敢えて言ってしまうと、民主主義を掲げる国では、善人であるだけでは政治家は務まらない。
いや、現実の日本では、善人としか言いようがない政治家が数多あふれている。その善人たる政治家に、実際に政治権力を持たせてしまうとどうなるのか
その生きたサンプルが民主党政権であったと思う。
勘違いされると困るので、もう少し詳しく言うと、一人の個人として善人であることは良いことである。だが、選挙で選ばれた政治家として善人であることは、必ずしも良いとは言いかねる。
なぜなら民主主義とは、多くの意見のなかで最大多数のものを正しいと看做して、その実現を図る政治であるからだ。
すなわち、比較多数の人が、こうあって欲しいとの欲望を実現する役割を担うのが政治家だ。欲望の実現者として役割を担う以上、政治家が欲望を扱いなれていることが求められる。
これは欲の薄い人、つまり清廉潔白な人には不向きな役割でもある。えてして善人と云われる人は、欲望に淡白な人が少なくない。あるいは、自らが善人であることを自覚しているがゆえに、自分の欲望こそが正しいと思い込む傾向が強い。
自分が正しいのだから、自分の欲望と異なる欲望に対する理解力が薄い。このような善人が政治家となると、意見調調整力に欠けることが多く、議会政治が空転しがちとなる。
これが今の日本の政治の現況に現われている。
実際のところ、民主党だけでなく自民党にも、この手の善人政治家がありあふれている。もちろん、裏では多少は汚いこともしているだろうし、善人とは言い難い輩が紛れていることも分る。
だが、概ね善人面を臆面もなくさらしている。かつての自民党の悪役面丸出しの玄人政治家の顔をみることは滅多にない。
思い出されるのは、脂テカテカと欲を丸出しにして、堂々臆面もなく賄賂をばらまいた田中角栄だ。あるいは国民なんぞ馬鹿どもばかりとの蔑視を隠すのが下手だった佐藤栄作でもいい。
彼等は善人ではなかったかもしれないが、兎にも角にも一国を牽引するだけの器量を備えた政治家だった。現職中は常にマスコミの誹謗中傷の的となっていたが、反面多くの国民から頼られるだけの実力も持っていた。
おそらく自身でも善人でないことは自覚していたのではないか。でも、政治家としてやるべきこと、決断すべきことから逃げることはなかった。
小学校のホームルームのような明るく公正な議論なんぞせず、料亭やホテルの密室で根回し、裏交渉、恫喝、懐柔と手管を弄して議会政治を円滑に動かした。
私は十代前半の頃、新聞などで政治家が料亭で密会をしているさまを報道しているの知り、きっとやましい事を決めているに違いないと思っていた。もっとも反対する野党との協議は、裏でこそこそやるしかないだろうとも思っていた。
別に私が大人びていたわけでもなく、子供同士の付き合いだって似たようなものであることを知っていたからだ。誰かを村八分にしようとか、虐めようなんて相談は、クラス会などで堂々やるはずもなく、いつも放課後の体育館の裏や、帰り道の公園の片隅で決められていたものだ。
だから社会主義の理想に燃える大人たちが、自民党の政治家は陰でコソコソ悪だくみをしているから嫌いだ、なんて公言しているのを醒めた視線で眺めていた。悪だくみって奴は、そういうものだし、自分たちだって似たようなことしているはずだ。
そもそも悪だくみを企むのは、反対する側がいつまでたっても正義の体面に拘って、現実的な対応から逃げていたからだと、内心思っていた。口に出せなかったのは、私が未熟であったからに過ぎない。
皮肉なことに、十代半ばを過ぎるそれなりに見識が身につき、大人たちの偽善と欺瞞に気がつかざるえなくなる。だから教会の集いの席で、今まで黙っていた疑問を口にしたことで、私は危険人物扱いされてしまった。
黙っていたほうが良かったのか。それとも口にしたことで、結果的に政治や宗教から離れたことが良かったのか。結果的には、離れて良かったと思うが、寂しさまでは禁じえない。
みんな、いい人ばかりだった。根無し草の私を受け入れてくれた優しい人ばかりであった。でも、優しくていい人たちは、案外役立たずで、理想に囚われてばかりで、現実的な対応力に欠ける人たちばかりでもあった。
私は現実の残酷さに嫌気が差して、逃げてしまった。以降、政治に積極的に関りたいと思ったことはない。だが、政治を軽視するつもりもない。
ただ、私はいい人にはなれないヒネクレ者だし、悪人に徹する覚悟も無い中途半端な物識りに過ぎない。だから、せめて民主主義を掲げる国民の一人として、現実的な政治が出来る政治家を見出して、その政治家に投票するくらいはしておきたい。
善人であることは、個人としては尊敬すべきだと思う。しかし、政治家という役割を果たす上では、善人であることは、むしろ弊害が大きい。そのことを確信したのが、この3年あまりの民主党政治であったと思います。
いや、現実の日本では、善人としか言いようがない政治家が数多あふれている。その善人たる政治家に、実際に政治権力を持たせてしまうとどうなるのか
その生きたサンプルが民主党政権であったと思う。
勘違いされると困るので、もう少し詳しく言うと、一人の個人として善人であることは良いことである。だが、選挙で選ばれた政治家として善人であることは、必ずしも良いとは言いかねる。
なぜなら民主主義とは、多くの意見のなかで最大多数のものを正しいと看做して、その実現を図る政治であるからだ。
すなわち、比較多数の人が、こうあって欲しいとの欲望を実現する役割を担うのが政治家だ。欲望の実現者として役割を担う以上、政治家が欲望を扱いなれていることが求められる。
これは欲の薄い人、つまり清廉潔白な人には不向きな役割でもある。えてして善人と云われる人は、欲望に淡白な人が少なくない。あるいは、自らが善人であることを自覚しているがゆえに、自分の欲望こそが正しいと思い込む傾向が強い。
自分が正しいのだから、自分の欲望と異なる欲望に対する理解力が薄い。このような善人が政治家となると、意見調調整力に欠けることが多く、議会政治が空転しがちとなる。
これが今の日本の政治の現況に現われている。
実際のところ、民主党だけでなく自民党にも、この手の善人政治家がありあふれている。もちろん、裏では多少は汚いこともしているだろうし、善人とは言い難い輩が紛れていることも分る。
だが、概ね善人面を臆面もなくさらしている。かつての自民党の悪役面丸出しの玄人政治家の顔をみることは滅多にない。
思い出されるのは、脂テカテカと欲を丸出しにして、堂々臆面もなく賄賂をばらまいた田中角栄だ。あるいは国民なんぞ馬鹿どもばかりとの蔑視を隠すのが下手だった佐藤栄作でもいい。
彼等は善人ではなかったかもしれないが、兎にも角にも一国を牽引するだけの器量を備えた政治家だった。現職中は常にマスコミの誹謗中傷の的となっていたが、反面多くの国民から頼られるだけの実力も持っていた。
おそらく自身でも善人でないことは自覚していたのではないか。でも、政治家としてやるべきこと、決断すべきことから逃げることはなかった。
小学校のホームルームのような明るく公正な議論なんぞせず、料亭やホテルの密室で根回し、裏交渉、恫喝、懐柔と手管を弄して議会政治を円滑に動かした。
私は十代前半の頃、新聞などで政治家が料亭で密会をしているさまを報道しているの知り、きっとやましい事を決めているに違いないと思っていた。もっとも反対する野党との協議は、裏でこそこそやるしかないだろうとも思っていた。
別に私が大人びていたわけでもなく、子供同士の付き合いだって似たようなものであることを知っていたからだ。誰かを村八分にしようとか、虐めようなんて相談は、クラス会などで堂々やるはずもなく、いつも放課後の体育館の裏や、帰り道の公園の片隅で決められていたものだ。
だから社会主義の理想に燃える大人たちが、自民党の政治家は陰でコソコソ悪だくみをしているから嫌いだ、なんて公言しているのを醒めた視線で眺めていた。悪だくみって奴は、そういうものだし、自分たちだって似たようなことしているはずだ。
そもそも悪だくみを企むのは、反対する側がいつまでたっても正義の体面に拘って、現実的な対応から逃げていたからだと、内心思っていた。口に出せなかったのは、私が未熟であったからに過ぎない。
皮肉なことに、十代半ばを過ぎるそれなりに見識が身につき、大人たちの偽善と欺瞞に気がつかざるえなくなる。だから教会の集いの席で、今まで黙っていた疑問を口にしたことで、私は危険人物扱いされてしまった。
黙っていたほうが良かったのか。それとも口にしたことで、結果的に政治や宗教から離れたことが良かったのか。結果的には、離れて良かったと思うが、寂しさまでは禁じえない。
みんな、いい人ばかりだった。根無し草の私を受け入れてくれた優しい人ばかりであった。でも、優しくていい人たちは、案外役立たずで、理想に囚われてばかりで、現実的な対応力に欠ける人たちばかりでもあった。
私は現実の残酷さに嫌気が差して、逃げてしまった。以降、政治に積極的に関りたいと思ったことはない。だが、政治を軽視するつもりもない。
ただ、私はいい人にはなれないヒネクレ者だし、悪人に徹する覚悟も無い中途半端な物識りに過ぎない。だから、せめて民主主義を掲げる国民の一人として、現実的な政治が出来る政治家を見出して、その政治家に投票するくらいはしておきたい。
善人であることは、個人としては尊敬すべきだと思う。しかし、政治家という役割を果たす上では、善人であることは、むしろ弊害が大きい。そのことを確信したのが、この3年あまりの民主党政治であったと思います。
>キチガイ国家には『力』しか通用しない
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> 善人であることは、個人としては尊敬すべきだと思う。しかし、政治家という役割を果たす上では、善人であることは、むしろ弊害が大きい。
>早速イランに政治利用される友愛の伝道師 L.由紀夫
>L.由紀夫の発言は北朝鮮の核開発を擁護するのと同じ
>「超」懲りない男が今度は東アジア共同体で米国を刺激
まあ、ルーピーの場合は"善人である事の弊害"と言うより、"クルクルパーが政治家をやっているの弊害"かもしれませんが。
いずれにしても、おかあちゃまから貰った"子供手当"のおこぼれにあずかれるなら、私にとっても"とっても良い人"です(笑。
まァ、観方によっては、この愚行は次期選挙での民主党の壊滅に大きく貢献すると思います。はやく消えて欲しいです。
↓、完全無欠に"クルクルパー"です(嘆息。
>"L.由紀夫 「次はパレスチナ」 橋下は民主党打盗骭セ"
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>"亡国のトロイカ… 小沢氏「PACなんとか」 鳩山氏「次はパレスチナ」 菅氏「脱原発で国政選挙を」(1"
>"亡国のトロイカ… 小沢氏「PACなんとか」 鳩山氏「次はパレスチナ」 菅氏「脱原発で国政選挙を」(2"
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