夜の世界の住人になりたかった。
子供の頃から、早く大人になりたくて仕方がなかった。子供であることの不自由さから、早く解放されたいと願っていたからだ。家庭に守られている子供から、一人の自立した人間になりたかった。
そんな私にとって、夜の世界こそが大人の世界であった。当時私が住んでいた世田谷の三軒茶屋という街は、かなり広範囲な商店街があり、ところどころに歓楽街が散在している街でもあった。
もちろん、そこは子供が立ち入れる世界ではなかった。母が酒をほとんど飲まないので、私は飲み屋とかスナックとは無縁に育ったのだが、なぜか夜の飲食店で働く人たちとは顔見知りになることが多かった。
出会うのは、だいたい近所の銭湯だった。銭湯が開くのは夕方なのだが、その時間に行けば仕事前に一風呂浴びに来る人たちと会える。また深夜に行けば、仕事帰りに一風呂浴びに来た人たちに会える。
背中でも流してあげて、愚痴でも聞いてあげれば風呂上りにジュースをご馳走になることもよくあった。おかげで、一度も店に行ったことがないにも関わらず、私は飲み屋の店主や、スナックのバーテンダー、料理人など夜の仕事をしている人たちと顔見知りであった。
はっきり自覚していたわけでもないが、中学に入る前から私は夜の世界で働く自分を想像していた。具体的な夢と云うか目標があったわけではなく、ただ漠然と昼間の仕事はしていない予感があった。
当時、既にラジオの深夜放送にはまっており、夜更かしを毎晩している子供であったことも大きい。特に夏休みは夜更かしし放題であった。中一の頃には、夜中に密かに家を抜け出して夜のお散歩に出かけることを繰り返していた。
もっとも一番好きだったのは、高層マンションなどに入り込んで屋上に上がって、暗く輝く夜の街並みを眺めることであった。一応言っておくと、覗き趣味はない。当時から視力が弱く、眼鏡は読書用と考えていたので遠方を見るのは苦手であった。
もっとも、若干晩生であった私はまだ性に目覚めておらず、仮にスケベな場面を眺めることが出来たとしても、さして関心がなかったのが実情だ。たしかに窓の奥に覗ける場面に、あれはスケベな行為だとの認識はあったが、何をしているのか分かっていなかったので関心が湧かなかっただけだ。
では何をしていたのか?
ただ呆けるように眺めていただけだ。よく原っぱに寝そべって空を漠然と眺める人がいるが、それと同じで夜の街並みを漠然と眺めるのが好きであった。実は当時から既に気が付いていた。
夜の街は遠くから見る分には綺麗だが、近づくとそうでもないことに。私が夜の街をうろつくのは、深夜ラジオのDJ番組が終わり、夜明けの音楽番組が始まる時間帯だ。夜が明けるまでのもっとも暗い時間帯に、三茶の歓楽街をうろついていた。
特に目的があったわけではない。ただ、なんとなく大人たちの真実が見つけられる時間帯だと思い込んでいたからだ。栄通り商店街を抜けて246号を渡ると、そこは昼間ならすぐに大人に目を付けられて追い払われる歓楽街だ。
でも、さすがにこの丑三つ時ともなれば、人影も少なく誰も私に気を留めない。この時間は、道路の脇に酔っ払いが寝込み、客を取り損ねた街娼たちが電信柱の陰で噂話に興じ、地回りのやくざが車の中で女を待つ。
裏通りに目をやると、喧嘩で負けたのか傷だらけの青年がへたり込んで泣いている。行き止まりの街路樹の下で男女がなにやら言い争っている。飲み屋の裏口で、ルンペンが生ごみを漁っており、そのおこぼれを狙ってネコが身を潜めている。
たまに訝しげに声をかけられる事もあるが、私は「○△さんを捜しに来た」といえば大概誰もが納得してくれた。○△さんとは、教会の子供担当のお兄さんで、私は彼から本を貸して貰うことがよくあった。
子供には優しい人だったが、近所の安アパートで同棲していた女性と喧嘩をすると、夜中にこの辺りの飲み屋で飲んだくれていることは有名だったからだ。実際、私はその女性に頼まれて捜しにきたことが何度かあるので、まったくの嘘でもなかった。
そのお兄さんからは、学校の図書室には置いてないような本をよく貸してもらっていた。私にマルクス主義の理想を熱く語ってくれた人でもあり、同時に大人の弱さ、情けなさ、汚さを身を以て教えてくれた反面教師のような人でもあった。
夜明け前の歓楽街は、吐き気を催すような酒の匂いの混じった反吐の香りが漂う。甘ったるいような、酸っぱいような嫌な匂いで、子供心にもなんで大人は酒を飲むのだろうと訝っていた。同時に、酒を飲ませば人はお金を気前よく吐き出すことも、なんとなく分かった。
私は酒を飲む側ではなく、飲ませる側になって稼ぐんだと考えるヘンな子供であった。その時はバーテンダーに憧れていたと思う。あの場面を見なかったら、もしかしたら私はバーテンダーになっていたかもしれない。
そろそろ帰ろうかと思っていたら、裏通りのゴミ捨て場に見知った人影を見つけた。銭湯で時折見かけるバーテンダーのAさんだった。声をかけようと思ったが、その後ろ姿に妙な警戒感を感じて、電柱の陰に隠れた。
Aさん、なにやっているのだろう。手に酒の空瓶を持って、お店の裏口に戻って、その空き瓶を並べて何かしているようだ。そっと近づいてみて、驚いた。なんと、酒の空き瓶の底に残ったお酒を、種類ごとに分けて、集めているようだ。
思わず、ウェっと吐き気を催した。けち臭いというか、薄汚いことしてやがる。Aさんは私に気が付くことなく、空になった空き瓶を再びゴミ捨て場に戻しにいった。私はそっとその場を後にした。
見たくもないものを見てしまった。
夢を汚されたような不快感がぬぐえず、私は家には帰らずに、そのまま神社の境内に向かい、木々を回ってカブトムシやクワガタを探し求めた。生憎その日はミドリコガネムシが見つかっただけであった。
でも、夜明けの光に輝く緑色の姿には、ある種の威厳さえ感じて、そっと逃がしてあげた。虫はやはり野山に居てこそ価値がある。自然のままが一番さと呟き、それから帰宅した。
帰宅すると早起きの母と出くわしたが、虫取りにいっていただけと誤魔化して、そのまま床に就いた。もうバーテンダーになりたいとは思わなかった。夏休みの夜は、大人の世界への入り口だったと、今にして思う。
必ずしも楽しい経験だけではなかったが、経験しなければ分からないことはいっぱいある。夜中の探検は、私にとって貴重な野外学級のようなものだったと思う。