ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

踏み入るべからず

2013-08-02 12:25:00 | 旅行

振り返ってはいけない。

それは分かっているが、振り返りたくても恐浮ナ首筋が固まって振り返ることも出来ない。

大学生の頃、夏休みになるとよく伊豆半島に出かけた。現在はボルト禁止や駐車場での宿泊禁止などといろいろ制約がある城ケ崎海岸の岩場は、当時は開拓されたばかりの無法地帯に近かった。

この海岸は固くてすべすべした岩と、適度に走るクラック(岩の割れ目)が絶好のフリークライミング・ャCントとなり、週末ともなれば岸壁には多くのクライマーが張り付いて、登ったり墜ちたりを繰り返していた。

既に内定をとっていた私は、夏休みのバイトの合間を縫ってフリークライミングの練習に励んでいた。その日は当時有料で通っていたフリークライミング・スクールの人たちと一緒に夏の一日を岩にしがみついて過ごした。

講師の先生が借りている古い民家に一泊させてもらい日曜日の夕刻に解散となった。皆、翌日が月曜日なので帰京していったが、私は予定もなくその晩は車の中で仮眠をとることにして翌日は一人で出来るボルダリングをするつもりであった。

シートを倒して寝ていたが、いささか寝苦しい。いささか腹が減ってきたので、まだ暗いが思い切って起きてしまう。まだ3時過ぎであり、外は真っ暗だ。コンビニまで車なら5分程度だが、周囲にはテントを張って寝ている人もいる。エンジン音で起こすのは気が引けたので、歩いて行くことにする。

ただし車道を行くと速足の私でも20分はかかる。ここは近道の森のなかを通っていくほうが圧倒的に近い。もちろん照明なんぞまったくない森の路だけに懐中電灯は欠かせない。

何度も通った道なので、別に迷うことはない。森の路といっても遊歩道であり、昼間なら観光客が良く通る道に過ぎない。でもさすがに丑三つ時の夜の森は、昼間とは雰囲気が異なり、いささか薄気味悪い。

伊豆半島は火山で作られたと云われている。そのせいで海から急激に盛り上がった個所が多く、海沿いの路には必ずトンネルがある。実はこのトンネルにまつわる怪談話が多い事でも有名だ。

特に戦前に掘られたトンネルは、照明が暗くしかも狭い。車で通りぬける時でさえ気持ち悪さを感じる。まして深夜ともなると鈍感な私でも寒気を感じることがある。

怪談話の多くは、交通事故で非業の死を遂げた子供や、その子を探し求める母親の霊の話だったりする。伊豆の海沿いの道は、昼間は案外と交通量が多く、交通事故が多いので有名だったからだ。

なかでも有名なのは、某トンネルの幽霊の話だ。車を運転中、気が付くと後ろのシートに女性の姿がバックミラーに映るという奴だ。似た話に、雨の夜道で一人で歩く女性を乗せて上げて、トンネルを通り過ぎると姿が消えていて、バックシートには濡れた痕跡だけがあるという話もある。

この手の怪談話はテントでの夜に語られることが多く、私も何度となく聞かされていた。でも、その手の体験がまったくない私は、普段は気に留めることはない。

でもその日の夜は、ちょっとは気になっていた。何故ならその古いトンネルが近くにあることを知っていたからだ。そのトンネルを通ればコンビニが近いことは知っていた。でもあのトンネルは照明がなく、しかも車が通ると壁際に寄らないとぶつかりそうになる狭さで悪名高い。

嫌だなァと思っていたら、トンネルの脇に迂回路の看板があった。普段車なので気が付かなかったが、おそらく通学する子供たちのための路なのだろう。山を斜めに登る形でトンネルの上を通る道のようだ。

こりゃ便利だと思い、使ってみることにした。少し登るが、景色がよく星明りでも遠くに島の姿がみえる。良く見ると十数メートル下に展望台らしき場所がある。そこから海岸が覗けそうな感じがした。

夜の海の風景を観るのは、けっこう好きだ。そこで展望台への道を探すが、どうも見当たらない。すぐ下に見えるのだから、かならずどこかに道があるはずだ。でも、さすがに深夜だと見つけるのは難しい。

焦れた私は、深夜で誰も見てないと思い、柵を乗り越えて草むらを直接超えて展望台に行こうとした。星明りでかすかな踏み跡が見えたので、それをたどれば大丈夫だろうと考えたからだ。

すると、いきなり滑った。草に隠れて気が付かなかったが、水が流れる小さな沢があったようだ。沢の苔に滑りそのまま尻餅をつきながら、沢筋を滑り落ちた。とっさに手で掴んだ草に縋り付き、なんとか止まることができた。

その小さな沢は、私が止まった2mほど先で崖の下に続いていることが星明りで分かり、背筋がゾッとした。おそらくその崖の下が展望台なのだろう。こんな時は慌ててはいけない。まずは落ち着いて気を静める。目を閉じてバクバクいっている心臓の鼓動が収まるのを待つ。

まず苔で滑りやすい岩を避けて、足場を確保しよう。そう思った矢先だった。首筋を冷たい何かが動いている感覚が私を硬直させた。動いている、たしかに動いている。冷たくて、ヌルヌルしている何かが私の首筋を這っている。

とっさに思いついたのは蛇だ。沢筋だし、もし毒があるヤマカガシだったら嫌だ。こんな時はじっと動かず、蛇が通り過ぎるのを待つのが原則だ。

分かっていた、分かっているけど気持ち悪いだけでなく、首筋が固まるような恐賦エさえある。下半身が濡れて寒いが我慢して、じっと動かず目を閉じて石のように固まっていた。

そのうち閉じた目に明るさを感じて、そっと目を開けてみる。東の空が明るみ始めている、もう夜明け間近なのだと気が付いた。身体を動かそうとするが、まだ固まっている感がして動けない。

すると寒さで震えてクシャミをしてしまった。下半身が濡れているのだから当然なのだろう。気が付くと身体は自由を取り戻していた。慎重に立ち上がり、草むらの踏み跡を慎重に下ると遊歩道に出くわした。

気になって階段を下って上から見えていた展望台に行ってみる。岸壁沿いに突き出した展望台からは夜明けの海が見えて、その美しさに思わず立ちすくむ。が、振り返って仰天した。なんと崖を掘った穴に祠があった。その脇に水の流れる溝があり、見上げると崖の上の草むらに続いている。

どうやら私が滑った小さな沢の水がひかれているようだ。私は思わず祠の前で合掌していた。なにを祭った祠か分からないが、私が勝手に踏み込んだことを罰したのではないかと浮黷トいたからだ。

賽銭箱に小銭を入れて、早々に立ち去ることにした。下半身は濡れて気持ち悪いし、泥で汚れている。これではコンビニに入れない。そこで遊歩道を戻るかたちで車を停めてある駐車場へ向かう。

まだ薄暗いが森のなかの遊歩道を進むと戻ることが出来た。近くに設置してある有料のシャワーを使い身体を洗い、着替えると既に早起きのクライマーたちが朝食の準備をしている。

私も腹ペコだと気が付いた。既に動き出した車もあるので、私も今度は車でコンビニへ向かう。そこで朝食を買って、家に帰ることにした。もう登る気が失せていた。こんな時はぐっすり眠り、嫌なことは忘れるのが一番。

明け方の127号線は空いていて走りやすい。高速を抜けて東京に帰る道中は渋滞もなく気持ちのいいドライブであった。ただ、あの首筋をうごめいたヌルヌルした冷たい感触だけが肌に残っている気がして気持ち悪い。

帰宅したら熱い風呂に入ってさっぱりしよう。ところで、あれは本当に蛇だったのだろうか。あんなにヌルヌルした蛇なんているのだろうか。

私は嫌なことはすぐに忘れる主義だ。でも、今でも覚えている。あれ、本当に蛇ですよね。見てないだけに、余計に気になります。

コメント (8)
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