文芸春秋社の編集部が悪い。
この二週間余り、私の読書は停滞していた。鞄のポケットに仕舞いこんだ表題の本を読むのが辛かったからだ。
辛かったのは、このミステリーの最終的な結末が既に分かっていたからだ。犯人こそ分からなかったが、結末は分かっていた。だからこそ、読むのに躊躇いがあった。辛すぎる!
原因は、文春文庫編集部の出版方針である。「その女、アレックス」という衝撃作で日本のミステリー界を騒然とさせたのは良いが、これは二作目である。実はピエール・ルメートルのデビュー二作目が「その女、アレックス」であった。
そして表題の作品「悲しみのイレーヌ」こそデビュー作であり、フランスにおいて出版されるや、四つの賞を取った傑作でもある。だが、文芸春秋社はなぜか二作目から先に翻訳して出版してしまった。
分からないでもない。二作目の「その女、アレックス」のほうがミステリー・ファンだけでなく、一般的な読者にも受けが良いはずとの判断であったのだと思う。
実は表題の作品は、あまりに衝撃的で残酷なサイコ・ミステリーである。サイコ系が好きなミステリー・ファンには堪らない仕掛けが多数仕込まれている傑作なのだ。ただ、あまりに残虐な場面が多く、一般的な読者に受ける作品ではないかもしれない。
だからこそ、文芸春秋社は二作目を先に翻訳出版したのだと思う。この二作目を読んでしまえば、必然的に一作目の結末が分かってしまう。しかもだ、どうも開き直った文芸春秋社はタイトルまで変えてしまった。
日本版では「悲しみのイレーヌ」だが、原題は「Travail Soigne」つまり「丁寧な仕事」なのだ。悲しみのイレーヌでは、最初から悲劇的な結末が分かってしまうではないか。タイトルでネタばらしするなんて、どうかしていると思う。
私は当然のように本来の二作目である「その女、アレックス」から先に読んでいたから、「悲しみのイレーヌ」の最後がどうなるのか分かっていた。分かっていても、読まずにはいられなかった。サイコ・ミステリーとして、それだけの価値がある傑作である。だから、余計に腹立たしかった。
たしかに、一般の読者に受けるのは二作目であろう。しかし、ミステリーファンの矜持を踏みにじるような出版方針と、タイトルの意訳はひどすぎる。
ちなみに、この一作目、二作目の主人公であるカミーユ警部は、三作目にも登場する。私はカミーユ警部虐待シリーズと呼んでいる。手許にあるのだが、まだ読んではいない。
少し気持ちが落ち着くまで、手に取らないことにしている。