ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

戦争はなにも生まない!?

2010-09-15 12:29:00 | 社会・政治・一般
戦争はなにも生まない・・・と平和を愛する人は口にする。

本当に?と揶揄したくなる。戦争を全否定している善意の発露であり、命の大切さを重んじる優しい心情でもあることは分っている。

意地の悪い私は、戦争は悲劇を産むよと、チャチャ入れたくなる。死体を大量生産するし、軍需産業は儲かってしかたない。戦争は哀しみと憎悪を産み出し、復讐の怨念が更なる悲劇を拡散させる。

戦争はいろんなものを産みだすぞ。

まあ、意地悪はこのへんにして、冷静に考えてみよう。実のところ、戦争は様々な道具を生み出している。馬に曳かせる戦車の車輪は、人類史に残る発明だ。ほかにも沢山ある。古代から現代に至るまで、人は戦いに勝つため、様々なものを発明してきた。

たとえばコンピューター。これは元々は大砲から発射される砲弾の弾道計算のために作られた。またインターネット通信網がアメリカ軍の通信機能向上のために開発されたことも確かだ。まあ、「平和の配当」とう表現はあまり好きではないが、戦争が生み出したものを抜きにして人間の文明は語れない。

断言しますが、人類の文明の発展は戦争とともにある。

なぜか?

それは人類が適者生存という名の戦いの生き残りであり、勝利者でもあるからだ。

最新の遺伝子工学と、人類学の発達は、人間の進化の道を明らかにしつつある。昔、教科書に書かれていた旧・人類と呼ばれたネアンデルタールから、現世人類であるクロマニヨン人への進化の道は、考えられたよりも遥かに複雑で変化に富んでいることが分ってきた。

現世人類であるクロマニヨンには、いくつもの亜種がいたことが遺伝子工学の発展により分ってきた。我々は亜種人類との戦いの生き残りである。その戦いが如何なるものであったから定かではない。病気により種が衰退したこともあったろうし、戦争により絶滅したこともあったであろう。

その生存競争は、穏やかな話し合いであったわけはない。石器そのものを分析すれば、それは殺傷兵器であり、単に狩猟道具や調理道具であったはずはない。

異なる亜種人類たちの苛烈な戦いの勝者が、我々現世人類なのだ。戦いに勝ち抜き、敗者を絶滅させたからこそ、今日の繁栄はある。その事実を忘れてはならない。

人類の歴史から戦争を無くすことは絶対に出来ないことは明白だ。人が人である限り、戦いはなくならない。いや、人が人であるためにこそ、戦争は必要なのだろう。

戦争は愛する人を奪い、大切なものを破壊する。だからこそ、人を愛し、大切なものを守る意識が育まれる。戦争に勝つことは、新たなる財産(領土、人材、農作物など)を得る機会であることも事実だが、その反面失われるものも多い。

だからこそ、賢い統治者は戦争と平和のバランスを上手にとる。戦争を知ってこそ平和の大切さが分る。戦争を失くす事が出来ないのなら、せめてその戦争を減らす方策を目指すのが賢明ではないか。

麗しき言葉に酔いしれるのではなく、厳しい現実を直視した上で妥協と協調を模索する現実的な平和を求めて欲しいものです。
コメント (2)
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