ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

青春少年マガジン 小林まこと

2024-03-25 12:24:11 | 

現在、少年漫画を描く作家の半数以上が女性である。

いや、デビューするだけなら男性漫画家もかなりいる。だが10年以上続かない。続けて描けているのは女性に多い。私はその原因の一つに精神的な逞しさにあると考えている。

これは漫画に限らないが、創作の世界は厳しい。ゼロから価値ある作品を作り上げるのは精神的なスタミナが必要不可欠だ。私は白い画用紙を前にして半日なにも描けずに煩悶した経験がある。本来、絵を描くのが大好きな子供だった。ノートだけでなく教科書にも悪戯書きをやたらめったら描き散らかす悪童でもあった。しばしば先生に叱られたものである。でも描くのを止めることは出来なかった。

山を登っていた頃は、写真だけでなく空いた時間があればスケッチブックに風景を描くことを楽しみにしていた。限られた時間で白いスケッチブックに描くのは難しいが、その分一番印象に残った風景を心象として描く作業は楽しかった。

しかし、20代で長期の療養生活に入った私には飽きるほどの時間が出来た。病院で寝ている時は、自宅で絵でも描こうと考えていたのだが、いざ帰宅すると描けなくなっている自分に気が付いた。長期の入院生活と、その延長である自宅療養は私の心を深く痛めつけた。

外に出てみれば嫌でも気が付く残酷な現実。明るい太陽の下で日焼けした浅黒い肌をきらめかす汗が眩しいが、それは私自身には当たり前のことであったはず。でも今の私は真っ白い不健康な肌で、筋肉が削げ落ちた惨めな姿であることを強く意識せずにはいられなかった。

まさか楽天家の自分がこれほどまでに深い劣等感に悩まされるとは思わなかった。健康な人たちの姿を羨み、嫉妬する自分の心の醜さに絶望を覚えざるを得なかった。そのことを強く実感したのが、絵を描いてみた時だった。

絵を描きだした時は分からなかったが、ふと一休みして絵を見直すと、絵柄から浮き出るどす黒い悪意に自分で驚いた。私が描きたい絵ではない、私の醜い心が描いた絵だとすぐに気が付いた。描きかけの絵を前にして、私は凍り付いたように動けなくなり、筆を置かざるを得なくなった。

以来絵を描いていない。真っ白なスケッチブックに絵を描くことが怖くなってしまったからだ。何もないところに、新たなものを作り出すのは難しいと思っている。無邪気に絵を描けていた幼き日々が懐かしいが、もう元には戻れない。

創作という行為は、新たなものを生み出すことだ。自由に出来ることでもあるが、その自由を行使することは実はとても厳しい。好きなことであったとしても、いつしか心のスタミナが切れて、好きなことだと思えなくなる。

趣味なら辞めればいい。しかし仕事として創作を請け負うと、そこには締め切りもあるし、お客様に合わせた制約もある。私はプロとして創作という仕事をしたことはない。でもプロとして期限内申告という制約、税務署や銀行といった第三者の視線に仕事を見られる覚悟が必要な仕事をやってきた。それなりに創作の厳しさは理解しているつもりだ。

表題の作品は、かつて週刊少年マガジンで「一、二の三四郎」という漫画を連載して人気を博した漫画家の若き日の悪戦苦闘を描いた漫画だ。マガジン三馬鹿新人と呼ばれた小野新二、大和田夏希と並び、あの頃のマガジンの屋台骨を支えた人気漫画家だ。

まだ売れない漫画家であった頃から、いつかは俺もと大志を抱き、やがて仲間に連載が決まると我が事のように喜ぶ。その一方、売れっ子になり稼ぐ仲間に嫉妬心をもちながらも互いに競い合う。そして気が付いたら人気漫画家として稼ぐ一方で、連載のストレスに苦しむ。やがては互いに連絡を取り合うことも薄れゆく中、中年に達したころに再会した時の仲間のやせ衰えた姿。

もちろん小林自身も悶え苦しむ人気漫画家ではあったが故に、その姿に憐みを感じるどころか共感すら覚えてしまう。そして、気が付けば一人は苦しみに耐えかねて自死を選び、もう一人は酒に逃げて内臓をボロボロにしての病死。

創作を仕事にしたものが必然的に直面する苦しい経験は、時として死を受け入れてしまう。実際、男性漫画家で酒や賭博に逃げて、社会から逸脱した人は少なくない。どちらかといえば男性のほうが弱いようだが、女性だって直面する苦しさは同等であろう。

人気がある漫画をネタにして、そこに人気のタレントを起用して原作にないラブロマンスを加えれば視聴率アップは確実だと考え、原作者の意向を無視して映像化してきた一部のTV業界の人間には、創作者の苦しみは分かるまい。

身体を蝕むほどの創作の苦しみの末に生み出した作品を勝手に改竄される原作者の苦しみなど、彼らには邪魔な感傷でしかない。主犯のプロデューサーは未だに表に出てこず、社外の人間を入れない検証委員会とやらで誤魔化そうとする日テレの輩には、ほんの少しでいいから創作者の苦しみを知って欲しい。

何故に私が「セクシー田中さん」の事件を執拗に書き続けるのか分からない方は、是非ともこの作品を手に取って欲しい。多分、漫画喫茶か古本屋でないと見つけられないとは思いますが、その手間と時間がある方は是非お願いします。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本能寺の変427年目の真実... | トップ | 北朝鮮戦の中止 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (大俗物)
2024-03-25 12:34:27
いや、ヌマンタさんだって男性だけど、面白い記事を長年に連載し続けてますよ。
Unknown (たたら)
2024-03-26 06:37:56
お邪魔します(*- -)(*_ _)ペコリ
聞いた事はあるけれど誰だろうと思って検索しました。
『ホワッツマイケル』の作者さんでしたか。
めっちゃ受けましたよね、あの作品。
漫画は文化として認められているはずなんですが、ドラマ化の際、それに見合う対価が安すぎると思います。
『セクシー田中さん』の件で原作料に上限設定があり、しかも驚きの安さだと知ってビックリしました。
俳優さんはお高いけれどアニメの声優さんは俳優の足元にも及ばないギャラ。
努力に対しての報酬というより忖度なんだな、とガッカリします。
Unknown (ヌマンタ)
2024-03-26 17:24:56
大俗物さん、こんにちは。私の記事はネタがあってのものであり、厳密には創造とは違うと認識しています。まぁ基本的に自分が体験したことでないと記事は書けませんしね。
Unknown (ヌマンタ)
2024-03-26 17:28:07
たたらさん、こんにちは。不思議なのですが、原稿料は一般的な小説家よりも漫画家のほうが高いと聞いています。でも世間的な認知は漫画家が低く見られる傾向が強いですね。特にTV局や映画製作会社は漫画原作を低くみる傾向が強いです。声優については、40年前からあまり進展ありませんね。むしろ視聴者のほうが声優を高く評価しているぐらいじゃないでしょうか。

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事