OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

高慢と偏見・・・ではなく、高慢と誇り

2007-06-14 19:55:16 | Weblog
タイトルで、ちょっと遊んでみました。そしたら、また見たくなったかも、コリンの名TVドラマ『高慢と偏見』・・・っと、それは、この際、関係ないか(^^;。

たぶん、最近のワタシの文章から、コイツ、煮詰まってるなとか、消耗してるなと感じている、鋭い方たちもいらっしゃったと思うんですが・・・お察しの通り、かなり煮詰まってました。もう、自暴自棄に近いくらい(爆)。

以前は「なんで一番得意なことで、お金が稼げないんだろ」というのが悩みだったんですが・・・多少なりとも、その一番得意なことで、お金を稼ぐようになって、徐々に溜まってきた思いというのが「わたしは今、一番大切なことを冒涜してるんじゃないだろうか」と言うことだったりします。

ここのところ、自分に言い聞かせるように書いている「それが、仕事というものなのだから」というフレーズ・・・それも、そろそろ限界に近づいて、わたしの中で何かが崩れそうになっていました。

お金を稼ぐためだけに必要とされる文章・・・そして、わたしも、それをお金を稼ぐためだけに書いている・・・まるで、恋人を金で宿敵に売り渡してでもいるような・・・毎日、大切なものを蹂躙し、また自分自身をも蹂躙しているこの感じ・・・自分が惨めで、哀れで・・・恥ずかしくて、恨めしくて、憎悪して・・・

でも、せめて、そんな中でも、自分なりのプライドを持って、たとえ質など求められていなくても、制約があろうとも、自分が納得出来るように精一杯良いと思えるものを書こうと・・・それが、唯一残された、わたしの道なのだと・・・

けど、実際は、自分が納得できるものが書けたときが、一番「わたしは何をしているんだろう」と落ち込んだりするわけです。なんていうのかな・・・わたしは、この文章を、たかが○円で売り渡すのかと・・・それなら、いっそタダで渡した方がいいと・・・そんな風に思えて・・・な、わけです。

でもね・・・今日、わたし、教えられたんですよ・・・わたの中に渦巻いている、この遣り切れなさって、わたしの誇りじゃなくて、高慢に支配されたものなんだって。

だってね・・・わたしが、そんなことを考えている時って、わたしに仕事を発注してくれる人たちは、みんな只の金の亡者で、一方わたしは高邁な精神を持つお偉い執筆者だと思ってるってことじゃないですか。けど、実際は、そんなことないんですよね。皆さん、それぞれに一生懸命、自分の仕事に誇りと向上心を持って、頑張ってらっしゃるんですよね。でも、それが、自分に精一杯のワタシには、まったく見えてなくて・・・自分の弱さだとか、自分の未熟さだとかを、他人にオッ被せて、グジグシと愚にもつかない愚痴を言ってるだけですからね。

最近、バタバタと、以前、一緒にお仕事をした人からの再度の依頼があったり、全く新規の依頼が幾つかあったり、一緒にお仕事をしていた人からの紹介で新しいお仕事の依頼が増えたり、今まで、自分がしてきたことが、認められてきている気配なんですけど・・・そのことを、今のワタシが、どう受け止めるか・・・それで、今後の仕事の展開だけじゃなく、わたし自身の人間性の部分にも、大きな影響があると思うんですよね。

プライドをもって仕事をすることは、絶対に必要な事なんですが・・・それが、高慢になってはいけないですよね。仕事が出来るってことの有難さを、もう一度噛み締めて・・・また、頑張らなきゃと、少し復活の兆しです。でも、この光も、自分一人じゃ、見出せなかった・・・やっぱり、周りから受ける刺激って、必要ですよね。ほんとに、助けられました。