のと鉄道運転士 「のとてつ5828」の乗務日誌

能登半島を走る第三セクター鉄道「のと鉄道」
のとてつ5828運転士の公私の乗務日誌

ダイヤ改正後 一巡

2011-03-21 | のと鉄道

3月12日のダイヤ改正後、行路が一巡しました。

ダイヤ的にはほとんどかわっていないので、ダイヤ改正をした・・・って実感が全くありませんね。

JR北陸線では車両運用を中心に大きな変化があったようで、いろんな方から話を聞きますが口々に過去にないくらいの「ダイヤ改悪」だ・・・って言ってますね。

鉄道のダイヤは、列車一本でも時刻が修正されると利用者にとっては「改正」になったり「改悪」になったりします。

それが直接、乗客の「増」にも「減」にもつながります。

そのあたりをダイヤを作る「スジ屋」さんは把握してもらわないといけませんね。

その“実情”を一番知っているのは「乗務員」らの“現場の声”なんですよね。

ただ数日だけの「ノリホ調査」や「乗降調査」の“数字”だけをもとにダイヤを組むのも問題なんです。

「のと鉄道」に限っていえば、“現場の声”はある程度吸い上げてくれますが、JRとの接続の絡みで独自のダイヤを組むわけにもいかず、なかなかうまいようにいかないのが実情です。

そのあたり“ご理解”いただければ・・・


一部運転再開してよかった・・・

2011-03-20 | のと鉄道

3月11日に発生した東日本大地震の影響により全線で運転を見合わせていた第三セクター鉄道「三陸鉄道」が、北リアス線の宮古駅~田老駅で運転再開したとニュースで見ました。

社員の方が「運転再開してよかった・・・」と涙ぐんでいる姿をみて、同じ鉄道業に従事するものとして感動しました

「のと鉄道」でも、2007年3月25日におきた最大震度6強を記録した「能登半島地震」で大きな被害を受け、穴水駅近辺の25カ所で線路が浮き上がり、運転中止を余儀なくされ、地震発生の翌日から、バスによる代行運転に切り替えました。情報システムへの被害は特になかったのが幸いし、地震発生から5日後の3月30日始発から運転を再開しました。

あの時も、復興後最初に列車を運転した時は、「運転再開してよかった・・・」とちょっぴり「涙ぐんだ」事を思いだしました。正直、地震の被害を目の当たりにした時、このまま廃線になってしまうのでは・・・という不安がありましたが、被害が少なかったのが幸いでした。

「三陸鉄道」では安全運行のため列車の速度を落としての運転となっており、復興支援列車として当分の間は乗車運賃を無料となっているそうです。

南リアス線は運転再開の目途はたっていないようで、北リアス線の田老駅~陸中野田駅の間は引続き運転を見合わせているようです。

経営基盤が脆弱な第三セクター鉄道。大きな災害があったら「廃止」になりかねないのですが、地震復興にむけて「三陸鉄道」もぜひとも困難を乗り越えて「復活」して欲しいと思います。


困った人たち・・・

2011-03-19 | のと鉄道

今日から「三連休」ってまたまた騒いでいますね。

私は19日-泊まり 20日-非番 21日-早出日勤と三日間とも仕事です。

私的には、“人がいっぱいいる所は嫌”な者にとっては「理想的パターン」です。

富山の妹家族も、姪っ子がインフルエンザが治ったばかりで、ばあちゃんにうつると大変だし、上のおにいちゃんは自動車学校で格闘中、下のおにいちゃんも風邪の菌が腸に入ってダウンしているからと、この連休は珠洲に帰省しませんでしたので、なおさら仕事していてよかったのかもしれません。

世間が休みの時は仕事していても学生も少なくて仕事がやりやすいのですが、困ったことがひとつ・・・

それは「お行儀の悪いマニア」がドッと来る事。

お金払っていただいて“感謝”しなくてはならないのですが、いくらお金を払っていただいているとはいえ、ちょっと常識はずれの方々が来られることです。

運転席の横に陣取って前方の展望ビデオ撮る方、勝手にカメラやビデオを運転士に向けて撮る方、駅に着くたびに車内を走りまわって駅名板を撮る方・・・・・とあげればきりがありません。

乗車される方みんながそうではないのです。ごくごく一部の方なのですが、それがとても不快にうつります。

写真やビデオ撮るときは、せめて一言「撮ってもいいですか?」くらい言うのが“マナー”だと思うのですが・・・


とんだ“トキ”違い

2011-03-18 | ニュース

家にいると珍しく?弟からの携帯がかかってきました。

ちょっと興奮した声で「〇〇町にトキがいる・・・」「400のレンズ持ってこんけ(能登弁です。標準語で来ないか)」

は?

何をわけのわからん事を・・・

春やから頭おかしくなったんとちゃうか・・・

なんて事を思いながら、よくよく話を聞いていると新潟県で放鳥された「朱鷺」が珠洲にやってきたので、それを撮影するために、私の持っている400ミリの望遠レンズを持って現場にこないか?って意味だったんです

こっちは、てっきり廃車となった貨車の「トキ25000」を珠洲の〇〇町の誰かが購入して、それが運ばれてきたのかと思っていました。そんなの写真撮るのになんで400ミリの望遠いるんだろう?なんて思っていました。

もともと話がかみ合わない兄弟なんですが、「マスコミが飛びつくネタ」を写真でおっかけるのは“共通”なんです

やっぱり兄弟なのかな・・・

で、わけのわからんままでの携帯のやりとりでロスタイムをくったためか、現場に直行している途中で、メールで「朱鷺はどこかへ行った」

結局は朱鷺は撮れずに、とんだ「トキ」違い(飛んでいった朱鷺)にふりまわされました。

よ~く考えると「トキ25000」が珠洲に来るわけないんですよね

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私の「凡ミス」

ちなみに騒動となる原因をつくった400ミリの望遠レンズは、立山の「雷鳥」をもっと大きく撮りたいという思いで、10年以上も前に大金はたいて買ったレンズです。

上のカメラに付いているレンズが標準レンズで、下が400ミリレンズ

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値段は恐ろしくていえません。当時持っていた中型クラスの一眼レフ3台分くらい・・・とでもしておきます。値段もビッグなら大きさもかなりの「ビッグ」です

今でも稼動するのは、年に数度行く立山への雷鳥撮影の時くらいです。だから別名「雷鳥レンズ」・・・鉄道写真には大きくてあまり使えません。


これ以上被災者の皆様を苦しめないで下さい

2011-03-17 | インポート

買い占めやめよう運動、始まる「みんなで分け合えば、できること」

今、首都圏を中心に問題となっているのが、食料・日用品の買い占め問題です。

ガソリンや乾電池なども、入荷した瞬間に売り切れてしまうため、慢性的な品切れ状態が続いています。

そんな状態を改善しようと、ネット上では「買い占めやめよう運動」が始まっており、一枚のポスター画像が話題となっています。

「みんなで分け合えば、できること」から始まるポスターには、トイレットペーパー12ロールで1000人分の被災者が助かったり、パン1斤で1家族分の食事がまかなえたり、お米5キロで120人分のおにぎりが作れたり……と、さまざまな「比較」が分かりやすく描かれています。

日常を維持するために買い占めてしまうと、すでに非日常な状態にある被災者の方々に、いつまで経っても物資は届きません。

買う前に、このポスターを見て、もう一度考えてみると良いでしょう。

日本人ならできる。ガンバレ、ニッポン!

これ以上被災者の皆様を苦しめないで下さい。

この大きな災害から免れた多くの国民がしっかり考え、冷静に行動しながら与えられた現状の中で、しっかり頑張る時なのです。
日本を支えるために被害に遇わなかった国民全てがしっかり働き、生活弱者を守り慈しむ為に更なる豊かな心を育む努力が今一番必要とされているのではないでしょうか!

直接影響がなさそうな方面の住民の皆様におきましても、節電や燃料の節約を続けて頂けるならば、その節約された燃料や物資は間違いなく被災者の皆様に届くということです。
日本国内のエネルギー源の多くを石油に委ねている現代で、石油の備蓄量は十分確保されていると聞きます。その中で例えば20%の節約がなされたとすれば、その分が間違いなく被災地に送られるわけです。石油の輸入について、震災後も変わらず安定供給が見込まれる見通しの中、全国的に節約することの重要性は多くを語らずとも理解できる事だと考えます。
復興に向けての支援能力はおのずと限界も生じます。

様々な報道によれば限界をはるかに超えているというコメントも多く寄せられているのが現状です。
では何をするべきかと考えれば、これ以上復興活動に関係する世界で足を引っ張らない行動こそが支援の第一歩だと信じています。

「これ以上被災者の皆様を苦しめないで下さい。」
この言葉を今一度考えてみる必要を強く感じました。


義援金募金箱 設置

2011-03-16 | のと鉄道

3月11日に三陸沖で発生した「東北地方太平洋沖地震」の被害は日を追うごとに大きくなってきており、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみ申し上げます。

被災地におかれましては、一日も早い復旧・復興が叶い、一人でも多くの方が普段の生活に戻れますよう、皆様のご無事とご健康を心よりお祈り申し上げます。

「のと鉄道」でも、少しでも被災者支援のために・・・と穴水駅に「義援金募金箱」を設置いたしました。

皆様の暖かいご支援をよろしくお願いいたします。

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特定保健指導

2011-03-15 | のと鉄道

今日は非番

仕事終わってすぐ帰ろうとしていたら、課長から「待った」かかりました。

「今日、特定保健指導あるから・・・」と

「あれ?それは私が甥っ子と写真ツアーに行っている10日に終わったんでは?」と聞くと

「お前のために、担当保健士さんが時間作ってくれたんだ・・・」と

あらら、最悪・・・・・・

てっきり10日にあったのから逃れて、これでしなくていいと喜んでいたのに・・・

今さら早く帰る理由をつくるわけにもいかず、渋々受けてきました。

「特定保健指導」は「人間ドッグ」を受診した社員が、その結果に基づいて担当保健士さんから指導を受けるものです。

「問題アリ」の人は長~いし、「健康」な人は早く終わるのです。

前々回にドッグを受診した時には、悪い所はただ一つ腹まわりだけがいわゆる「メタボ」の数値だったんです。

で、それを受けて健康づくり・改善のためにどうやって取り組んでいくか・・・というのを、保健士さんとともに「動機づけ」として目標をたてたんです。それがまた長かったんです・・・

その時にたてた「脱メタボ」の目標が

①スポーツジムのメタボ対策メニューで改善する

②ビールを500mlにかえる

③腹まわり83センチ・体重を62キロに落とす

だったんです。

今日の「特定保健指導」は、それが守られたか(目標達成したか)と、前回の「人間ドッグ」の結果とあわせてのお話があったのです。

結果からいいますと、目標②はたまに守らない時もありますが、他はきちんと達成しました。

前回のドッグ(昨年12月)の結果も、いたって健康で「合格」の印もらいました。

最後の“難関”お腹周りの計測を行い「80センチ」で「メタボ脱出」の印もらい、最後に「合格」と保健士さんに「おなか」を叩かれて終了しました。

保健士さんがもっと若かったら喜んだのに・・・

体が資本のこの仕事

健康には人一倍気をつかっていると自負いたしております。

これからも「健康でこそ・・・」でありたいと思います。


衝撃的光景

2011-03-14 | のと鉄道

◆◇―― 東北関東大震災の被害にあわれた方々へ ――◇◆

3月11日に三陸沖で発生した「東北地方太平洋沖地震」におきまして、
被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、
犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみ申し上げます。

被災地におかれましては、一日も早い復旧・復興が叶い、
一人でも多くの方が普段の生活に戻れますよう、
皆様のご無事とご健康を心よりお祈り申し上げます。

地震の報道を見ておりますと、本当に心が痛みます。

とくに衝撃だったのが、鉄道での被害の光景です。

列車が脱線・転覆して地震の凄さが伝わってきます。

乗務員をはじめ、乗客の皆さんは無事だったのだろうか・・・

もし、自分も列車を運転している時に地震が襲ったらどう対処できるのか・・・

それを考えただけで・・・・・

今日も乗務中にけたたましい音が鳴って携帯電話の「緊急地震メール」が入りました。

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突然だったのでびっくりしました。

震源地は「長野」だったのですが、もしそれがすぐ近くだったら・・・

乗務中の携帯使用は「厳禁」となっているのですが、一刻を争う重大な緊急事態だったら・・・

そう思うと、これからは「携帯」にも注意をはらって運転しなくてはなりませんね。

運転士が地震と感じたら列車をすぐに止める・・・は原則です。


やっとのことで・・・

2011-03-13 | 家庭菜園

今年の雪はしぶとかったので、なかなか畑にある雪が消えなかったため、作業が出来ずにいましたが、今日やっと今年初めての畑作業をしました。

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例年なら2月下旬に、玉ネギやアスパラ、イチゴに「追肥」をするのですが、今年は半月以上の遅れ・・・

今年の生育がちょっと心配です。

まだ隅のほうには雪が残っていましたが、よく探したら「ふきのとう」も顔を出していました。

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ようやくここにも春が来ているんだな・・・って実感しました。

畑から帰ったら予想どおり、くしゃみ・鼻水・目のかゆみ・・・「花粉症」がついに“重症化”しました


ダイヤ改正

2011-03-12 | のと鉄道

今日、JRのダイヤ改正にあわせて、のと鉄道でもダイヤ改正がありました。

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今回の改正はほとんど変化がありませんでした。

作業内容もほとんどかわらず、ダイヤ改正は鉄道会社の正月か新学期みたいもの・・・という方もいらっしゃいますが、わが社に限っては今日はふだんと全くかわりのない一日でした・・・

それより驚いたのがJR

なんと珠洲市にも新聞折込で時刻表などを書いたチラシ(広告)が入っていました。

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高岡にいる妹に聞いたら、高岡では何度か見たことがあって珍しくないとの事でしたが、私の記憶では鉄道あった頃をふくめ、珠洲市に入ったのははじめてではないでしょうか・・・