年で音信は途絶え、22年の歳月が流れた。ところが、昨年の9月にインターネットでM先生のホームページを見つけた彼女からM先生にメールが届き、何回かのメールのやりとりの後、12月に小林道夫のゴルトベルク変奏曲のコンサートで二人は再会を果たし、交際が始まったのだという。「正直、中年の恋愛がこれほど良いものだとは想像もしていませんでした」とM先生は書いている。コノヤロー、こんなことよくヌケヌケと書けるよな。いま、何時だと思ってるんだ。まだ午前11時58分だぞ。『笑っていいとも!』がこれから始まる時間だぞ(関係ないけど)。のろけるのもたいがいにしておきなさい。でも、いい話だ。やはり人生は生きるに値する。心からそう思える。M先生、おめでとう。それにしても、それにしてもだ・・・・、私だってホームページは開設しているが、学生時代に好きだった女性からメールが届いた経験なんて一度もないぞ。私の方がM先生より4年も長く生きているのに、おかしいな・・・・。しかし、理由はすぐにわかった。私は初恋の女性と結婚してしまっていたのだった。こんなことなら、一度や二度、失恋を経験しておくのだった。

 

5.11(水)

 今日はひさしぶりに自宅で仕事の日。午後、遅い昼飯をとりに外出。昨日の我が家の夕食はクリームシチューだった。どこの家庭もそうだろうが、こういう場合、翌日の朝食もシチュー、昼食もシチュー、・・・・ということになりがちである。私にはこれが苦痛である。一種の拷問と言ってよい。シチュー(市中)引き回しの刑である。妻に言ったら、「おやじギャク」と馬鹿にされたが、これはいわゆる「おやじギャク」とは一線を画する水準のものであることは、わかる人にはわかるはずだ。

「やぶ久」ですき焼きうどんを食べ、腹ごなしに有隣堂をのぞく。今朝の新聞記事で見たなんとかいう作家のなんとかいう本を探したのだが、作家名も書名も忘れてしまったので、これでは捜しようがない(でも、見れば「これだ!」と思い出すんですけどね)。結局、『加山雄三全仕事』(ぴあ)、東海林さだお自選『ショージ君の旅行鞄』(文春文庫)、中村うさぎ『愛か、美貌か』(文春文庫)、太宰治『斜陽、人間失格、桜桃、走れメロス 外七篇』(文春文庫)を購入。『加山雄三全仕事』は「若大将」のファンとして個人的にも、また戦後日本のポピュラーカルチャー研究の資料としても手元においておきたい本であることは明らかなのだが、価格が5000円とやや張ることと、男性タレントの本を男性客が買うことのセクシャリティ的意味に関して何らかの誤解をされる可能性が一瞬頭をかすめ、手にした本をレジに持っていくことにためらいを覚えた。しかし、これまでにも、鶴田真由のフォト&エッセー『晴れのち晴れ』(角川書店)を筆頭に好きな女性タレントの本はちゃんと買ってきた私である。男性タレントの本だからといって何をいまさら躊躇することがあろう。進め、社会学者。私は自分をそう鼓舞して、レジの列に並んだ。レジは複数あって、男性の店員が担当するレジと女性の店員が担当するレジがある。私はできれば女性の店員のところに行きたかった。つまり、「この人は加山雄三のファンなのだ」と男性に思われるよりも、女性にそう思われる方を望んだということなのだが、これはおそらくセクシャリティに関して何らかの誤解をされるのであれば、異性である女性からそう誤解されるより、同性である男性からそう誤解されるほうがキツイという判断が働いたためと思われる。これはなぜだろう。後日の課題としておこう。しかし、実際は、私の希望とは違って、目の前の若い男性の店員のレジが空き、「どうぞ」と声をかけられたため、いたしかたなくそこで支払いをすることになったのである。当然のことであるが、本屋の店員は客がどういう本を購入しようがそれに対して「オッ」とか「ワッ」とか「やれやれ」といった反応はしない。・・・・しないのであるが、そういった反応を必死に堪えているのではないか、無理に何でもないかのように振る舞っているのではないか、そう勘ぐってしまうのである。この辺の攻防、あるいは独り相撲の心理の分析は、アーウィン・ゴフマンのもっとも得意とするところであるが、日本では東海林さだおの右に出るものはいない。

 

5.12(木)

 先週末から風邪気味だったり、法事やら会議やらで外出することも多かったりで、授業の準備が押している。おまけに今度の土曜日は研究会があるので、その準備もある。普通に回転しているときはよいが、ちょっと予定が狂うと、週6コマはきつい。5限の卒論演習は欠席者が目立った(4名)。1名は地元に帰って就活だが、3名は体調不良である。GW明けに体調を崩したのは私だけではないようだ。7限の二文の基礎演習は今日からギデンズ『社会学』をテキストに使った授業が本格的に始まった。事前に今日取り上げる章に目を通して感想をBBSに書き込んでおくことを課題として出しておいたがのだが、33名中8名が課題をすっぽかして授業に出たので、注意する。教室に来て、私の話を聴いているだけで『社会学』の内容が身に付くと安易に考えてもらっては困る。各自がテキストと格闘した上で私の話を聞けば、ただ私の話を聴くよりも理解の度合いが何倍も違うはずだ。出席率は100%。和気あいあい、楽しく勉強してほしいが、楽をしようとはしないでほしい。

 

5.13(金)

 3限の大学院の演習は、前半が日露戦争の終わりから現在までのほぼ百年の時間の中での日本人の「人生の物語」の変容についての研究(私と受講生が交互に報告)、後半が「人生の物語」に関する理論的文献の講読(受講生が順番で報告)。今日の前半の担当は私で、群衆の「怒り」(日比谷焼き討ち事件)、志賀直哉の「不機嫌」(「大津順吉」)、田山花袋の「中年の危機」(『蒲団』)、石川啄木の「閉塞感」(「時代閉塞の現状」)などに言及しながら、明治40年代という時代の気分について論じた。後半は、これは先週から読み始めているのだが、ホルスタインとグブリアム『アクティブ・インタビュー』(せりか書房)の3章と4章の報告。前半、後半といっても、私の報告だけで1時間以上かかっているので、当然、授業時間は延長で、あらかじめ4限の時間も教室をとってある。時間の延長は大学院の演習では普通のことである。5限の調査実習(一文)も6限まで延長することがしばしばで、今日もそうなったが、途中で帰る学生はいない。時間の延長については講義要項に書いておいたので、みんなそれを承知で履修しているのである。金曜日は延長授業の日だ。6限まで延長しても空は暗くならない。ずいぶん日が長くなった。

 

5.14(土)

 講義を2つと研究会。全部が終わったのが午後5時頃。スロープ上の中庭に立って空を見上げる。一週間が終わったなと思う。一番ほっとするひとときかもしれない。帰宅の前に、研究室のテーブルの上を片付ける。次に来るのは来週の火曜日だ。そのときテーブルの上が片付いていることは、精神衛生上大切なことである。

夕食にそらまめが出た。私が皮を剥かずに食べていると、妻が呆れた顔で私を見た。「そらまめの皮は剥いて食べるものでしょ」と言う。「えっ、そうなの? 柔らかいじゃないか」と私。「皮と一緒に食べたら美味しくないでしょ」と妻。「好みの問題だろ」と私。「違う。そらまめの皮は剥いて食べるものなのよ」と妻。全然妥協の姿勢がない。息子は、二人のやりとりを横目に、黙って皮を剥いて食べている(最初に妻がそう仕込んでしまったのだ)。気になったので、インターネットで調べたら、「そらまめの皮調査委員会」というサイトがあって(何でもあるものなだぁ)、600名のアンケート調査の結果、皮を剥いて食べる者が45.7%、皮と一緒に食べる者が49.2%、その他が5.2%だったそうである。半々と考えてよいだろう。ほら、やっぱり好みの問題なんじゃないか。しかし、年齢別の集計結果をみると、40代以上は皮と一緒に食べる者が多く、10代と20代は皮を剥いて食べる者が多かったので、時代の趨勢は皮を剥いて食べる派にあるようだ。

 

5.15(日)

 GWが終わってからずっと気温の低い日々が続いている。本来の5月の気候ではない。まさかこのまま梅雨入りなんてことにはならないだろうが、なんだか損をしている感じがする。

南博編『大正文化』(勁草書房、1965)を読み始める。1960年代前半、それまで明治と昭和の間にあって一種の過渡期として考えられていた大正期を再評価しようという動きが盛り上がったのだが、本書はその成果の1つとして有名である。古本屋で見つけていつか読もうと購入しておいたのだが、再来週から大学院の演習で大正時代の「人生の物語」を扱うので、その下準備として読むことにしたのだ。いつか読もうと購入し、しかし、長らく本棚で眠っていた本を、本棚から引き抜いて読み始めるときの気分はよいものだ。その本との約束をようやく果たしたという感じがする。私には経験はないが、日陰の女に「待たせてごめんね。迎えに来たよ」と言うときの男の気持ちに似ているかもしれない。

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