ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

上を向いて歩こう

2016-07-15 12:11:00 | 音楽

涙を隠すために、上を向いて歩こう。

そんな気持ちを歌にして、故・坂本九の大ヒットとなった「上を向いて歩こう」の作詞者である、永六輔が亡くなったとの報はラジオで聴いた。正直言うと、いささか複雑な心境です。

この曲が名曲であることは否定しない。他にも「遠くへ行きたい」などの名曲があることも知っている。だが、私の心境として、素直にその死を悼む気にはなれない。

太平洋戦争に負けて、焼野原となった日本がそこから再び立ち上がるのは、決して容易なことではなかった。戦後の奇跡といって良いほどの高度成長を遂げた日本ではあるが、その眩しいほどの復活の裏には、悲惨な現実もあったことは疑いもない。

それは公害問題であったり、砂川闘争に代表される米軍基地問題であったい、はたまた下請け工場での過酷な労働環境であったりと、決して無視して良い問題ではなかった。私の子供の頃は、そんな問題に立ち向かう善意あふれる大人たちを、心強く思っていた。私も早く大人になって、彼らの一助になりたいと切望していた。そして、永六輔もその一人であったと思う。

ただ、その頃から疑問に思うことは多々あった。

なんで、憲法9条で平和が守れると思い込めるのか。悪ガキどもの世界なんざ、目が合っただけ、肩が触れただけで、次の瞬間殴り合いである。先手必勝であり、喧嘩に勝ったものが正しい。それが現実だと、私は痛みと屈辱に震えながら学んでいた。

涙を隠すために、上を向くのはイイさね。でも、足元しっかりと見なければ、躓くのも必然。前をしっかり見てなければ、どこからトラブルはやってくるか、わかりゃしない。

話せば分かることもある。でも、話す前に、まず殴り合っている場合、いくら話しても、正しいのは勝ったものの言い分だ。上を向いて涙を隠すより、涙目をこすりながらも、しっかりと相手を睨みつけることだって大事だ。

だから、私は永六輔の言い分が納得できなかった。私はラジオ大好きな学生時代を送っていたので、永六輔の出演しているラジオ番組はかなり聴いていた。分かりやすく、丁寧に語るのだが、その内容は時として私を苛立たせた。

当時はその理由を、自分でもよく分かっていなかったが、今なら分かる。彼は理想の世界に目を向けてはいたが、現実を直視することを避けていた。

それは、アメリカ軍にこそ平和を守ってもらっている現実であり、軍隊こそが平和を守れている現実であり、一発の銃弾で、話し合いなど霧散してしまう現実でもあった。

涙を隠すために、上を向いて歩くのもいい。でも、しっかりと、現実を直視することを避けてはいけない。歌自体は良い曲、良い歌詞なんですけどね。

コメント (2)
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