ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「風と炎と」 堺屋太一

2006-12-01 09:25:04 | 
日本の行政を動かしているのは大臣ではなく、行政職である官僚たちだ。もっと言えば、いわゆるキャリア官僚たちこそが、日本の行政を動かしている。

私が興味深く思うのは、退職したキャリア官僚は、意外なほど日本の行政庁に対して批判的な意見の持ち主が多いことだ。昨年、間税会主催の講演で話された某氏は、日本の金融機関の現状を多いに批判し、更にその監督官庁である金融庁及び旧・大蔵省を穏やかに、されど辛らつに批判した。

ちなみにこの某氏は、現職の時は金融庁及び大蔵省の高級幹部だ。現在も霞ヶ関近辺の高層ビルの一角に事務所を構えて仕事をされている。間税会に招かれたのも、一時期税関の部門に在籍していたからだと思う。

正直言って、この方の主張(政府はもっと銀行を監督強化すべき)は必ずしも同意できるものではなかった。しかしバブル崩壊の最中にあって、事実上崩壊寸前にあった日本の金融界を監督する立場にあった人だけに、その意見にはかなりの説得力があった。訳あって紹介できないのが残念だ。

でもね、だったら何故現職時にやらなかったのか、と思わざる得ない。いや、多分内部では熾烈な意見対立があったのだろう。そしてその対立に破れたのであろうことは想像に難くない。

この某氏にみられるように、退職したキャリア官僚たちの話はけっこう面白い。官僚というものは、基本的に保守だ。現状を正しいと信じ、前例に従い、新しい現実を無理やり過去に押し込める。それゆえ、どうしても民間の立場からすると反発を禁じえない。

ことろが、我々民間の立場の人間が思う以上に、彼等官僚たちは現状に不満を持っていることが少なくない。その不満に耐え切れず、霞ヶ関から退くものもしばしばいる。最近の流行は、国会議員になることのようだ。

かつて、万博開催に尽力をつくし、その後通産省を退官した官僚の一人が、表題の本の作者だ。以前から私は官僚というものの見識に疑念を持っていたが、その疑念を覆してくれたのが、この本だった。考えてみれば当然のことだ。キャリア官僚になるには膨大な勉学が必要とされる。ただ官職につけば、その組織の中の立場に応じた発言・行動しか出来ない。だからこそ、退職して枠がはずされると、心の奥底に秘めていた個人としての見識が吹き出してくるのだろう。

私個人としては、堺屋氏の歴史認識を全面的に肯定する気はないが、かなり勉強になったと思う。なにより、官僚に対する私の偏見を大きく変えてくれた。その意味で忘れがたい本です。
コメント (2)
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