ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ヒットソングを創った男たち4

2022-03-29 15:24:00 | メディア
「斉藤由貴さんの7枚目のアルバム『TO YOU』(88年12月)まで
ほとんどの編曲を当時新鋭だった武部聡志さんが担当されていますが
それは長岡さんの考えに基づく起用だったんですね?」と訊かれて

長岡さんは「武部さんについては、同僚の太代真祐くんが担当していた
小林千絵さんの『水色のカチューシャ』(83年)を編成会議で聴いた時
『良いアレンジだなあ』という印象を持っていました

その後、小林麻美さんの『哀しみのスパイ』(84年)を聴いて
『このアレンジャーはすごい!』と思って調べたら『武部聡志』という名前で
そう言えば、小林千絵さんの曲も『タケベ』というアレンジャーだったなと思い出して
太代くんから武部さんの連絡先を教えて貰ったんです」とお答えになってましたが

甲斐さんが、ご自身のラジオ番組で、ボクの永遠のアイドル(笑)…「小林麻美っていうと
『雨音はショパンの調べ』って感じだけど、僕はこっちですね」と
「哀しみのスパイ」をおかけになったことを思い出しました
あの曲って、そんなに「通好み」な曲なんでしょうか?(笑)

ともあれ…「筒美京平さんに対しては、どういうアプローチをされたのでしょう?」との質問に
「斉藤由貴さんを担当することが決まった時
すぐに『先生と仕事が出来るアーティストを見つけました
是非、松本(隆)さんと一緒にやって頂きたいんです』とご挨拶に行きました

その後、3人で会った時に、由貴さんに何曲か歌って貰ったカセットテープをお二人にお渡しして
『これを聴いて頂いて、どの路線で行くのが良いかを次回相談しましょう』とお願いしたんです

そのテープには、原田知世さんの『時をかける少女』
松田聖子さんの『SWEET MEMORIES』と『夏の扉』
中島みゆきさんの『悪女』あみんの『待つわ』が入っていたと思いますが

10日後くらいに集まったら、お二人とも開口一番『待つわ』が良かったとおっしゃった
私も同じ意見でしたから『じゃあ、この路線ですね』と…
京平さんは『斉藤由貴は良いね。彼女は世の中を染めると思う』とおっしゃって

『このプロジェクトは松本くんの詞先で行こう
そうすれば彼は素晴らしい詞を書いてくれるよ』とアドバイスして下さったので
松本さんに『詞先で行きたい』とお願いしたら
松本さんは『先にタイトルを決めよう』と…

それで、松本さんのご自宅にお邪魔して、徹夜で話し合う内に
『初めてで最後のものが良いよね』ということになって
そこから『卒業』や『初恋』というタイトルが生まれた訳です」と返されると

インタビュアーの方は「デビュー曲の『卒業』(85年2月)だけでなく
3rdシングル『初戀』(85年8月)のコンセプトも、その時点で決まっていたんですね!」
…と驚かれてましたけど、アイドルに全く興味がなかった奥さんは

斉藤さんの6枚目のシングル「土曜日のタマネギ」をCMで耳にし
「ん?」と思っていたトコへ、甲斐さんが「サンスト」でこの曲を流され
長岡さんが斉藤さんを担当なさっていることを明かされた時から
俄然、斉藤さんに注目するようになったらしい(笑)

「4thシングル『情熱』(85年11月)も含めた、漢字2文字の3部作は
いずれも『作詞:松本隆、作曲:筒美京平、編曲:武部聡志』の座組みですが
筒美さんは、長岡さんだけでなく、武部さんとも、この時が初顔合わせだったと思います」
…というインタビュアーの方の言葉に

「京平先生が『僕はディレクターを選びます
自分の描きたい世界を理解してくれない人と仕事をしてもしょうがないから』とおっしゃっていたので
『長岡くんと仕事をしたい』と言われた時は嬉しかったですね

アレンジャーとして、武部さんの名前を出した時は、初仕事ということもあって
最初は心配されたようでしたけど、一緒にレコーディングして行く内に
『すごく良いね』と気に入って下さって…
曲作りに関する判断が的確で、すごい分析力をお持ちの方ですから
私にとっては勉強になることばかりでした」と振り返られ

「そう言えば、こういうことがありました
京平さんから『卒業』のデモテープを渡されて、武部さんと一緒に聴いた時
武部さんが『う~ん』と唸ったんです
彼に言わせると、イントロのピアノの運指が謎だったらしくて『これは普通、弾けないですよ』と…

イントロを弾いた時、音が繋がっているように聴こえないといけないんですが
それがピアニスト泣かせのテクニックらしくて、誰でも弾けるものではなかったんです
人によっては、右手と左手で弾く人もいるんですが
あの難しいイントロを右手1本で弾いた武部さんはすごかったですね
そういう課題を与えた筒美京平という人もすごいと思いましたが…」と明かされてました

更に…「詞先で制作された、筒美京平・松本隆コンビの作品といえば
太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』(75年)がありますが
筒美さんの予言通り『卒業』も、それと並ぶ名曲になりました」というインタビュアーの方の言葉に

「実は、松本さんの(卒業の)詞には、サビに入る前の『ああ』はなかったんです
歌入れの時に京平さんが『ここに「ああ」って入れてみようか』とおっしゃって
実際、入れてみたらすごく良くなって『これは良いですね!』と言ったら
『長岡くんに褒められちゃったよ』って、笑われたことを覚えています(笑)

五木ひろしさんの『よこはま・たそがれ』(71年)も、平尾昌晃さんの発案で
『行ってしまった』が『行って行ってしまった』になったと聞いたことがありますが
その方が絶対に耳に残る。さすがですよね」と返されてましたが

ボクは、甲斐さんが、西田佐知子さんに曲を提供なさって
そのレコーディングに立ち会われた際に、西田さん側からアドバイスを求められたものの
「いつも通りに歌って下さい」としか、おっしゃらなかったというエピソードを思い出しました

それまで職業作家の先生方とばかり、お仕事をなさって来た西田さんにしてみれば
レコーディング中に、歌詞やアレンジが変更されたり、先生方から注文が入ったり…が
おそらく?普通でいらしたんでしょうし、何もおっしゃらない「甲斐先生」に
ずいぶんと戸惑われたんじゃないかと…?(笑)

それはともかく…「『卒業』は、新人アイドルのデビュー曲としては破格のヒットでしたが
いきなり好セールスを上げたことで、口を出す人が増えたり
セールス的なノルマが課せられたりというようなことで
そのあとが作りにくくなることはありませんでしたか?」との質問に

「誰かに何かを言われた記憶はないですけど、元々、私はそういうのを聞かないタイプなので
仮に言われたとしても、自由にやっていたでしょうね(笑)」と長岡さん(笑)
「よく『会社のために』とか『利益を上げるために』という話を聞きますけど

私は『会社という組織は、適材適所で人員配置をしているだろうから
現場にいる我々は、自分のためになることを徹底すれば
それが会社の利益に繋がるはずだ』という考えなんです

そのためには、自分のやる気、モチベーションを維持しなくてはなりませんから
物事に対する好奇心を失くさないようにしようと、それだけは心がけてましたね」と話されたり

「斉藤さんは『卒業』以降もトップ10ヒットを連発
アルバムでは、チャート1位を獲得しました
ヒットメーカーになったことで、プレッシャーを感じる場面はありませんでしたか?」という質問には

「結果の評価をどこに置くかですよね。売上至上主義の人が多いですが
私は、ヒット曲よりも、名曲として残って行くような作品を作りたかった

制作部長も同じ考えで、事あるごとに『枚数は気にするな。良い曲を作れ』と言われました
上司に恵まれたんですね、私は…(笑)」とお答えになっているのが
やはり、元バンドマンらしい感じ…っていうか
常々、甲斐さんがおっしゃってることと通じるものがあるような気が…?(笑)
コメント
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