ヌマンタの書斎

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武器としてのドローン

2024-03-01 09:10:18 | 社会・政治・一般

人類の歴史に戦争は欠かせない。

戦争に勝つための技術の進歩は、戦争そのものを変えてしまった。平和を守るためにこそ戦争に備えておかねばならない。それが責任ある政治家の義務であるはずです。つまり政治家にとって適切な軍事知識は必要不可欠。

ちなみに防衛大臣室にプラモデルの兵器を飾ることではありません。ありゃ何の為のパフォーマンスだったんだろう?こんなアホを首相候補に持ち上げる馬鹿は日本のマスコミ様ぐらいなものです。

閑話休題。

さて20世紀の戦争を語る上で重要なのが19世紀末の三つの戦争です。すなわちクリミア戦争、日露戦争、南北戦争です。この三つの戦いは、20世紀における大量殺傷兵器の実験場の役割を果たしました。

鋼鉄を使った榴弾砲、機関銃、潜水艦などは、この三つの戦争で初登場し、その欠陥、特性を把握されたうえで第一次世界大戦及び第二次世界大戦で最新兵器として運用されました。余談ですが、日本の参謀本部は、日露戦争で機関銃で自国の兵士が数千人殺されたにも関わらず、その新規導入には否定的でした。理由は銃弾をばら撒くためお金がかかり過ぎるといったものでした。

どうも兵士の命よりも銃弾の経費のほうが大事だったようです。その結果が太平洋戦争時でのアメリカとの戦いでの大量の戦死者でした。当然教科書には書かれておりません。今も昔も官僚は、自分たちの判断ミスを公開されるのを嫌いますから。

私が日本のエリート軍人たちがダメだと思うのは、失敗を隠蔽するか、個人的失敗に偽装して本当の意味での反省をしないことだと思っています。少なくても日露戦争から日本の軍行政はダメなままです。幸か不幸か日本はアメリカ軍の下部組織に成り下がっているので、独自の判断での愚行は大幅に減ってはいますけどね。

民生品ならば市場テストで製品の欠陥が見つかり、改善されて後に商品として販売されます。しかし、軍事用品は実際に戦場で使ってみないと、その武器の良し悪しが分からない。だからこそ戦争が起こると、そこで新兵器が投入されてテストされる。倫理的な問題はさておき、このテストにより新兵器は実用化されて正式採用されて大量生産に至る。

20世紀には二つの世界大戦と地域戦争が数回あり、そこでも新兵器がテストされ、取捨選別されて現在の軍隊に多大な影響を与えています。本来はここも説明したいのですが、今回は割愛します。代わって既に3年目に入ったウクライナ戦争を取り上げたいと思います。

このウクライナ戦争は20世紀の軍事常識を覆すほどのインパクトを各国の軍隊に与えました。なんといっても、これまで陸戦の王者であった重装甲の戦車が大幅にその威力を減じてしまったことです。湾岸戦争でもイラク戦争でも戦車は陸上戦の主役でした。戦車による拠点確保は陸軍の基本とも言うべき戦術でした。

ただ戦車は空中からの攻撃に弱く、そのため対空兵器との同時併用が常識でした。歩兵による運用が可能な対ヘリコプター兵器である携行型ミサイルの補助により、戦車はウクライナでも陸戦の主役になるはずだったのです。

ところが、小型であるが故にミサイル攻撃が当たりにくい無人攻撃機であるドローンが、その常識を変えてしまいました。ドローンによる空中からの攻撃により、重装甲の戦車は弱点の上層部を狙われて戦場に無残な残骸を残す結果となりました。これはロシアにとって大誤算で、戦争が長引いた大きな要因ともなっています。

最新の戦車を持たなかったウクライナにとっては嬉しい誤算でしたが、反転攻勢には戦車は必要不可欠。その戦車の防衛のため、冷戦時代の遺物であったはずの対空機関砲を備えたゲパルト戦車がドイツ軍の倉庫から引っ張り出されて活躍しています。

小型でレーダーに捕捉されにくいドローン兵器は、予想以上に戦場で活躍できることが分かったのが、今回のウクライナ戦争でした。

 

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