9時半、起床。フィールドノートの更新をしながら朝食兼昼食のチャーハンを食べる。12時過ぎに家を出て、妻、母、それから蒲田駅で待ち合わせた義姉と一緒に、娘の大学の演劇研究部の卒業公演を観に吉祥寺へ行く。今回、娘は役者としての出番はなく、脚本と演出を担当している。タイトルは「春に就いて」。生意気なタイトルである。どこが生意気なのかというと、第一に、そのタイトルからは芝居の内容がまるでわからない。第二に、「ついて」ではなく「就いて」と漢字を使っている。生意気というのは、別の言い方をすると、気合が入っているということである。4年間の大学生活の総決算という気持ちがあるはずである。その気負いのようなものが、「春に就いて」というタイトルから伝わってくる。
ストーリーはミステリー仕立てで、浅草寺の近くの雑居ビルの中にある探偵事務所に仕事の依頼の電話がかかってくるところから始まる。その日はほおづき市の日であるから7月9日か10日である。電話は昔懐かしい黒電話で、アンティーク趣味で使われているわけではないようなので、時代設定は昭和(高度成長期?)、ということのようである。ほどなくして一人の若い女がやってくる。依頼の内容は、彼女が持参した小さな黒い木の箱を開けてほしいというもの。中に何が入っているのか知りたいのだが、どうしても開かないのだという。物理的な理由によるものではなく、何か霊的な力が働いていて、開かないらしい。その小箱を作ったのは入江庄介という明治時代の人物。探偵たちは小箱の謎を解明するために明治時代にタイムスリップしていく。場所は吉祥寺。入江庄介は植木職人をしているが、元々は美術学校の学生で、それが何かの理由で絵の道を断念し、植木職人になったのである。美術学校時代の先生とはいまでも手紙のやり取りをしている。彼が植木の仕事で出入りしている稲垣屋の娘、彼の美術学校時代からの友人、植木職人の親方、妹、従兄弟、そして幻視的に現われる二人の天狗、これが庄助をめぐる登場人物である。彼らの間でさまざまやりとりが繰り広げられるが、謎が解明される方向にはなかなか向かわない。観客は時間の迷宮の中に入り込んでしまったような感覚にとらわれる。しかし、親方の飼い猫が何者かに惨殺される事件をきっかけに物語は謎の解明に向かって急速に動き出す。そこには嫉妬と誤解と捏造と忘却のからんだ殺人事件があり、まるで金田一耕助の登場しない横溝正史のミステリー小説のようであるが、天狗(実は学生時代の庄介が捕まえて件の小箱に入れておいたテングチョウの魂=青雲の志と友情の象徴か)の存在はむしろ泉鏡花の系譜につながるものである(横溝正史のミステリー小説にはオカルト的なものは登場しない)。
脚本は、拡散から収束に向かうポイントをもう少し手前に持ってきたほうがいいような気がしたが、その構想力はなかなかのものだと感心した。演出に関しても、他の劇団の公演に積極的に参加して修行を積んだ成果が反映していたように思う。たとえば、同じ台詞を複数の役者に同時に語らせる和声的手法は儚(はかな)組の「カンブリアン・ブルー」から学んだものであろうし、役者たちの身体所作の同調や緩急の切り替え、また、混乱と絶望の淵からトンネルの向こうに救済のほの明かりを見出す筋立ては、ドラマチック・カンパニー・インハイスの「オペラエクスクアロ」から学んだものであろう。演劇を始めたのは大学に入ってからであるから、4年間でよくここまで来たものだと思う。よい仲間に恵まれたのだろう。社会人となってからも演劇にはかかわっていくつもりのようだが、健康管理には十分に気を配ってほしい。
帰りは、妻たちとは別行動をとらしてもらう。吉祥寺の古本屋で、『近代日本思想史講座』全7巻(筑摩書房)を購入。一冊600円ほどでばら売りで出ていたのだが、おそらく全8巻のうちの第2巻が欠けているためそうしていたのだと思うが、実は、第2巻「正統と異端」というのは出版されずに終わった幻の巻なのである。だから『近代日本思想史講座』は事実上全7巻なのである。それをばら売りで合計4千円ほどで入手できたのは儲けものであった。後から「日本の古本屋」で検索したら全巻揃いは安いところでも8千円、高いところだと3万円もする。
吉祥寺から東西線直通の電車に乗って大学へ。事務所で「科目登録マニュアル」を入手する。これで18日の現代人間論系進級ガイダンスのために必要な書類は全部入手した。教員ロビーのメールボックスに小沼純一『はたらくって何? あたらしいシゴト論』(アスペクト)が入っていた。へぇ~、小沼先生、こういう本も書いていらしゃるのか。ただ、小沼先生は『武満徹対談選 仕事の夢 夢の仕事』(ちくま学芸文庫)という本を編集されたこともあるから、仕事論には昔から関心があったのかもしれない。
帰宅すると筑波大学の土井隆義先生から『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』(ちくま新書)が届いていていた。少し前に身銭を切って購入した本である。研究室と自宅の書斎に一冊ずつ置くとしよう。
ストーリーはミステリー仕立てで、浅草寺の近くの雑居ビルの中にある探偵事務所に仕事の依頼の電話がかかってくるところから始まる。その日はほおづき市の日であるから7月9日か10日である。電話は昔懐かしい黒電話で、アンティーク趣味で使われているわけではないようなので、時代設定は昭和(高度成長期?)、ということのようである。ほどなくして一人の若い女がやってくる。依頼の内容は、彼女が持参した小さな黒い木の箱を開けてほしいというもの。中に何が入っているのか知りたいのだが、どうしても開かないのだという。物理的な理由によるものではなく、何か霊的な力が働いていて、開かないらしい。その小箱を作ったのは入江庄介という明治時代の人物。探偵たちは小箱の謎を解明するために明治時代にタイムスリップしていく。場所は吉祥寺。入江庄介は植木職人をしているが、元々は美術学校の学生で、それが何かの理由で絵の道を断念し、植木職人になったのである。美術学校時代の先生とはいまでも手紙のやり取りをしている。彼が植木の仕事で出入りしている稲垣屋の娘、彼の美術学校時代からの友人、植木職人の親方、妹、従兄弟、そして幻視的に現われる二人の天狗、これが庄助をめぐる登場人物である。彼らの間でさまざまやりとりが繰り広げられるが、謎が解明される方向にはなかなか向かわない。観客は時間の迷宮の中に入り込んでしまったような感覚にとらわれる。しかし、親方の飼い猫が何者かに惨殺される事件をきっかけに物語は謎の解明に向かって急速に動き出す。そこには嫉妬と誤解と捏造と忘却のからんだ殺人事件があり、まるで金田一耕助の登場しない横溝正史のミステリー小説のようであるが、天狗(実は学生時代の庄介が捕まえて件の小箱に入れておいたテングチョウの魂=青雲の志と友情の象徴か)の存在はむしろ泉鏡花の系譜につながるものである(横溝正史のミステリー小説にはオカルト的なものは登場しない)。
脚本は、拡散から収束に向かうポイントをもう少し手前に持ってきたほうがいいような気がしたが、その構想力はなかなかのものだと感心した。演出に関しても、他の劇団の公演に積極的に参加して修行を積んだ成果が反映していたように思う。たとえば、同じ台詞を複数の役者に同時に語らせる和声的手法は儚(はかな)組の「カンブリアン・ブルー」から学んだものであろうし、役者たちの身体所作の同調や緩急の切り替え、また、混乱と絶望の淵からトンネルの向こうに救済のほの明かりを見出す筋立ては、ドラマチック・カンパニー・インハイスの「オペラエクスクアロ」から学んだものであろう。演劇を始めたのは大学に入ってからであるから、4年間でよくここまで来たものだと思う。よい仲間に恵まれたのだろう。社会人となってからも演劇にはかかわっていくつもりのようだが、健康管理には十分に気を配ってほしい。
帰りは、妻たちとは別行動をとらしてもらう。吉祥寺の古本屋で、『近代日本思想史講座』全7巻(筑摩書房)を購入。一冊600円ほどでばら売りで出ていたのだが、おそらく全8巻のうちの第2巻が欠けているためそうしていたのだと思うが、実は、第2巻「正統と異端」というのは出版されずに終わった幻の巻なのである。だから『近代日本思想史講座』は事実上全7巻なのである。それをばら売りで合計4千円ほどで入手できたのは儲けものであった。後から「日本の古本屋」で検索したら全巻揃いは安いところでも8千円、高いところだと3万円もする。
吉祥寺から東西線直通の電車に乗って大学へ。事務所で「科目登録マニュアル」を入手する。これで18日の現代人間論系進級ガイダンスのために必要な書類は全部入手した。教員ロビーのメールボックスに小沼純一『はたらくって何? あたらしいシゴト論』(アスペクト)が入っていた。へぇ~、小沼先生、こういう本も書いていらしゃるのか。ただ、小沼先生は『武満徹対談選 仕事の夢 夢の仕事』(ちくま学芸文庫)という本を編集されたこともあるから、仕事論には昔から関心があったのかもしれない。
帰宅すると筑波大学の土井隆義先生から『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』(ちくま新書)が届いていていた。少し前に身銭を切って購入した本である。研究室と自宅の書斎に一冊ずつ置くとしよう。