子供を読書好きに育てたい。
そう考える親は多いようだが、傍から見ていると勘違いというか、ズレている気がするケースを散見します。
幼いうちの読み聞かせは良いと思います。でも家庭で親と一緒に読書タイムには、些か疑問を感じます。子供の自由意志が抑圧されると思うから。これでは多分、読書好きな子供には育たないと思います。
私は人並みに読書好きだと自覚していますが、幼い時から学生の時まで、一度として親から読書を薦められたことはありません。また読んではいけないとか、これを読みなさいとかの管理も受けていません。
文字通り好き勝手に読んでいました。本棚にある本は、それが親の本であろうとなかろうと、私は自由に選び、気ままに読んでいました。ここではっきり言うと、私がその頃読みたかった本の多くは、学校推薦や書店の課題図書コーナーにある本ではありませんでした。
もっといえば、大人が子供に読ませるのを躊躇われる様な本が少なくありませんでした。つまり大人向けの本が読みたかった。十代前半で、私はマルキ・ド・サド「悪徳の栄え」,、アンブローズ・ピアス「悪魔の辞典」作者不詳「わが秘密の生涯」DHロレンス「チャタレイ夫人の恋人」は読んでいました。
もちろん日本の官能小説である川上宗薫や宇野鴻一郎だけでなく、SM小説の団鬼六なんかも読んでいました。でも、物足りないとも思っていたものです。むしろ大藪春彦や西村寿行のワイルド&エロスのほうが印象は強かった。
世の良識ある上品な親御さんからすれば、思春期に差しかかろうって時に、子供に読んで欲しくない本のオンパレードであることは自覚しています。
だからこそ思うのですが、上記のような悪書(?)を読みふけったからといって、人格が歪むとか、好色な人間に育つなんてことはないと思います。私自身、スケベではあっても正統派のつもりだし、無理強いというか特殊な性癖は皆無。どちらかといえば淡白かもしれません。
ちなみにうちの母親は、私が上記のような本を読んでいることに気が付いていたのか、いないのかは不明です。まるで干渉してきませんでしたから。ただ、妹たちは気が付いていたことは確実ですね。だからといって、妹たちがおかしくなってはいないと思います。
中年以降になって気が付いたのですが、どちらかといえば川上宗薫よりも川端康成のほうがはるかに官能的な小説を書いています。生々しいほどの色気よりも、日常生活の中で密かに覗かせる色気の方がはるかに上質であることも分かりました。
自画自賛のつもりはありませんが、私は若い頃に自由に悪書というか倫理的ではない良識からも外れたような本を読んだことで、むしろ却って良書と言われるような本の価値を、より深く理解できるようになったとさえ考えています。
子供を本当に本好きに育てたいのならば、親は子の読書に干渉しないことです。子供の多くは雑食というか、何にでも手を出すでしょう。それがたとえ悪書であったとしても、それを知ることで良書との違いを自ら学ぶものです。
最後にこれだけは断言できる。親に読書を強要されたような子供は、まず読書好きには育たないと思いますね。子供を信じて、自由に読ませることです。でも、それが出来ない親って、けっこう多いみたいですね。残念ですけど。
読書好きな人が親に勧められた本を読んでいるはずがありません。
kinkachoは家計を圧迫する子供の読書欲をもて余して、親に図書館に放り込まれました。あとは好きにしろと...そんなものじゃないですかね。