漫画という表現手段が確立したのは、やはり20世紀に入ってからだと思う。
それ以前にも絵による情報伝達はなされていたが、メディア(情報伝達手段)として完成したのは、やはり20世紀だと思う。もちろん世界各地にあったが、日本とアメリカほど漫画が極端に発達した国はない。
アメリカのパルプマガジンに掲載された漫画は大量に売られたが、子供向けと低く見られてしまい、発展することがなかった。またディズニーによるアニメーション映画でなされた画期的な映像表現は素晴らしかったが、アメリカの市場がそれを子供向けと決め付けてしまったことが発展を阻んだ。
漫画の魅力は絵によるストーリー展開であり、国語力が低くとも理解できることでもある。そのために子供向けとして低い評価となった。
ところが不思議なことに、世界屈指の識字率を誇る日本において、漫画は単なる子供向けに収まらず、大人にも楽しめる娯楽として極度に発達するに至った。
漫画なんて子供向けのものだと考えているのが、世界の人々の常識だと思う。しかし、日本では大人までもが漫画を楽しむ。しかも列車の中など公衆の面前でも恥じることなく漫画を読む。
これはしばしば外国人の間で侮蔑の対象とされてきた。しかしながら、日本の漫画が翻訳され、広く世界に流布されるようになると認識は変りつつある。今では本場の漫画をもとめて来日したり、漫画の原本を読むため、日本語の勉強をする外国人もでてきている。
現在では国内の出版物のうち3割近くを漫画が占める。漫画を読んだことがない人のほうが珍しいほどに普及している。
にもかかわらず、漫画評論のレベルは高いとは言いかねる。
私が初めて漫画評論に出くわしたのは、共産党の機関紙である赤旗であった。想像はつくと思うが、イデオロギー的見地にたった漫画評論であり、評論というより共産党思想普及のための宣伝文に堕していた。
他にも週刊朝日などの雑誌にも漫画評論が載ることもあった。しかし、大半が漫画の娯楽性を認めつつも、その低俗性を指摘して貶め、漫画そのものを真っ当に論じたものは少なかった。
比較的マシな文章を書いていたのは夏目や呉あたりだが、やはり高所に立って漫画を論じる感は否めなかった。それでも正面から漫画を評論の対象としただけでも評価していい。ただし、いたし方ないことだが、文芸評論家の立場で論じたものなので、共感を呼ぶようなものではなかった。
表題の作品は、漫画家のいしかわじゅんが書いた漫画評論集だ。私が初めてまともな漫画評論だと認めた作品でもある。元々は漫画家である著者だけに、漫画の技法にも理解があり、作画者の立場からも論じた手法は実に新鮮だった。
この評論本が刊行されたのは90年代のことだが、本当の意味での漫画評論は、この本から始まったといいたいほどの完成度だ。なにより漫画家としての立場と、漫画ファンとしての立場のバランスがいい。
単に文芸評論という観点ならば呉や夏目も十分なのだが、漫画に対する愛着が違う。作り手の苦悩と読み手の喜びの両者を踏まえた上での評論だけに説得力が違う。
本人は不本意なようだが、私は著者を漫画家としてより、文章家として高く評価していたので、その意味でも満足のいく作品であった。漫画がお好きなら、一度は目を通して欲しいと思います。きっと、楽しい時間を過ごせますよ。
それ以前にも絵による情報伝達はなされていたが、メディア(情報伝達手段)として完成したのは、やはり20世紀だと思う。もちろん世界各地にあったが、日本とアメリカほど漫画が極端に発達した国はない。
アメリカのパルプマガジンに掲載された漫画は大量に売られたが、子供向けと低く見られてしまい、発展することがなかった。またディズニーによるアニメーション映画でなされた画期的な映像表現は素晴らしかったが、アメリカの市場がそれを子供向けと決め付けてしまったことが発展を阻んだ。
漫画の魅力は絵によるストーリー展開であり、国語力が低くとも理解できることでもある。そのために子供向けとして低い評価となった。
ところが不思議なことに、世界屈指の識字率を誇る日本において、漫画は単なる子供向けに収まらず、大人にも楽しめる娯楽として極度に発達するに至った。
漫画なんて子供向けのものだと考えているのが、世界の人々の常識だと思う。しかし、日本では大人までもが漫画を楽しむ。しかも列車の中など公衆の面前でも恥じることなく漫画を読む。
これはしばしば外国人の間で侮蔑の対象とされてきた。しかしながら、日本の漫画が翻訳され、広く世界に流布されるようになると認識は変りつつある。今では本場の漫画をもとめて来日したり、漫画の原本を読むため、日本語の勉強をする外国人もでてきている。
現在では国内の出版物のうち3割近くを漫画が占める。漫画を読んだことがない人のほうが珍しいほどに普及している。
にもかかわらず、漫画評論のレベルは高いとは言いかねる。
私が初めて漫画評論に出くわしたのは、共産党の機関紙である赤旗であった。想像はつくと思うが、イデオロギー的見地にたった漫画評論であり、評論というより共産党思想普及のための宣伝文に堕していた。
他にも週刊朝日などの雑誌にも漫画評論が載ることもあった。しかし、大半が漫画の娯楽性を認めつつも、その低俗性を指摘して貶め、漫画そのものを真っ当に論じたものは少なかった。
比較的マシな文章を書いていたのは夏目や呉あたりだが、やはり高所に立って漫画を論じる感は否めなかった。それでも正面から漫画を評論の対象としただけでも評価していい。ただし、いたし方ないことだが、文芸評論家の立場で論じたものなので、共感を呼ぶようなものではなかった。
表題の作品は、漫画家のいしかわじゅんが書いた漫画評論集だ。私が初めてまともな漫画評論だと認めた作品でもある。元々は漫画家である著者だけに、漫画の技法にも理解があり、作画者の立場からも論じた手法は実に新鮮だった。
この評論本が刊行されたのは90年代のことだが、本当の意味での漫画評論は、この本から始まったといいたいほどの完成度だ。なにより漫画家としての立場と、漫画ファンとしての立場のバランスがいい。
単に文芸評論という観点ならば呉や夏目も十分なのだが、漫画に対する愛着が違う。作り手の苦悩と読み手の喜びの両者を踏まえた上での評論だけに説得力が違う。
本人は不本意なようだが、私は著者を漫画家としてより、文章家として高く評価していたので、その意味でも満足のいく作品であった。漫画がお好きなら、一度は目を通して欲しいと思います。きっと、楽しい時間を過ごせますよ。