時々、キモノでお出かけ♪

かつて二日に一回キモノを着ていた主婦の、今となっては備忘録と化しているブログです。

晩秋の能登半島その3・恋路海岸と見付島~大島と薔薇羽織

2009-11-20 23:08:38 | レジャー
幼少の頃、夏休みには毎年家族旅行に出かけていた。
アルバムを紐解いてみる。
はじめは3歳の夏。
以降、小3までは北陸方面へ。
小4は紀伊半島1周、小5以降は中国地方(山陽・山陰両方)へ。
とりわけ何度も訪れていた北陸は印象深い。
芦原温泉、山中温泉(よしのや・いまは大和ロイヤルHになっている河鹿荘)。
粟津温泉(法師)、山代温泉(百万石)。
そして能登半島に足を踏み入れたのは小2の夏。

ものすごく車酔いする子供だった。
当時の道路事情は今と比べるとなかなかハードだった気がする(一部舗装なし、とかあったような・・・)。
海岸沿いの道はカーブがきついから地獄のようだった。

ゆえにだろうか?
訪れた観光地は幼少にも関わらず、かなり記憶に残っている。
車から降りて歩いている時間はしばしの安らぎだったから(笑)。
永平寺なんて5歳だったのに覚えている。
安宅の関は6歳(小1)。
すでに義経は伝記などで読んで知っていたので、「これが・・・」と勧進帳の場面の銅像を興味深く眺めていたものだ。
(この時から勧進帳についての知識は進歩していない)


さて。
34年ぶりに訪れた恋路海岸。

銅像がない・・・こんなんやったっけ?
首をかしげながら海辺探索。
イソギンチャクやヤドカリが触れて小鞠は満足。

昭和50年の画像。
何このおそろしく似合っていないブリブリワンピ(当時はお気に入りだった)・・・



次は、夏休み絵日記にも描いたので印象深い見付島(別名 軍艦島)。

誰が「見付けた」のか忘れていた。空海なのか。(日本全国どこにでも現れていますな-弘法大師さん)
ココは記憶どおり!
こっちの昭和50年画像は、モンチッチヘアに似合う服(当時は男の子みたいで嫌いな服だった)。


今日のコーデ
キモノ:母の大島 なぜかいつも背中にシワがでる
帯:水玉柄昼夜帯 この大島には前も合わせた。なんとなく色のトーンが合う?
帯留:豆千代モダンの白鳥
羽織:薔薇羽織 ローテーション的にこの羽織しかもうなかった

郷愁の能登日記はまだまだ続く