ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

床屋さん

2017-06-23 12:22:00 | 日記

私が十代の大半を過ごした街、三軒茶屋から引っ越したのは高校卒業後なのだが、その後も4年ほどは二か月に一回は三軒茶屋に足を運んでいた。

目的は散髪であった。小学生の頃から通っていた床屋があり、その店で10年以上髪を切ってもらっていたので、引越し先からスクーターで30分ほど走らせて通っていた。

この床屋で私は週刊少年ジャンプを読み、GOROを読み、プレイボーイ誌を読んだ。十代前半、特に中学生や高校生に人気の床屋であった。床屋の主人は、まだ若く当時30代前半ではないかと思う。

そのせいか、話しやすい大人であった。ただ、少し気の弱いところがあり、けっこう奥様の尻に敷かれていた。時折、銭湯で会うことがあった。その銭湯は、今にして思うと客層が偏っていたように思う。

近所の博徒の若い衆がよく来ていただけでなく、三茶の繁華街の夜のお店に努める若い連中が仕事前、あるいは仕事の後に一風呂浴びにきていた。そのせいかもしれないが、普通のサラリーマンたちは夜7時から10時くらいに来て、騒がしくないうちに身体を洗って、湯船につかっていた。

私は子供だったし、博徒の兄さんたちや、飲み屋のボーイさんたちに偏見はなかったから、どの時間でも気兼ねすることなく、銭湯で寛いでいた。ちなみに、床屋のご主人は、仕事を終えた7時くらいに来ることが多かった。

ところで、三軒茶屋の街は、繁華街が栄えているだけでなく、大学生の多い街でもあった。周辺には安いアパートが沢山あり、大学生が下宿していることが多かった。

当時はまだ左派の学生運動が盛んであり、学生運動家もかなり居た。いわゆる過激派といわれる運動家も隠れ潜んでいた。博徒の連中と、この学生運動家たちは不仲で、ときたま飲み屋街で喧嘩をしていた。しかし、銭湯の中では互いに知らん顔をして、やり過ごしていた。

特に誰かの指示という訳でもなく、銭湯の場はもめ事禁止といった慣習があったらしい。ただ、子供の私でも、彼らが銭湯に来る時間を、互いに微妙にずらしていることは気が付いた。

ところで、件の床屋のご主人は、商売柄どちらにも中立の立場をとっていると思っていたが、よくよく見ると、どうも違うような気がした。中立というよりも、どちらにもいい顔をしたがるように思えた。

私はそれを客商売だから仕方ないと思っていたが、後になってどうも違ったらしいと考えざるを得なかった。私は子供の頃から、はっきり言って警官嫌いであった。両親の離婚で精神的に不安定であった時期に、いろいろ悪さをして、頻繁に交番に連れ込まれて、厭な思いをしたからだ。

だから、警官の臭いというか、雰囲気には敏感である。あの人を疑う、厭らしい目つきに対して、どうしても過敏にならざるを得なかった。あれは高校の時の春休みであった。

私は近所に、ようやく出来た図書館に入り浸っていたが、そこで床屋のご主人が見知らぬ大人となにやら話し込んでいる姿を見つけた。図書館の脇にある人目に付きにくい資材置き場のようなスペースでの立ち話であった。

別に覗きの趣味はないし、誰がどこで何をしようと自由ではある。そのくらいは分かっていたが、私はすぐに気が付いた。あの見知らぬ大人は警察関係の人間だと。私の勘が正しければ、おそらく公安警察の人間ではないか。

私服ではあったが、この辺に暮らす人の服装にしては堅すぎるし、地味なわりに汚くもなく、髪が短すぎる。さりとて、役人にしては、纏う雰囲気が酷薄に過ぎる。明らかに床屋のご主人を威圧していたのが、遠目にも感じ取れた。

私は小学生の頃から、マルクス主義支持の大学生が多いキリスト教の活動に関わっていたので、公安警察の噂は聞かされていた。また、博徒の人たちと、警察の人たちとの微妙な関係も知っていた。

だから、警察と公安では雰囲気が違うことも知っていた。あの見知らぬ大人は、警官よりも堅苦しく、偽りの笑顔を見せる刑事のような演技も感じられない。

むしろ酷薄な役人のような冷淡さが嗅ぎ取れた。私の頭のなかで、ある記憶が結びついた。

私が毛語録の読書会に参加していることを知っている大人はそう多くない。床屋のご主人はその数少ない大人の一人であった。散髪の最中の雑談で、どんな本を読んでいるかとか、どこで集まっているのかを訊かれた覚えがある。

そうか、床屋のオッチャンは、スパイ役をやらされているんだと、すぐに納得した。そうとしか思えなかった。

別に軽蔑とか、恨みとかは感じなかったけれど、なにか思い出を穢された気がした。でも、あの気の弱い床屋のご主人では無理ない気もした。多分、断る勇気なんてないだろうと、容易に想像できたからだ。

当時、既に政治的な運動からは遠ざかり、高校を卒業したら、この街からも離れると分かっていた。だから、その後も店を変えることなく、その床屋に通っていた。別に訊かれても正直に、もう読書会には参加してないと言えたからでもある。

大人の世界って、けっこう汚いよなと、自分を納得させていた。いずれ、その汚い世界で生きていくのだと自覚していたから、そのスパイ疑惑は胸にしまい込み、誰にも話したことはない。

実は最近所用で、三茶の街に行った時、あの床屋さんが閉店していたのに気が付いた。近隣の方に訊いたら、ご主人は既に亡くなっており、奥様は郷里に帰られたと聞かされた。

私の住んでいた公舎も既になく、知人もほとんどいない、見知らぬ街になりつつある。私にとっては、郷里に近い感覚がある街だけに寂しいものだ。シャッターの降りた店舗を見詰めながら、懐かしさと寂しさを抱えて、私は立ち去った。

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