OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

人間の想像力が生み出す世界はマルチバースを・・・

2023-12-20 14:13:48 | Weblog
数日前に、劉慈欣さんの小説『三体』と、それをドラマ化した『三体』を、同時進行で鑑賞して、ちょっとだけだけど以前の感受性がよみがえりかけた気がした・・・と話しました。それでもって、若き日に夢中になった、ベルヌとか、アシモフとか、左京さんとか、SF小説に対する思いを思い出したと・・・

SF小説の先駆者であるベルヌの場合は、彼の時代にはまだは実用化されていないような技術が小説の中にたくさん出てくるけど、私の時代では、すでにけっこう当たり前になっているものが多いので、どちらかというと精神的な部分で惹かれていたんです・・・たとえば『海底二万海里』のネモ艦長の絶望的な孤独とか。でも、アシモフになると、ロボットシリーズのもつ、ベルヌにも通じる切なさも魅力ですが、ファウンデーションシリーズなどで見せつけられる"世界を構築する力"に驚嘆しました。そして、左京さんの、神の領域にも踏み込んでいく探求心と恐れを知らない挑戦力に喝采を送りました。

文学は、人の心の中に切り込んで、それを表現するものだけど・・・SFは、そんな人を含めた"世界"を、作家が自身の知識と想像力で再構築、再創造していくものだなぁ~と思っていました。当時(私が若いころ)、SF小説の地位はまだまだ低かったみたいだけれど、SF小説を理解しない奴らこそ愚かだなと思っていました。

そんなSF好きのわたしでも、当時はまだ、馴染みのあるのは四次元やパラレルワールドくらいだったんですが・・・今じゃ、マルチバースだとか、超弦理論の10次元だとか、信じられない高次元の話があたりまえに語られていて・・・ああ~、完全に取り残されてるなぁ~って思います(^^;。

けどね・・・ふと思ったんですよ・・・科学者の人たちは、ちゃんとした理論でもって高次元のことを語っているけど・・・文系の頭脳しか持ち合わせていない者だからこその発想が、独自に発展していってもいいんじゃないかなって・・・

というのは・・・宇宙の中では、空間的にも時間的にもあまりにもちっぽけな存在である人類、その人類の個々の頭や心の中で生み出される世界の広がりの豊かさ・・・ただの想像ではなく、創造になってないかい?科学者の人たちの言うのとは違ってはいるけれど、これもまた、別形態の次元を生み出してないかい? いや、ほんとうに、何かの形でマルチバースなんかとも、実際に関わってるんじゃないかい?

以前にもお話した、"思い"って何だろうとも通じる話なんですが・・・たしかに"思い"って存在しているんですよ。わたしの拙い理解力では、物質っていうのは、どんどん形が変わっていっても、無くなるってことはないイメージなんですが、心に起因するものって、そういうセオリーからは外れていて、主体がなくなれば消えていくものように感じられて・・・だから、両者は、まったく別のカテゴリーのように見えるけど、多次元が当たり前に語られるようになった今、そして未来なら、そうではない理解もあり得るんじゃないかと・・・

いや、自分でも、何を言ってんだか、よく分からないんですけどね・・・うん・・・わかんないんですけど・・・