馬鹿だから貧乏。
かなり乱暴な言い様だとは思うが、否定しがたいのは真実の一面をついているからだ。実際問題、貧乏人の子は貧乏人に育つことが少なくない。もちろん例外も数多あることは知っている。
だが貧乏から抜け出した人の大半は、家庭での躾がしっかりしてた人たちだ。倹約に励み、地味な仕事を厭わず、華美に走らず、酒や賭け事に手を出さない。学校では教わらない人生の基本だと思うが、これを実践してきたからこそ貧乏から抜け出せた。
それとは逆に親が馬鹿だから貧乏である場合、それを見て育った子供も馬鹿に育ち、結果的に貧乏となることが多い。
かつて社会主義がまだ輝きを失ってなかった頃、真面目な共産党の政治家が「資本主義こそが貧乏の原因です。貪欲な資本家から労働者の正当な権利を取り戻さなければイケません」と叫んでいるのを聴きながら、私は違和感を禁じ得なかった。
資本主義だろうが、社会主義だろうが、馬鹿は馬鹿のままじゃないか?
私は知っていた。いくら金を稼いでも、馬鹿はその金を馬鹿らしいことに使ってしまう。稼ぐ以上に使ってしまい、残ったのは借金ばかり。馬鹿が貧乏なのは当たり前じゃないか。
進学する気がないゆえに勉強に興味はなかったが、馬鹿で貧乏なのは嫌だったので、本だけは読んでいたのは知識欲だけが理由ではなかった。世の中の仕組みが分かっていれば、学歴がなくても稼げることを知っていたからでもある。
もっとも馬鹿でもなく、学歴もあって、それでも貧乏な人がいることも知っていた。
あるいは馬鹿ではあっても、その馬鹿が愛される人がいることも知っていた。馬鹿にもいろいろあるのだと、子供心に不思議に思っていた。
実際のところ、馬鹿は強い。馬鹿は逞しい。そして馬鹿はふてぶてしい。知識はなくても腕力で乗り切ってしまう。知恵はなくてもずる賢さなら確かにある。そして常識が通じないがゆえに、世間の常識に押し潰されることがない。
若い頃はけっこう馬鹿を馬鹿にしていたが、最近はそうでもないのは、この馬鹿ゆえの強さを知ったからだと思う。
表題の作品の著者は、西原理恵子の初期の漫画で「金角」として登場していたから、西原ファンの間では有名であった。西原が用心棒として連れ歩いていたようだが、いろいろな出版社に「面白い文章を書く人」と紹介してまくっていたらしい。
暴走族あがりであり、まともな職に就いても長続きしたことなく、問題があればそのぶっとい腕で強引に解決しちゃう乱暴な大男でしかなかった。にもかかわらず、西原は見捨てることなく、彼を売り込むことを止めなかった。のちにゲッツ板谷のペンネームでライターとして活躍することになるとは、予想だに出来なかった。
いったい西原は、何時から、いかにして彼の才能を知っていたのだろうか。大ヒット作こそないが、現在は20冊近い著作を世に出しているプロのライター(原稿書き)である。
西原は、漫画やエッセーのなかで、時折板谷氏のことを「本当は優しいイイ子」だと語っている。暴走族あがりで、やくざになりかけた板谷氏を文筆業の世界に引き込み、まともに育て上げたのは、西原のお節介あってのものなのだろう。
嫌な言い方で申し訳ないが、もし西原がいなかったら板谷氏はあまりまともな人生を送ることはなかった気がする。だが、それを契機にフリーのライターとして活躍できたのは、上記の作品中にはほとんど出てこない真面目な母親の存在あってこそではないかと思っている。
この作品で散々書かれている板谷氏の祖母、父親、そして弟の馬鹿ぶりは笑うしかない見事なものだが、その家庭を裏で支える優しい母親あってこそ「本当は優しいイイ子」のゲッツ板谷氏が育ったように思う。そして、それゆえに作中にはほとんど登場しないのだろう。
無理に読むような本ではないが、暇な時に十分笑いを提供してくれる、妙におかしい本なので興味がありましたら、どうぞ。
おまけに西原&金角
私もこの本、会社の同僚から借りて読みましたよ。
もう、あのお父さんが爆笑で、読みながら笑っぱなしでした。弟もおかしいんですよね。
ゲッツ板谷さんは、本当は頭が良い人なんだと思います。そうじゃなきゃ、あんな文章書けないと思う。
それと無茶苦茶な様で、板谷ファミリーはとっても絆が強いですよね。そういうのも、彼を支えてきたんだろうな・・って感じながら読みました。
書いてあることは馬鹿らしいのですが、真面目を気取っている人には出来ない楽しさだとも思うので、ついつい読んでしまいます。