フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月1日(土) 晴れ

2008-03-02 02:10:55 | Weblog
  9時、起床。朝食は鶏肉の卵とじ(昨夜の親子丼の残り)とご飯。メールのチェックをしたら安藤先生からインフルエンザかもしれないので今日の教授会は休みますとの連絡。昨日は増山先生から所用で教授会を休みますとのメールをいただいている。えっ、教授会を休むときって、誰かに連絡するものなのか?私は一度もそんな連絡をしたことがないけれど・・・。もしかして教授会って勝手に休んじゃいけないのか? 知らなかった・・・。世の中にはまだまだ私の知らないことがたくさんあるに違いない。
  12時から社会学の教員の懇談会。2年前まで、文学学術院の社会学の教員は全員が一文の社会学専修に所属していた。それがいまは文学部の社会学コース、文化構想学部の社会構築論系、現代人間論系、表象・メディア論系に拡散している。学部再編という大航海時代を迎えて、7つの海に乗り出した船乗りたちが、ひさしぶりに母港に集結したという感じだろうか。
  1時から教授会(「ごんべえ」で昼食に忍者うどんを食べてから出席)。恒例の退職教員の挨拶は、フランス文学の支倉先生、ロシア文学の水野先生、そして美術史の村重先生。支倉先生のお話の中では、フランスでは教師は美術館が無料ないし割引料金であるというのが印象に残ったが、もっと印象的だったのは、夕方からの懇親会で司会役の源先生が言った「支倉先生は教授会を一度も休まれたことがない」の一言。う~ん、申し訳ございません。水野先生は35歳のときに早稲田大学の教員になった。それまでフリーランスで評論や翻訳をされていたのだ。教員になって生活が安定したのがありがたかったとしみじみした口調で話されたが、私も助手になったのが32歳のときだったので(すでに結婚していて子どもが一人いた)、その感じはとてもよくわかる。村重先生は戸山キャンパスが出来たときに大学院に進み、戸山キャンパスの象徴である33号館(通称「国連ビル」)がいよいよ解体されるときに定年を迎えることにめぐり合わせのようなものを感じるとおっしゃった。
  そういえば、今日、スロープの真ん中に鉄の柱が横たわっていた。中央分離帯のようなものであろう(左側が人間用、右側が工事車両用)。33号館の解体もカウントダウンの段階に入ったようである。