花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

花邑日記

2008-10-14 | 花邑日記

presented by hanamura


日本の文化を語るときには、良く「粋」という言葉が使われます。
この「粋」には、研ぎ澄まされた色気という意味が込められているように思います。

そして「粋」は、着物のデザインを表現するときにも、
ひんぱんに用いられています。
その中でもとくに「粋」といわれる着物が「江戸小紋」です。
江戸小紋は遠くから見ると、無地一色の着物に見えます。
しかし近くから見ると、びっくりするぐらいの細かい文様が
全体に染められてるのが分かります。
その「仕掛け」はまさに「粋」そのものです。



さて、この「江戸小紋」をつくるときには、
精緻な型を彫る「彫り師」と、
その型を生地に染め上げる「染め師」と呼ばれる職人さんがいます。

その「染め師」の職人さんにお話しを伺えるということで、人形町まで行ってきました。

職人さんは江戸小紋の染めについて、
『江戸小紋をきれいに染めるには長い年月がかかります。』
と前置きして、
『縞や霰(あられ)など一見単純にみえる柄は少しの失敗でも目立ってしまいます。
単純な柄のものほどごまかしがきかないので、とてもむずかしいんですよ。』
と話してくれました。

そして、染めるときに使う道具の説明をしてくれました。
丁寧につくられた何種類ものへらと刷毛をみせて、
『こういった道具もなくなってきているんですよ。
作り手もいなくなり、道具の材料さえも手に入れるのが困難な状態です。』
と寂しそうに話してくれました。



なくなってきているのは、へらや刷毛などの道具だけではありません。
江戸小紋を染めるための最も大事な道具である「型紙」さえも、
少なくなってきているようです。

『江戸小紋の型紙は伊勢の白子で作られます。
しかし現在では、その後継者も少なくなり、良い型紙が手に入りにくくなっています。
染めの職人がいくらよい腕を持っていても、
良い型紙がないと、きれいに染めあげることはできません。』

そうきっぱりと言いながら、興味深いお話しをしてくれました。

『そのため、昔から彫り師はとても権限を持っています。
江戸時代では彫り師は特別に通行手形もいらないほどでした。
もしかすると、江戸時代にはそういった彫り師が忍者になって各地を
まわっていたのかもしれません。
伊勢の地方に忍者が多いと言われるのはそういったこととも
関係があるかもしれないですね。』

江戸小紋のお話しに忍者が登場するとは、驚きです。
しかし、伝統と歴史をもつ着物だからこそのお話しなんです。

江戸小紋の歴史は古く、
もともとは室町時代に武士の鎧や家紋に用いられたのがはじまりのようです。
やがて江戸時代になると、武士の裃(かみしも)の柄に
使われるようになりました。
しかし当時は徳川家は「鮫小紋」というように、
使う家によって文様は特定されていました。
しかし江戸時代中期には、町人にもそのデザインが広まり、
文様の細かさを競いあうように、より精緻でいろいろな柄の江戸小紋が増えたようです。

精緻な「型紙」を彫ることができる熟練した「彫り師」が重宝された様子が目に浮かびます。

その江戸小紋は現在では「東京染小紋」とも呼ばれています。
そして、伝統工芸品として国から認定を受け、
街着や礼装用として多くの場面に用いられているのです。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は10月21日(火)予定です。


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