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フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月17日(日) 晴れ

2007-06-18 02:56:46 | Weblog
  父の千代田区役所時代の同僚で親友だったH氏(9年前に死去)の夫人が、わが家を訪問してくれた。私が小学生だった頃、役所の海の家が鎌倉や逗子にあって、そこでよくご一緒したものである。当時の写真が残っていて、自分でいうのも気が引けるが、私は利発そうな少年に写っている。どこかしら妻夫木聡に似ていなくもない(好き勝手なことを書いてます)。あの頃の海の家というのは、家族単位で個室というのではなく、和室を3つほどぶち抜いた大部屋で食事も就寝もみんな一緒であった。みんなそれが当たり前だと思っていたし、子供にはむしろそれが楽しかった。別々の家族の子供同士が仲良くなって、一緒に虫取りをしたり、スイカ割りをしたりするのである。H氏夫妻にはまみちゃんという女の子がいたが、私よりだいぶ年下だったので、一緒に遊んだという記憶がないのだが、今日、H夫人が持参した写真には私とまみちゃんがしっかり一緒に写っている。そのまみちゃんはいま新松戸の方に住んでいるが、あまり電話もくれないのよとH夫人は言っていた。H夫人は所沢の方で一人暮らしをされているが、週に2、3回テニスサークルに通い、仲間とはケータイのメールをやりとりしている。うちの母より若いとはいえ、ずいぶんと外向的な性格の方だ。7、8割の女性は夫に先立たれるわけで、それを考えると、外向的であることは老後の生活にとって重要な資質だろう。われわれが話をしている間、網戸からは気持ちのよい風が入ってきていた。
  夕方、H夫人を駅まで見送りがてら散歩に出る。有隣堂で野沢尚『ひたひたと』(講談社文庫)を購入し、カフェ・ド・クリエで読む。野沢尚が自ら命を絶ったのはいまからちょうど3年前である。享年44歳だった。本書は最後の作品集を文庫化したものであれるが、文庫化にあたって、単行本未収録の長編小説『群生』のプロット200枚が収録された。着手寸前の小説のプロットではあるが、話の発端から結末までかなりしっかり作り込まれている。倉本聰の影響だと思うが、野沢はあらかじめ主要な登場人物ひとりひとりの来歴を設定する。そうやって登場人物に厚味をもたせるのだ。一人一人がそれぞれの人生の物語を生きてきて、ある時、それらがリンクしあって小説の世界が作り上げられていく。だから野沢尚の世界は、小説であれシナリオであれ、物語が過剰で、ときに息苦しくなるくらいだ。『群生』は、離婚した妻と一緒に暮らしている息子から男が電話を受けるシーンから始まる。5年ぶりの電話で、息子は19歳になっていた。ぎこちない電話でのやりとりが終わって1時間後、息子はビルの屋上から飛び降り自殺をした。男は息子の自殺の理由を知りたいと思った。調べていくうちに息子を自殺に追いやったと思われる人物にたどりつく。口論の果てに男は相手を殺してしまう。ところが殺したその相手には別れた女との間に生まれた娘がいて、彼が娘に宛てて書いた何通かの手紙(娘から未開封のまま送り返されていた)を男は読んでしまう。それは自分がひどい仕打ちをした女への謝罪の気持ちと娘への愛情に溢れた手紙だった。男はこの手紙を自分が殺した相手に代わって娘の元に届けなくてはならないと思う。・・・そんな風に物語は展開していく。『群生』は野沢尚版『罪と罰』である。
  実は、私にはいまの妻と結婚する前に付き合っていた女性がいて、彼女との間に生まれた娘が一人いる。今年で25歳になる。事情があって会うことはできないが、私のブログは読んでいてくれる。私が毎日欠かさずブログを書き、昼食に何を食べたかなんてことまでブログに書きつけているのは、娘への手紙のつもりだからである。・・・というのはもちろんいま考えた作り話だが、野沢尚の作品を読んでいると、物語への志向を刺激される。たんなるエンターテーメントとしての物語ではなく、人間の探求としての物語を志向したくなるのである。
  野沢尚の告別式で北方謙三が述べた弔辞(本書に収録されている)、その最後の部分はこんな風であった。

  いま、君のほほえみを思い出す。
  その声を、眼ざしを、握手した時の手の温もりを、思い出す。
  別れの言葉を、述べなければならないのだろうか。
  生きることは、死ぬことだ。
  そして死ぬことは、人々の心の中で生き続けるということだ。
  いまは、そう思うしかない。
  野沢君、さようなら。