やっぱり私は詐欺は嫌いだ。
よく言われるのが、騙す奴も悪いが、騙される奴も悪いと。たしかに、そう思わないでもない。騙された人の涙ながらの悲嘆を聞いていると、同情よりも侮蔑感が湧き出ることがある。
そんなんじゃ、騙されても無理ないよ。咽喉元まで出鰍ゥる科白だが、たいがいが飲み込んで黙っている。口には出さないが、本心では騙される側にも悪い点はあると思っている。
それでもだ、やはり騙すほうが悪い。これを悪いとしておかねば、人間同士の関係がおかしくなる。人が集まって社会を作る以上、その人と人とのつながりを歪める詐欺を善しとすることは、断じて認めてはならない。
その詐欺のなかでも、私が一番嫌いなのが宗教がかったやつだ。神の名を騙って他人を操り、人の心の隙間に入り込んで己の欲望の糧とする。
実のところ、悪質さに反比例してその違法性を弾劾するのは難しい。まず騙された被害者が被害を認めないことが多い。また善意を装い、善意にすがり付き、善意を操る狡猾さが、法で裁くことを難しくしている。
更に悲劇的なのは、騙されたと気づいた人が、その苦しみを訴えても、傍目には滑稽に見えてしまうことだ。例えば、ノセタラダマスとかいう予言者を信じて、自宅の庭に大金を投じて核シェルターを作ったとしよう。
予言は当たらず、大金はドブに捨てたと同じこととなったが、その苦悩を訴えても世間からは嘲笑を買うばかり。核シェルターを作れとアドバイスした奴らも、またその紹介で核シェルターを建築した業者も、双方合意の上でのこととシラを切るばかり。
この手の事件には司法は、滅多に機能しない。さすがに近年は印鑑商法など悪質な奴(稚拙な詐欺でもある)は司法の裁きを受けているが、失った金は戻ってこない。それどころか、家族からも嘲笑われ、軽蔑され、家庭に居場所をなくすことさえある。
現代の陰陽師、京極堂が裁くのは、多くの場合司法が機能しない事件に限られる。その仕組みを暴き、心の闇を解きほぐし、罪を追うべき奴らに死霊を背負わせる。法が裁けぬ詐欺を、法外な方法で裁くところにこそ、この長すぎる長編にカタルシスがある。
だが、今回はさしもの京極堂も腰が重くならざる得ない。なにせ、京極堂を知り、その手口も熟知している宿敵が登場するからだ。動けなかった京極堂を救ったのは、歯牙にもかけていなかった元・警官の一言であり、古くからの知己である名探偵の檄でもあった。
恐るべき宿敵には弟子や部下はいても友人はいなかった。しかし、京極堂には沢山の友人・知己がいて、彼らの存在こそが京極堂を救い、かろうじての勝利を手にすることが出来た。
宴の仕度に始まり、始末で終わった今回の作品は、2000頁を超す大長編であり、長すぎる感も否めないが、その重厚さに相応しいエンディングであった。納得である。
あ~ぁ、これだから止められないのだよ、京極ものは。困ったもんだ。
よく言われるのが、騙す奴も悪いが、騙される奴も悪いと。たしかに、そう思わないでもない。騙された人の涙ながらの悲嘆を聞いていると、同情よりも侮蔑感が湧き出ることがある。
そんなんじゃ、騙されても無理ないよ。咽喉元まで出鰍ゥる科白だが、たいがいが飲み込んで黙っている。口には出さないが、本心では騙される側にも悪い点はあると思っている。
それでもだ、やはり騙すほうが悪い。これを悪いとしておかねば、人間同士の関係がおかしくなる。人が集まって社会を作る以上、その人と人とのつながりを歪める詐欺を善しとすることは、断じて認めてはならない。
その詐欺のなかでも、私が一番嫌いなのが宗教がかったやつだ。神の名を騙って他人を操り、人の心の隙間に入り込んで己の欲望の糧とする。
実のところ、悪質さに反比例してその違法性を弾劾するのは難しい。まず騙された被害者が被害を認めないことが多い。また善意を装い、善意にすがり付き、善意を操る狡猾さが、法で裁くことを難しくしている。
更に悲劇的なのは、騙されたと気づいた人が、その苦しみを訴えても、傍目には滑稽に見えてしまうことだ。例えば、ノセタラダマスとかいう予言者を信じて、自宅の庭に大金を投じて核シェルターを作ったとしよう。
予言は当たらず、大金はドブに捨てたと同じこととなったが、その苦悩を訴えても世間からは嘲笑を買うばかり。核シェルターを作れとアドバイスした奴らも、またその紹介で核シェルターを建築した業者も、双方合意の上でのこととシラを切るばかり。
この手の事件には司法は、滅多に機能しない。さすがに近年は印鑑商法など悪質な奴(稚拙な詐欺でもある)は司法の裁きを受けているが、失った金は戻ってこない。それどころか、家族からも嘲笑われ、軽蔑され、家庭に居場所をなくすことさえある。
現代の陰陽師、京極堂が裁くのは、多くの場合司法が機能しない事件に限られる。その仕組みを暴き、心の闇を解きほぐし、罪を追うべき奴らに死霊を背負わせる。法が裁けぬ詐欺を、法外な方法で裁くところにこそ、この長すぎる長編にカタルシスがある。
だが、今回はさしもの京極堂も腰が重くならざる得ない。なにせ、京極堂を知り、その手口も熟知している宿敵が登場するからだ。動けなかった京極堂を救ったのは、歯牙にもかけていなかった元・警官の一言であり、古くからの知己である名探偵の檄でもあった。
恐るべき宿敵には弟子や部下はいても友人はいなかった。しかし、京極堂には沢山の友人・知己がいて、彼らの存在こそが京極堂を救い、かろうじての勝利を手にすることが出来た。
宴の仕度に始まり、始末で終わった今回の作品は、2000頁を超す大長編であり、長すぎる感も否めないが、その重厚さに相応しいエンディングであった。納得である。
あ~ぁ、これだから止められないのだよ、京極ものは。困ったもんだ。
こいつにはあまりの厚さに二の足どころか五の足ぐらい踏んでます。
寝転がって本を読むkinkachoには京極堂はつらい本です。
ただ、困ったことに分冊化された文庫本版では物足りなく感じてしまうようになりました。どうやら京極堂に魅入られたようです。