presented by hanamura
台風が過ぎて、ここ東京では青空が広がりました。
まだもう少し暑い日は続くようですが、
空にはうっすらとうろこ雲が浮かんでいました。
今日から9月。
少しずつですが、確実に秋は近づいてきています。
現在花邑銀座店では、9月1日(火)から9月22日(火)まで、
これから訪れる季節に向けて「更紗の帯展」を開催しています。
その企画展にちなみ、前回に引き続き(※1)、
「和更紗」ついてお話しましょう。
今回は和更紗の「文様」についてです。
前回お話したように、
江戸時代につくられた和更紗の文様は、
異国からもたらされた更紗に影響を受け、
草花を意匠化したものが多くつくられました。
しかしそれは、長きに渡る鎖国政策によって、
異国の文化に接する機会が少なかった日本の職人たちが
その想像力で意匠化した“空想上”の文様でした。
その和更紗の文様も
鎖国が終わって明治時代に入ると、
時代を反映して少しずつ変化していきます。
明治時代の日本には、
江戸時代の庶民では空想するしかなかった異国の文化が流れこみ、
それにともなって異国の人々をも目にする機会が多くなりました。
そのためか、明治時代の和更紗には、
日本へやってきた異国人たちを意匠化したものが
それ以前にくらべてぐんと増えたのです。
上の写真は南蛮人を意匠化した和更紗です。
髪や皮膚、眼の色が日本人とはまったく異なる外国人たちを
はじめて目にした当時の人々の驚きが表されたような文様です。
また、下の写真のような
中国絵画から影響を受けた「唐子文様」とよばれる意匠も
広く人気があり、多くつくられました。
しかし、新しい文化が入ってくる一方で、
伝統的な日本の文化に対する想いも強く残っていました。
その想いは、和更紗の文様にも現れています。
この時代には「器物文様」という文様が
多くつくられるようになります。
器物文様とは、扇や能面、鞠、刀の鍔(つば)、宝物など、
古くから日本に伝わってきた、
生活の道具や縁起物を意匠化したものです。
これらは、江戸時代の和更紗にはない
日本独自の文様といえます。
また、「大津絵」とよばれる
当時の風俗画を題材にした文様もつくられました。
これらの文様を見ると、
古い文化と新しい文化を融合させようという、
作り手の意気込みが伝わってきます。
また、古き時代への想いとともに
新しい時代への希望といったものも
そこはかとなく感じとれます。
この和更紗の文様は、
大正時代になると、また大きく変わっていきます。
次回は大正時代以降の和更紗の文様について
お話ししたいと思います。
※写真の和更紗は「更紗の帯展」にて取り扱っています。
(※1)2009年8月25日更新のブログ「和更紗の文様について」を参照してください。
花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は9月8日(火)予定です。
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