ヌマンタの書斎

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ヨーロッパの失墜 2

2021-07-16 17:56:00 | 日記
先月のことだが、銀座の中央通りを歩いていたら、初老の男性から声をかけられた。

誰だか分からず、戸惑い気味に返事すると、なんとBMWの整備工場の名メカニックの方であった。品の良いご婦人を伴われていたが、多分奥様だろう。

誘われて近くの喫茶店で小一時間、昔話に花を咲かせた。既に退職しているそうだが、別れ際に見せてもらったお車は、懐かしのBMW2001であった。

名車として名高いが、さすがに古すぎるので、今も走っている事は稀だ。さすがに整備の達人と云われただけのことはある。あのストレート6の快音を響かせて去っていく姿は恰好良かった。

やはり、なんだかんだいってもBMWの車、特に古いタイプが好きなのだろう。

私も久々にあの大晦日の夜のことを思い出した次第だ。

話は前後するが、私は20代の頃、ドイツ車に憧れていた。特にベンツとBMWは別格であった。だからこそ整備工場に持ち込まれる故障車の多さに戸惑っていた。

そのことを話すと、メカニックの方は意味深に笑いながら、そりゃ当然だよと言い切った。ヨーロッパの車はその土地の環境に合わせて進化してきた。高速で走れるアウトバーンや、石畳の街路が車を育てた。

そんな車を、高温多湿で渋滞が多く、急加速と急ブレーキを繰り返す市街地で運転すれば故障が多くなるのは当然だ。そう言った後、彼はニヤリと笑い、これは内緒の話だぞと前置きした。

その整備工場では、西ドイツ(統一前)の本社から送られてきた膨大な整備マニュアルがあり、それに従って故障車の修理を行っている。しかし、彼に言わせると、このマニュアル通りでは完全には直らない。

ウソは書いてないが、日本の実情に合わせたものではないこと。また、なによりも肝心のことが書いてない。いや、教える気がないのさと吐き捨てた。

彼はBMWに入社する前は、某国内自動車メーカーの整備士であり、有名なパリ~ダカール・ラリーにも何度も参加している。その時に某ラリーチームに勧誘され、ヨーロッパで働いていた経験があった。

そこで彼が体験したのは、想像を絶する現地の日本車及びその整備技術に対する蔑視であった。日本人に俺たちの車を直せる訳がない、そう何度も言われたそうだ。

過酷なラリーで酷使されたレース車を整備してきた彼の職人魂に火が付き、その蔑視を跳ね返す為、ドイツ語を学び、整備技術に磨きをかけた。あの頃の俺は若かったから、意地と根性で乗り切ったものだと恥ずかしげに笑う姿が恰好良かった。

気が付いた時には、彼は他のチームからも声がかかるほどの名メカニックとして高く評価されていた。その高い評価とは裏腹に、彼はむしろヨーロッパでの車造りの哲学に敗北感を痛感していた。

機械とは使えば使うほどに壊れるものだ。日本では壊れないモノづくりが前提となるが、こちらでは壊れることを前提に、いかに整備し修理していくか、までを考えた車造りがされている。

だから、日本車は買って5年くらいは、ほとんど壊れない。一方、ヨーロッパの車は、最初から修理が頻発するが、年数を経るごとに重大な修理はなくなっていく。10年たてば、むしろ使いやすくなっている。

ただ、日本ではユーザーに自身で整備する人は少ないし、その知識も技術もない。いや、整備工場だって、本当の整備の技術を持っている奴は少ない。だから、故障する外車が多いのは当然なんだ。でも、しっかりと整備された外車は、日本車とは別物。特にBMWのエンジンは最強だね。

だから俺はBMWに惚れたんだと話してくれた。

あの大晦日の晩から二十数年、久々に会いドイツ車の話を聞くと彼は「がっかりするよ」と大きくため息をついた。彼に言わせると、BMWもベンツも会社が大きくなり過ぎで、利益至上主義に陥っている、と。

部品を出来るだけ統一して、世界規模で発注する。組み立ては安くできる途上国でやるケースも増えている。昔のような丁寧な車造りは望めないのが、今のヨーロッパの車だと彼は嘆いた。

「ヌマンタ君よ、今なら日本車のほうが出来がイイ奴、多いぞ」、そう言って、彼は去っていった。

企業が利益を追求するのは当然のことだ。だが、世界中で車を売り捌くと、当然ながら世界市場で売れる最大公約数的な車造りが主流となる。それを進歩の一つだと考える事自体は間違っていない。

しかし、本来持っていたその車作りの伝統が薄れ、ヨーロッパの地で狽墲黷ス素地が失われた。特に以前は受注生産が当然だったベンツやBMWでさえ、大量販売を前提とするようになり、昔のような職人頼りの車造りが出来なくなっている。

嫌な言い方だが、アメリカ車や日本車に近寄ってしまったとも云える。昔気質の職人には、到底受け入れがたいのだろうと思う。

これは私見だが、欧州の車には貴族の香りがした。選ばれし者が乗る高級車としての矜持があった。しかし、アメリカや日本のように大量販売による利益を追求するとなると、どうしたって車の品位は落ちる。

今や本当の高級車なんて、ロールスロイス、ベントレー、マイバッハなどごく一部の超高価額車に限られるようになった。

だが、プライドだけは昔同様に異様に高いのが欧州の自動車メーカーだ。省エネ技術では日本に大きく水を開けられた現実は耐え難い屈辱なのだと思う。

だからこそEUは、石油燃焼型のエンジンを禁止して、電力により稼働する車への強制転換を打ち出した。その建前は、カーボン・ニュートラルだが、本音は日本メーカー排除である。

産業革命発祥の地がこの体たらくである。情けないものだ。
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