ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

Happy Go Lucky!(2/10)その2

2022-03-24 19:58:00 | メディア
BaBeの「シー・ハズ・ア・ドリーム」を流されたあと
「この作品はね、当時、ミュージカルのダンサーに憧れて
舞台でスポットライトを浴びて踊るっていうね
そういう『フラッシュ・ダンス』っていう映画だったかな?そんな映画もヒットして
若い女の子たちと、男の子たちもダンススクールに、よくね、通ってたんですよ」と長岡さん

『フラッシュ・ダンス』と言えば、以前に甲斐さんが、主演のジェニファー・ビールスのことを
「ローマの休日」の頃のオードリー・ヘップバーンや「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグ
「卒業」のキャサリン・ロスなど「時代を象徴するかのような、あでやかな花」であった
女優さん達の跡を継ぐ「80年代のアダ花」に挙げていらしたんですが

「ただ、思うのは、演技以前の問題で、ああいう風に輝ききっている人っていうのは
ある種、プロになり切れないところがあって
あの映画1本で辞めるなんていうことも考えられないことではないんだよね
あの生彩、あの弾けるような存在感、これからも出てて欲しい女優です、彼女は」

…と期待なさっていたにも関わらず、次作が大コケしてしまい(苦笑)
長らくスクリーンから遠ざかってしまったんですよね?(汗)
まあ、その後、テレビドラマで復活を遂げたみたいだけど…

それはさておき…「まあ、トゥシューズを鞄に入れてね
朝早くから眠い目をこすりながら、アルバイトに通って、レッスン代と生活費を稼ぎ
自分の夢に向かって頑張ってると…こういう姿を舞台にして描こうと、ね?

ほいで、実際、このBaBeってグループの2人の女の子の1人は
玉川高島屋の…デパートの売り子だったし…ブティックの店員さんだった
もう1人はね、三鷹のすかいらーくのウエイトレスやってたんですよね

ナンか、その仕事、ずっと続けながら(芸能活動を)やれば
売れるかなと思ったんですけど…うーん…
ヒットチャートに顔出して、ずっと歌ってたらね
他のアイドルと差別化できて、面白いかもねと思ったんですね

ところがね、あのー、すかいらーくの店員だった彼女がね
『ベストテン』に出た翌朝、新宿駅のホームで、うとうとと寝てたら
あの…周辺の騒がしさに、こう…目を覚ましたらね
すごい数の人たちがね、取り囲んでたんだって!(笑)

『あっ!夕べ、テレビに出てた子だ!』ってことで、もうバレちゃって
それで…パニックになった時に、それで、バイト辞めました
でも、プロモーションビデオではね、実際に…
えー、ああいうファーストフードのレストランで…デニーズみたいな所でね
バイトしてるシチュエーションのPV撮ったりもしました

ナンかこう…自分の好きなことを…たぶんね、親の反対、押し切ってやってるんで
仕送りもないことだろうし、極貧のね、生活の中でも夢を諦めずに追いかける姿っていうのをね
この『シー・ハズ・ア・ドリーム』っていうタイトルに込めて…
私、これね、私の力作なんです!この歌ね、この作品…

今でもね…今は、ダンスのヒップホップとか、流行は変わってますけど
夜に、ガラスは鏡の代わりになるじゃないですか(『見たことあります』と友廣さん)
練習代、払えないので、その鏡の前で、若者たちが
一生懸命、携帯から音楽流しながら、グループで踊ってますよね
もう、シーハット(おおむら)ね、毎日それです、あのガラスの前で…
それでね、私、いつも『頑張れ!頑張れ!』とエール送ってます

自分もね、まっ、高校・大学時代にバンドやってて
きっとこんな感じだったんだろうなあと思うんですよね、バンド馬鹿みたいなもんでね
自分の選んだことだから、弱音を吐くことはあっても
夢を簡単に諦めることは出来ない!と…(『大事ですねぇ、うーん…』)…そう!

友廣さんも、スポーツとか部活で、そんなメッチャ頑張った時あるんでしょ?
(『そうですね、ハイ、学生時代ありますね
もう、今、絶対に出来ないと思うけど…(笑)』)
そうですか(笑)それでいいですよね、思い出は…

もう、だからね、そんなね、バカになれて夢中になれるものがあるっていうのがね、ステキです
(『そうですね、大人になってから思いますね
その経験が生かせてるなという感じがしますね』)
キラキラしております、ハイ!青春グラフティーでした」

…と、かつて、不安を抱えながらも、夢を叶えるために
頑張って来られた方らしい振り返り方をなさってましたが
甲斐さんも、脱サラされて照和に戻られた際に
「ああ、これから俺は、毎日お腹を空かせることになるんだろうな」と思われたり

「せっかく就職して落ち着いたと思ったのに
おふくろには、また心配をかけることになってしまった」ことが申し訳なくて
「せめて家を出よう」とお考えになったり…と
プロになろうとお決めになった時に
様々な障害というか、マイナスの部分を凌駕するくらい「音楽が好き」でいらした訳で

その好きな道、ご自身で選ばれた道を歩まれ、長いキャリアを重ねられて
「ずっと好きでいられるっていうのも才能なんだよ」…という名言を発しておられました
学生時代に夢中になったものがあるだけで、それが、その後の人生の拠り所になったり
輝きだったりするんだから、現在進行形で好きなものに携わっていらっしゃるって
どんなに充実して豊かなことなんだろうなあと…

それはともかく…「みんながね、色々…リクエストとかあれば、お応えしますので
是非、皆さん、送って下さい。お待ちしております」と長岡さん
(…って、そういえば、奥さんは例の歌詞の件を投稿したんだっけか?(笑))

「さて、今夜のね、お別れの曲です…(『早っ!』と友廣さん(笑))
あとで説明しますけど、良い曲です…お聴き下さい」と
エリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」を流され

曲明けに…「この曲は、クラプトンが『ラッシュ』って映画のね、サントラを担当して
主題歌として、この曲を作ったんですね、1992年に…
実は、その1年前に…実は、自分の最愛の息子を亡くしたんですよ
で、その死を悼んで作った曲なんですねぇ…

クラプトンはね、こう…イタリア人の女優で、ロリー・デル・サントという人の間に
コナーくんって子供…息子がいたんですよ
非常に…とっても自分に似ている子で、とっても可愛がっていたんですけども…
ところがね、4歳のコナーくんは、アパートの53階の窓から落ちたんです
それで…転落して亡くなったんです…大変ショックだったと思います

1年後に、この仕事をよく請けられたなと思いますけどね
歌詞がねぇ、泣かせるんですよ、もう最愛のね、自分の息子に対して
『お父さんのこと まだ覚えているかい?』って
『僕たちの心はまだ繋がってるかな?』ってね
『悲しみを乗り越えて 前に お父さんは進まなきゃいけない』と…

『君がいる天国めざして いつか僕も行くんだけどね』ってね
『悲しみに沈む時 手を差しのべてくれるかい?』って
『心が折れそうな時に支えてくれるかい?』って
『お父さんは昼も夜ももがいているんだ 天国にいる君を思いながら…』って
こんなね、息子を亡くした心情を美しいメロディーに乗せて優しく歌ってる…涙、涙の曲です

(『それをこう…考えて聴くと、またちょっと違って来ますよね』)
そうそう、悲しく優しい名曲ですね…もう、ウッウッウッ…と、こうね
しんみりとして来ましたけども、また来週ですね」
…と、今回は長岡さんが「お別れコメント」を口になさって
友廣さんが「ホントですね、早いもので、また来週ということでございます」と締められ放送終了…

ちなみに…甲斐さん絶賛の、クラプトンのドキュメンタリー映画
「12小節の人生」でも、もちろん、この件は登場するそうですが
奥さんは、やはり「愛しのレイラ」誕生のエピソードについて
クラプトン自身が語ったシーンが印象的だったらしい

まあ、友廣さんがおっしゃったように、その曲が出来た経緯を知って聴くのと
知らないで聴くのとでは、感じ方が違うという意味では、どちらの曲も同じなんでしょうけど
いかんせん、奥さんが初めて「愛しのレイラ」を聴いたのは、小学校低学年の時だそうで
そんなエピソードなど関係なしに、ただただ「何、この曲!?」とブッ飛んだっていう
そのインパクトをずーっと引き摺ってるがゆえの感想じゃないかと…?(笑)

もっとも、甲斐バンドや甲斐さんの曲に関しては
その曲がリリースされた時代の空気や、その曲をお書きになった甲斐さんの動機と共に
リアルタイムで聴いて来られたことの幸運を嬉しく思っているみたいです(笑)
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