もう既に余韻に浸る時期ではないと思うが、それでもワールドカップの想い出は切れることはない。
私は試合中継の大半を地上波ではなく、スカパーのCS放送で観ていた。お目当ては、オシム前日本代表監督のコメントであった。
元々オシム氏は、JEF千葉の監督であった当時から、試合後のコメントが有名であった。今日のオシム語録なんて感じでHPにもアップされる人気ぶりだった。辛辣で、それでいてユーモアが入り混じった知性を感じるコメントには、私も読み惚れたものだ。
ところが、今大会でのオシム氏の発言には厳しいものが多かった。曰く「勇気が足りない」「退屈だ」「これが世界トップレベルだとしたら寂しい」などの辛辣な発言には、TVの司会者やコメンテェイター達を困惑する他なかった。
スカパーをはじめマスメディアは、大会を盛り上げようとの意図を強くもっていたので、その空気を読まないオシム氏の発言には困っていたようだった。
正直、私も苦笑せざる得ない辛口のコメントの多さには閉口した。だが、今にして思うと、やはり退屈な凡戦が多かったのは否定しがたい。
日本代表だって、デンマーク戦を除けば守備偏重のつまらない試合がほとんどだった。緊迫感はあれども、サッカーという競技の持つ優美さや繊細さとは無縁の、無愛想で無骨で不器用な戦いぶりであった。
それでも勝利という結実をもたらしたからこそ、その不様な戦いは褒め称えられる。それはそれで評価してもいい。でも、やっぱり物足りない。
大会中、終始辛口のコメント続きであったオシム氏だが、決勝の後のコメントは意味深であった。オランダの戦い方に失望を隠せなかったオシム氏だが、それでも「オランダを責めないで欲しい」とコメントしたことが印象に深い。
オランダが、本来のサッカーをやっていたのなら、違った結果が出ていたかもしれない。私はオランダのサッカーを、世界指折りの優美で激しい進歩的なものだと認めている。今でも98年のフランス大会の準決勝の優美な試合は思い出せる。
DFのデブールからの70メートル近いロングパスを優美にトラップしたベルカンプが、相手ゴール前で待つクライファートへどんぴしゃのセンタリングを上げ、それをヘディングで叩き込む。延長試合でどの選手も疲れきっているはずの時間帯で、あれほど優美なプレーが出来るチームなんて滅多にない。
これはクライフ以来のオランダ・サッカーの伝統ともいっていい。88年の欧州選手権でのフリット、ライカールト、ファンバステンらの圧涛Iな攻撃力は他の追随を許さぬ先進的なものであった。この時の優勝戦は伝説とも言える圧倒的な勝利だった。
しかし、オランダはワールドカップでは賜杯に届かないチームでもあった。あの優美な攻撃サッカーでは、優勝には手が届かない。だからこそ、今回の決勝では中盤でスペインの攻撃を潰して、固い守備からのカウンターサッカーに舵を切ったのだろう。
皮肉なことに、相手のスペインはバルセロナの中心選手たちを中核に据えたチームであり、バルサに優美で攻撃的なパスサッカーを根付かせたのは、他ならぬオランダ人のクライフだった。
だからこそ試合後にクライフは、母国であるオランダ・チームを批難した。誇り高きクライフには、あの決勝でのオランダの戦いは許せないものであったのだろう。
一方、オシムのオランダの戦いぶりへの評価は、クライフとそう変るものではなかった。しかし、オシムはオランダが優勝を切望していたことをよく分っていた。だからこそ、試合後のコメントで言い添えた。
「オランダを批難しないで欲しい」と。誰だって優勝したい。その切なる想いのために、敢えて本来の攻撃サッカーを捨ててまでして闘ったオランダチームを責めることは、あまりに酷だと思ったのだろう。
過去のワールドカップにおいて、オランダはいつも美しき敗者であった。今回、敢えて美しさを捨ててまでして優勝を求めたオランダを責めるのは、辛口のオシムでさえ控えたのだと思う。
私は試合中継の大半を地上波ではなく、スカパーのCS放送で観ていた。お目当ては、オシム前日本代表監督のコメントであった。
元々オシム氏は、JEF千葉の監督であった当時から、試合後のコメントが有名であった。今日のオシム語録なんて感じでHPにもアップされる人気ぶりだった。辛辣で、それでいてユーモアが入り混じった知性を感じるコメントには、私も読み惚れたものだ。
ところが、今大会でのオシム氏の発言には厳しいものが多かった。曰く「勇気が足りない」「退屈だ」「これが世界トップレベルだとしたら寂しい」などの辛辣な発言には、TVの司会者やコメンテェイター達を困惑する他なかった。
スカパーをはじめマスメディアは、大会を盛り上げようとの意図を強くもっていたので、その空気を読まないオシム氏の発言には困っていたようだった。
正直、私も苦笑せざる得ない辛口のコメントの多さには閉口した。だが、今にして思うと、やはり退屈な凡戦が多かったのは否定しがたい。
日本代表だって、デンマーク戦を除けば守備偏重のつまらない試合がほとんどだった。緊迫感はあれども、サッカーという競技の持つ優美さや繊細さとは無縁の、無愛想で無骨で不器用な戦いぶりであった。
それでも勝利という結実をもたらしたからこそ、その不様な戦いは褒め称えられる。それはそれで評価してもいい。でも、やっぱり物足りない。
大会中、終始辛口のコメント続きであったオシム氏だが、決勝の後のコメントは意味深であった。オランダの戦い方に失望を隠せなかったオシム氏だが、それでも「オランダを責めないで欲しい」とコメントしたことが印象に深い。
オランダが、本来のサッカーをやっていたのなら、違った結果が出ていたかもしれない。私はオランダのサッカーを、世界指折りの優美で激しい進歩的なものだと認めている。今でも98年のフランス大会の準決勝の優美な試合は思い出せる。
DFのデブールからの70メートル近いロングパスを優美にトラップしたベルカンプが、相手ゴール前で待つクライファートへどんぴしゃのセンタリングを上げ、それをヘディングで叩き込む。延長試合でどの選手も疲れきっているはずの時間帯で、あれほど優美なプレーが出来るチームなんて滅多にない。
これはクライフ以来のオランダ・サッカーの伝統ともいっていい。88年の欧州選手権でのフリット、ライカールト、ファンバステンらの圧涛Iな攻撃力は他の追随を許さぬ先進的なものであった。この時の優勝戦は伝説とも言える圧倒的な勝利だった。
しかし、オランダはワールドカップでは賜杯に届かないチームでもあった。あの優美な攻撃サッカーでは、優勝には手が届かない。だからこそ、今回の決勝では中盤でスペインの攻撃を潰して、固い守備からのカウンターサッカーに舵を切ったのだろう。
皮肉なことに、相手のスペインはバルセロナの中心選手たちを中核に据えたチームであり、バルサに優美で攻撃的なパスサッカーを根付かせたのは、他ならぬオランダ人のクライフだった。
だからこそ試合後にクライフは、母国であるオランダ・チームを批難した。誇り高きクライフには、あの決勝でのオランダの戦いは許せないものであったのだろう。
一方、オシムのオランダの戦いぶりへの評価は、クライフとそう変るものではなかった。しかし、オシムはオランダが優勝を切望していたことをよく分っていた。だからこそ、試合後のコメントで言い添えた。
「オランダを批難しないで欲しい」と。誰だって優勝したい。その切なる想いのために、敢えて本来の攻撃サッカーを捨ててまでして闘ったオランダチームを責めることは、あまりに酷だと思ったのだろう。
過去のワールドカップにおいて、オランダはいつも美しき敗者であった。今回、敢えて美しさを捨ててまでして優勝を求めたオランダを責めるのは、辛口のオシムでさえ控えたのだと思う。