ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

大橋巨泉の死

2016-07-22 12:52:00 | 日記

往年の人気タレントであった大橋巨泉が亡くなったとの記事を読んだ。

特段、好きな人ではなかったが、才能のある人だとは思っていた。おそらくだが、集中力が桁外れにあったのだろうと思う。だから、様々な芸事を収め、多趣味多才でいられたのだと思う。

ただ、私はこの人、たいした業績は残せないタイプだとも思っていた。もちろん、TVの司会者としては際立っており、「クイズダービー」などの司会者としての采配ぶりは、私でも覚えている。

また絶対、TVでは受けないとされた麻雀をTV番組のメインに据えたのも、この大橋巨泉あってのものであった。そして男なら忘れがたき名番組である「11PM」である。

女性や教育関係者は眉を潜めるであろうが、大人向けのお色気番組の走りであり、私なんざどうやって母や妹たちの眼をかすめて、この番組を見るか四苦八苦した記憶がある。TVをあまり見ない私に、これだけの印象を残したのだから、相応に大物であったと思う。

しかし、人気絶頂期にリタイアして、海外でのお土産店展開だと、ゴルフ三昧などと日本人離れした余生を過ごした人でもある。が、時々、日本に戻ってきて、妙に大物ぶった態度で、TV番組に潜り込んでいたのが滑稽だった。

かつては流行の先端を行く券\人であったが、既に過去の人であり、なんかズレている印象が否めなかった。その極みが政界進出である。

大橋巨泉が国政選挙に出馬して当選した時、私はなんとなくだが、すぐに放り出すような気がしていた。これまで、散々ワンマン・プレイヤーとして好き勝手していた人が、妥協と対立が繰り返される政治の世界に耐えられる訳がないと思っていたからだ。

案の定、巨泉はすぐに辞職して、彼に投票した有権者の期待を裏切った。一応謝罪はしていたが、心から反省しているようには思えず、むしろ旧来の政治の悪習こそが問題であるかのように責任転嫁していたのが不快であった。

私はこの人が、TV業界に与えた影響を貶める気はないが、本人は才に溺れた人だと思っている。かなりの見栄っ張りというか、プライドが高く、常に上から目線でいた高飛車な態度は、彼自身の努力を基盤としていた。それは認めるが、結局最後は自分本位でさっさと仕事を投げ出す節操のなさを、自由だと勘違いしていたように思えてならなかった。

でも、多分ですが、本人は「よっしゃ、よっしゃ」と言いながら、満足して死んでいったと思います。より正確に云えば、周囲から、そう思われるように配慮して死んでいったとも思うのです。

死因は、やはり癌でしょうけど、終末期の癌がそれほど楽なわけがない。それなのに、そう思わせずに死んでいこうとした、その見栄っ張りぶりは本物なのだとも思います。容易に出来る事ではなかったでしょうね。

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ファインディング・ドリー

2016-07-21 12:46:00 | 映画

忘れてしまったほうが幸せなこともある。

でも、忘れたくない幸せだってある。それなのに思い出せないのは何故だろう。

私の父母が離婚したのは、忘れもしない小2の梅雨の時期であった。いや、梅雨明けの頃だったかもしれない。あの晩、妹たちが寝静まった夜、離婚のことを母から聞かされた。

あの晩のことは、一度も忘れたことがない。あの時、雷雨であったことも覚えている。なにより、母が初めて見せた嗚咽に、私は衝撃を受けて父を憎んだことだって覚えている。

ただ、離婚そのものは、それほど衝撃ではなかった。既に一年近く、両親がともに揃っての家族の団欒の記憶がなかったから。

両親は、子供たちの前では決して喧嘩はしなかったように思う。少なくても私の記憶にはない。嫌なことは忘れる性分なので、私が忘れてしまっている可能性もあるが、家庭では外のゴタゴタを持ち込まない家風の家だったので、おそらく子供がいるときは夫婦喧嘩はしていないと思う。

でも、気が付いてしまうものだ。だって、父は家に居なかったから。幼い時は、父に連れられて、いろんなところに行ったものだ。家族旅行だって、何度も行っている。

いつからだろう、父が子犬のルルを連れてきた時は、まだ旅行や食事にみんなで行っていたと思う。でも正月の祖父母の家に行くときは不在であった。父方の祖父母の家にも行かなくなっていた。

予感なんてなかったけれど、私は父母の離婚を静かに受け止められた。その時は心の奥底に深い傷を負ったことを自覚してなかっただけでもあった。

思い出せないのは、父母と私ら子供たちが笑顔でいる場面だ。絶対にあったはずなのに、それが思い出せない。父と母が並んで笑っている場面を、まるで思い出せない。

写真だって、あったはずだと思うが、母が仕舞いこんでしまい、どこにあるのか分からない。本来なら、忘れたくない思い出なのに、私は忘れてしまった。それが幸せなことなのか、そうでないのか、未だに答えを見いだせずにいる。

表題の映画は、あの大ヒット作「ファインディング・ニモ」の続編にあたる。生来の健忘症の気があるドリーが、ふとしたことから、忘れていた両親のことを思い出したことから始まる大冒険(笑)。

けっこうシビアに感じることもあったけど、楽しい映画であることもまた間違いありません。傍にいれば、けっこう迷惑な存在である、忘れん坊のドリーと、そのドリーを優しくフォローするニモの気遣いが心に沁みます。

3Dの出来も良いので、出来たら映画館のスクリーンでどうぞ。

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イスラム・テロと日本

2016-07-20 11:54:00 | 社会・政治・一般

ヨーロッパでテロが頻発している。

先週末も、花火大会で人が集まるフランスのリゾート地ニースで、トラックの暴走テロが起き、数十人が死傷した。

こんな事件が起きると、日本でもテロの可能性がと騒ぐ人たちがいる。まァ、主にマスコミなのだが、あれはネタが欲しくて騒ぐだけ。たいして、中身のあることを言ってない。

可能性はゼロではないだろうと思うが、非常に低いと私は考えている。

その理由として、日本におけるイスラム教徒の人たちの数の少なさがある。日本に定住、もしくは長期滞在しているイスラム教徒は極めて少ない。だいたいだが、10万人前後だと云われている。

実は外務省も、法務省、入国管理事務所も正確な数を把握していない。これは、日本が宗教で人を区別する習慣がないからでもある。ほとんどの国では、外国人が入国する際に、記入するカードに宗教の欄があるのだが、日本人はこの欄をほとんど書かない。

だから入管でも、宗教欄は空白でも、まったく気にしていない。国内に定住、長期滞在する外国人を、一応は管理しているが、その際も宗教はチェック項目ではない。だから、日本政府は警察も、公安も、イスラム教徒を完全に把握していないのが実情である。

そこで当然、イスラムのテロリストによるテロが起きる可能性を危惧する声が上がるのは当然である。

ところが、その可能性は非常に低いと私が考えるのは、まず歴史的経緯である。日本はインドネシアを除いてイスラム教徒の住む地に軍事的な支配をしたことがない。中東とは、まったく無縁であり、石油さえなければ、まったくの無関係である。

また世界最大のイスラム国家であるインドネシアとは良くも悪くも友好的な関係にある。これはオランダからの独立に際し、帰国せずに残留した日本兵士たちが協力していたり、戦後のODAを通じてインドネシア政府と癒着していたせいでもある。

アフリカのイスラム諸国とは縁もゆかりもなく、中央アジアのムスリムとも無縁であった。それゆえ、肝心のイスラム教徒自身に、日本に対する敵愾心が存在しない。せいぜい、アメリカのポチとしての蔑視ぐらいだろう。

また、日本はイスラム教徒を差別しない国として、イスラム圏では知られている。イスラエルとの戦争でも、日本の大衆はイスラム側へ好意的であった。日本政府は、石油の為イスラム諸国との友好に奔走する一方、アメリカとの関係もあり、イスラエルに対する敵対行動こそとっていない。良く言って中立であったし、悪く言えば功利的であった。その程度であった。

しかし、欧米は違う。

人類の歴史の大半において、オリエントの地は文明の中心地であったし、イスラム文明は17世紀までは先進的な存在であった。それを踏みにじったのがヨーロッパであった。

イランとエジプト、トルコがかろうじて独立を維持していたが、実質的にはヨーロッパの軍事力に屈した。アフリカのイスラム諸国は、植民地として屈辱を舐めた。石油が出てからは、経済的には恵まれたが、その利権はアメリカに抑え込まれた。

イスラムが欧米に抱く屈辱と憎悪は、歴史的にも根深く、独立国となった今でも、欧米とは縁を切ることも出来ず、心の奥底に敵愾心を眠らせている。なかでも、旧・宗主国であるヨーロッパに渡って暮らしているイスラム教徒が抱く、失望と挫折と苦悩は凄まじい。

ISSによるテロは、その心の奥底の憎悪を燃料にしている。たとえISSが潰されても、その憎悪は消え去ることはないと断言できる。

とはいえ、如何に欧米への憎しみをたぎらせたイスラム教徒といえども、そうそうテロには走れない。テロが出来る戦士は貴重な存在である。だからこそ、わざわざ日本においてテロをやる価値は低い。

だから、私はそれほど警戒することはないと考えているのです。もっとも海外にいる日本人、とりわけ観光客とジャーナリストは、テロリストにとって、カモが葱背負って、タレ振りまきながら歩いているようなものです。海外に居る時は、これまで以上に注意が必要だとも考えています。

このイスラム・テロは、基本的には対欧米の問題と捉えるべきでしょう。ただし、日本がやるべきことがない訳ではない。ユーラシアの東端にて孤立した島国である日本は、その地理上の制約ゆえに、欧米対イスラムの構図に巻き込まれることは少ない。

世界人口の四分の一は、イスラムであることを考えれば、長期的視点に立ってイスラムとの友好的な立場を強化することは日本の利に叶うことだと思います。軍事面ではなく、経済や文化面での友好関係強化を目指すべきだと思いますよ。

まずは、観光面での受け入れ強化を進めるべきでしょうね。これは、既に始まっており、今後問題山積でしょうけど、私は敢えて進めるべきものだと思っています。

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犬の力 ドン・ウィンズロウ

2016-07-19 12:45:00 | 

本当に面白い本を読む時、その物語が終わりに近づくのが嫌で、敢えて読まずに数日置くことがある。

本当は、早く続きが読みたい。その結末が知りたい。でも、この面白さを長く味わいたいが故に、終わってしまうのが惜しくて、本に手を伸ばすのを控えてしまう。

こんな本に出くわすことは滅多にない。そして、久しぶりに出くわしてしまった。それが表題の作品だ。

上下巻で1000頁を超す大作なのだが、読めば読むほど、続きが読みたくなる。だから、終盤に近付くと、終わって欲しくないとの思いが湧き出てくる。だから、思わず本を閉じて、盛り上がるところを再び読んだりして時間稼ぎをしてしまう。

それでも決着を読まずにはいられない。

犬の力とは、聖書からの引用であるが、それは暴力の力であり、意志の力であり、信念の力でもある。その圧涛Iな力が、読者を惹きつけて止まない。アメリカとメキシコの麻薬組織との30年戦争を背景にしており、日本に居ては理解しにくい当地の事情が、生き生きと描かれている。

多分、私はこの本を何度か再読すると思う。

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上を向いて歩こう

2016-07-15 12:11:00 | 音楽

涙を隠すために、上を向いて歩こう。

そんな気持ちを歌にして、故・坂本九の大ヒットとなった「上を向いて歩こう」の作詞者である、永六輔が亡くなったとの報はラジオで聴いた。正直言うと、いささか複雑な心境です。

この曲が名曲であることは否定しない。他にも「遠くへ行きたい」などの名曲があることも知っている。だが、私の心境として、素直にその死を悼む気にはなれない。

太平洋戦争に負けて、焼野原となった日本がそこから再び立ち上がるのは、決して容易なことではなかった。戦後の奇跡といって良いほどの高度成長を遂げた日本ではあるが、その眩しいほどの復活の裏には、悲惨な現実もあったことは疑いもない。

それは公害問題であったり、砂川闘争に代表される米軍基地問題であったい、はたまた下請け工場での過酷な労働環境であったりと、決して無視して良い問題ではなかった。私の子供の頃は、そんな問題に立ち向かう善意あふれる大人たちを、心強く思っていた。私も早く大人になって、彼らの一助になりたいと切望していた。そして、永六輔もその一人であったと思う。

ただ、その頃から疑問に思うことは多々あった。

なんで、憲法9条で平和が守れると思い込めるのか。悪ガキどもの世界なんざ、目が合っただけ、肩が触れただけで、次の瞬間殴り合いである。先手必勝であり、喧嘩に勝ったものが正しい。それが現実だと、私は痛みと屈辱に震えながら学んでいた。

涙を隠すために、上を向くのはイイさね。でも、足元しっかりと見なければ、躓くのも必然。前をしっかり見てなければ、どこからトラブルはやってくるか、わかりゃしない。

話せば分かることもある。でも、話す前に、まず殴り合っている場合、いくら話しても、正しいのは勝ったものの言い分だ。上を向いて涙を隠すより、涙目をこすりながらも、しっかりと相手を睨みつけることだって大事だ。

だから、私は永六輔の言い分が納得できなかった。私はラジオ大好きな学生時代を送っていたので、永六輔の出演しているラジオ番組はかなり聴いていた。分かりやすく、丁寧に語るのだが、その内容は時として私を苛立たせた。

当時はその理由を、自分でもよく分かっていなかったが、今なら分かる。彼は理想の世界に目を向けてはいたが、現実を直視することを避けていた。

それは、アメリカ軍にこそ平和を守ってもらっている現実であり、軍隊こそが平和を守れている現実であり、一発の銃弾で、話し合いなど霧散してしまう現実でもあった。

涙を隠すために、上を向いて歩くのもいい。でも、しっかりと、現実を直視することを避けてはいけない。歌自体は良い曲、良い歌詞なんですけどね。

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