フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月7日(月) 晴れ

2015-12-10 18:24:49 | Weblog

 8時、起床。

トースト(リンゴジャム)、サラダ(炒り卵、トマト、ベビーリーフ)、紅茶の朝食。

午後、散歩に出る。

ヤンヤンさんの作品展があるので、幡ヶ谷(京王線)へ。

「椿」という居酒屋のランチを食べる。

 ブリ大根定食を注文。

ブリ大根にはそそられるものがある。

 

定食にはコーヒーか紅茶がついてくる。コーヒーをチョイス。居酒屋のカウンターで飲むコーヒーは一味違う。

毎月、一度、パン屋さん(カタネベーカリー)の地下のスペースでやっている、massaさん(陶芸)と二人の作品展。

こんにちは、ヤンヤンさん。

刺繍ポーチを3点、購入。贈答用だが、実は、自分でも使いたい。

 

 

 

新春らしい色合いの器を一点、購入。研究室(カフェ・オオクボ)で使います。

軽食(無料)をいただく。お稲荷さんだ。さきほどブリ大根の定食を食べたばかりだが、ペロリと食べてしまった。

お茶と果物までいただく。今日は店内はお客さんでにぎわっていた。

二人展は冬の間はなく、次回は5月になるそうだ。ただし、ヤンヤンさんの作品は他の店でも展示・販売されるらしいので、予定がわかったら教えてくださいとお願いしておく。

蒲田に帰ってくる。

いったん帰宅してから、夕方、「phono kafe」にちょっと顔を出す。

春雨とあずき茶を注文し、大原さんや常連客とおしゃべりをする。

帰宅して、風呂を浴びてから、夕食。

サーモンのソテーの野菜あんかけ。妻の得意料理の一つである。

食後に林檎。

金沢の「能作」で購入した漆器が送られてきた。左は私ので、右は妻の。

さっそく今日品川駅のエキナカで買ってきたダロワイヨの季節限定のあまおうのマカロンを紅茶でいただく。


12月6日(日) 曇り

2015-12-10 01:56:00 | Weblog

8時、起床。

トーストと紅茶の朝食。

お昼に卒業生のNさん(論系ゼミ5期生、2015年卒)と蒲田駅で待ち合わせ、「phono kafe」に案内する。彼女は4歳の頃まで蒲田(西六郷)に住んでいたそうだ。小さすぎて懐かしいというほどではないだろうが、タイヤ公園で遊んだ記憶はあるそうだ。

この写真はちょど居合わせた向かいの会計事務所のKさんに撮っていただいた。

今日の「phono kafe」は開店時からお客さんでいっぱいで、予約はしていたので座ることはできたが、注文した料理が出てくるまでだいぶ待つことになった。後から大原さんから聞いたところでは、今日は夜までお客が絶えなかったそうだ。こういう日は一年に何度もあることでないらしい。

小豆茶をのみながら待つ。私はホッと、Nさんはアイスで。

Nさんはお砂糖を作る会社い勤めている。彼女の雰囲気によく合っている(笑)。

お腹がペイペコになったころに料理がテーブルに並んだ。

ラタトゥーユ(左)、ごぼうのフリット(右)。

何かの白和え(左)、カボチャのサラダ(右)。

ベジミートボールの野菜あんかけ。

玄米と豆腐のタルト人参ソース掛け。

食後のコーヒーは「あるす」に飲みに行く。

「営業中」の看板が出ていなかったので、今日は臨時休業かと思ったら、ドアがちょっと空いていて、中にマダムがいらした。今日は午前中から商店街のフリーマーケットの催しがあって、「あるす」は世話人の詰所に使われていたそうで、さきほどフリマが終わって、これからお店は開店とのこと。

 

コーヒーを注文すると、紅茶やお菓子も出てくるのが「あるす」方式。

砂糖について熱心に語るNさん。ゼミ論の発表のときよりも熱が入っている(笑)。

店を出る前にマダムに写真を撮っていただく。

早稲田生には親しみを感じますというマダム。お若いころ、親友のお父様が早稲田の法学部の教授だったそうだ。

懐かしのタイヤ公園に行ってみようかとも考えたが、少し時間が遅くなって、寒くなってきたので、駅前の商店街の散歩にとどめる。

頭上の「ドトール」の看板を指先ながら、Nさんが言った。「ああいうイラストが看板に書かれている店は古い店舗なんです。最近の店舗にはイラストはありません」。へぇ、知らなかったな。ちょっとした豆知識だ(コーヒー店だけに)。

 線路脇のバーボンロード(飲み屋街)でちょっとひょうきんなポーズをとるNさん。意味は本人にも不明なようである(笑)。

蒲田駅まで彼女を送る。タイヤ公園は暖かい季節にしましょう。

私はいったん自宅に戻ってから、劇団「獣の仕業」の芝居を観に妻と吉祥寺へ。 

吉祥寺の駅から歩いて10分ほどのところにある「櫂スタジオ」。

今回の芝居のタイトルは「瓦礫のソフィー」。

開演(18:00)の30分前に劇場に入る。すでに舞台上には役者たちがスタンバイしている。日常と非日常(劇)の中間の時間。早く来た客へのサービスという意味と、役者自身の集中力を高める意味があるのだろう。

各々の場所に立っている役者たちは白い紙片を枯れ葉のように舞台に落としている。

もしかして紙片には台詞が書いてあって、最後の確認をしているのではあるまいな(笑)。

雑賀玲衣=アレイ

凛子=エー

きえる=イズア

藤長由佳=ナル

小林龍二=ツェット

舞台上にはもう一人、田澤尊=キイがいたが、私の位置からは見えない場所だった。

脚本・演出の立夏が開演前の挨拶。

今回は劇団としては初めての「SF」だそうだ。未来の物語という意味らしい。初めてといわれてそういう気がしなかったのは、劇団員たちがよく客演している「インハイス」の芝居で未来の物語を観て来たせいだろう。

さらに言えば、謎の「虹」の光を浴びて一家全員を失った女性が過去の体験・思考・記憶を思考支援ツール「シーケル」によって家族と過ごした日々を繰り返し蘇らせるので、未来の物語であると同時に過去の(回想の)物語でもあることも既視感の理由だろう。

劇は、役者たちのモノローグ、ダイアローグ、さらには高次の合唱となって進行していく。モノローグの部分は、単調で、退屈だった。それが計算されたもの、演出的に織り込み済の単調さであり退屈さであったのかどうかは、わからない(立夏に聞いてみたいところだ)。それはちょうど歴史年表をただ声に出して読むだけでは、歴史(物語)にはならないのに似ている。歴史(物語)とは歴史的出来事を結びつける主観的な因果の連鎖である。ダイアローグによって、そして高次の合唱によって、複数の主観が反応しあって、そこに物語が生まれる。その過程は躍動感があり、見事だった。これが「獣の仕業」の芝居だと思った。

役者一人一人の声(台詞)がとても安定していたのがよかった。安定感のある声は大切だ。声が不安定だと劇という構築物がグラグラして落ち着かない。以前は、もうだいぶ以前だが、そういうことがたまにあった。いまは違う。ずいぶんと腕をあげた、いや、声をあげたというべきか。君たちの声は美しい音楽のようである。

そして今回も照明と音楽が効果的だった。

劇が終わった。舞台上で観客と話をする役者たち。

藤長由佳、凛子、田澤尊。

田澤はずいぶんとスリムになっていて驚いた(30キロの減量をしたそうだ)。

小林龍二。

 雑賀玲衣。

きえる。

立夏。

みんな、ありがとう。次回の公演も楽しみにしています。

吉祥寺の駅に戻る途中にあったファンタジックな造りのレストラン(名前は忘れた)で夕食をとる。

シーザーズサラダ。

私は茄子とカレーのドリア。妻はキノコのクリームドリア。

私はコーヒー、妻はカフェラテ。

モンブランをシャアして食べる。

美味しかった。知らなかったが、人気店のようである。

蒲田には10時に就いた。

閉店間際の駅ビルのパン屋で明日の朝食用のパンを買って帰る。