OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

「名前&数字」と「無償の愛」の二本立て(^^;

2008-09-26 19:32:28 | Weblog
昨日は、ついにダウンしちゃいました。え?ダウンなんて表現が古いだろうって?仕方ありません、人間が古いですから(^^;。正直、今も調子は悪いんですが、横になってさえいれば樂なんですよね。なんだか、ちょっといつもと勝手が違うんですが・・・まっ、いろいろありますよね、これだけ生きてたら(爆)。皆さんも、季節の変わり目、体調には気をつけてくださいね。休めれれば、まだ良いんですが、休めない環境の方もいらっしゃるでしょうからね。

で・・・今日の話題は「名前&数字」と「無償の愛」。

まず「名前&数字」からいきます。車で知らない場所に出かける時、つくづく思うのは、『小さな交差点にも、是非とも交差点名の表示をお願いします』ってことなんですよね。わたしは、カーナビ派ではなく地図派なんですが、地図と実際の場所の両方に交差点名表示があると、とっても便利。道に迷う確立が、ずんと減るんですもの。けど、意外に表示されてなくて・・・けっこう、近くまで行っているのに、迷っちゃう事、あるんですよね。

でね・・・その交差点名なんですが・・・概ね住所や近くの施設に由来していると思うんですが、味気のある名前と味気のない名前がありますよね。郵便配達などに便利だとかで、住所表示が簡単なものに変更されるようになって、どんどん味気のある住所が減ってきているようですが、その地域の歴史ドラマを想像させるような名前は、素敵だと思いますよね。

とは言っても、数字表示などにも、確かに便利なところはあるんです。なんていうか・・・数字だと、関係性が明確になりますものね。たとえば、一丁目の横には2丁目があるだろうと容易に想像がつくみたいな・・・そういう便利さが、数字表示にはありますね。だから、もちろん良さもあるんですが・・・やっぱり、味気ないのは味気ないですよね。

でも、関係性が明確っていう部分では、苗字なんてのは数字以上に関係性を顕著に表していませんか。昔の人の名前の付け方は、個人名の方でも、関係性が見えやすいですし・・・ふむ、奥深いなぁ~、名前って。伝える情報量の含み方が、なんだか尋常じゃない気がしてきましたよ(^^)。

と、名前と数字の話はここまで。堀下がらなくて、スミマセンでしたです(^^;。

で、次は、無償の愛の話を。

あのね・・・無償の愛って、すごく立派なもののように言うじゃないですか。何も求めない愛で、本当の愛の形なんだみたいな。でもね・・・わたし、無償の愛だって、ギブ&テイクの要素をもっていると思うんですよ。

たしかに、無償の愛は、相手に何かをして欲しいとか、何かを貰いたいだとか、そういう直接的要求はしないわけですけど・・・でも、愛することによって、ものすごく沢山のことを得ているわけで・・・それを、誰よりも無償の愛を注ぐ側は知っているはずで・・・それを「わたしは何も求めていない」と勘違いするのは、有償の愛よりエゴイスティックだと思うんですよ。

無償の愛って、わたしの感覚では、超ナルシスト的行為なんですよ。だって、自己完結行為ですからね。相手に手出しをさせず、自分の中だけで充足してしまうわけですからね。それって、すごくエゴイスティックじゃないですか。それを、無償の愛の実行者は自覚すべきだと、わたしは思うんですけど・・・その感覚、オカシイですかね。案外、みなさん、共感してくださるんじゃないかとも思うんですけどね(^^)。

と・・・今日は、こんなところで、勘弁してあげましょう(爆)。毎度、ぐだぐだ話にお付き合いくださって、ありがとうございました。