ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

J-POP LEGEND FORUM(6/14)その1

2021-07-23 15:50:00 | メディア
「甲斐バンド特集第2週は、シングル『HERO』でヒットする前後の
1977年から1979年までの甲斐バンドを振り返る」とのことですが
まずは「嵐の季節」が流れる中…
「1978年に発売の5枚目のアルバム『誘惑』からお聴き頂いております」と田家さん

「今週の前テーマというより、1曲目という感じですね
いかがですか、この曲?当時も好きな曲だったんですが
今回改めて、ずっと聞き直していて、この曲は響きましたね
今だからこそ響く要素が沢山ある曲だなと思いました

コートの襟を立てて、雨や風をやり過ごそうとする、この毅然とした姿勢
背筋が伸びていて、視線は遠くまで見ていますね
テレビのアナウンサーや新聞のコラムの年寄りが象徴するという世間、世の中に
氾濫している偽りだらけの情報に流されまいとするこの意志

…と、コロナ禍だけでなく、メディアの在り方やSNS問題にも言及しているかの如く
描かれた歌詞を織り込みながら話されたあと
「甲斐バンドは、1970年代の終わりから1980年代に入って
特にハードボイルド路線が強まって来るんですが、この曲がその序章だったなと思いますね
街角に立っております」とおっしゃってましたけど

それは、やはり「5人目の甲斐バンド」と評された佐藤剛さんが
まずマネージャーとして、のちに事務所代表として、甲斐バンドに関わられるようになって
それまでの「女子供の甲斐バンド(汗)」と揶揄されていた状況を打破すべく
歌詞に登場する主人公の一人称を「僕」から「俺」に変更するようサジェストなさったり

甲斐さんご自身も、よりロック色の強いメロディやサウンドを追求し始められたり
ライブの動員数増加に比べ、伸び率が小さかったレコードセールスを意識するようになられたりと
次のフェーズに入るために舵をお切りになった結果じゃないかと…?

ともあれ…「1977年から1979年にかけて、彼らを取り巻く状況は激変しました
作風も変わりましたけど、これは、彼らだけではなかった
1970年代をどう終えるか?というのは、当時のミュージシャン誰もが
必死に追い求めていたテーマで、最後に鞭を入れている場面です」と説明なさってましたが

確かに、当時のインタビュー記事には…「『80年代なんて80年からは始まらないんだ』って
中上健次が言ってたけど、その通りだと思う
突然、80年ですからって始まったものこそ、嘘っぱちなんだよ
だからこそ、79年初頭にチャート1位になって、80年に向かいたかった
正直、やったぜ!と思ったね」とか

「去年、俺たちは、ものすごいスピードで走り抜けたと思う
80年代が輝かしい時代なのか?は別にして
このスピードを維持して、今年…80年もやって行くよ
80年代についてのコピーが色々あるけど、そんなのはどうだっていい
79年を生きた俺たちが、まず80年を生きるということで
現在に身をさらして歌って行くことが一番大事なんだ」…といった言葉が並んでいます

ただ、79年の後半に入ると、マスコミも「80年代」を意識し始め
前述の「コピー」を皮切りに、お祭り騒ぎの様相を呈して来たことを受けて
「2~3年前は、80年って、すごく意識してたけど
これだけ80年代という言葉が氾濫すると、誤魔化されてるって思えて来るのね
80年代に向けて放ったりはしない
俺たちは今を撃ちたいよね、79年の今を…」と甲斐さん

「70年代の後半っていうのは、ニューファミリーとかフィーリングとか
音楽にもニューミュージックなんて言葉が出て来て
(世間は)その雰囲気で何となく判ったような気分になっていた
だけど、俺たちが欲しいものは、そんなものじゃない

自分で納得がいって、自分が確かめられるもの、それしか信じられない
だからこそ、よりリアルな愛を自分の手で探すんだよ
気分や雰囲気だけで流されちゃヤバイよ
気がついたらカラッポだったなんていうことにならないように
ホントの感触を大切にしたいんだ」といったことを繰り返し話されていたそうで

村上龍さんとの対談でも…「もう俺たちは、リアルなものじゃないと絶対に信用しないもんね
フィーリングとかニューファミリーとか、曖昧な70年代の言葉なんて信用しなくなってる
今、79年だけど、体は完全に80年代に行っちゃってるじゃない?
そうすると、触ってみて感じられるもの、リアルなものしか信用しないよ、映画でも歌でもね」とか

「(80年代を予感させる音楽は)やっぱりレゲエだと思うね
パンク・ムーブメントじゃなくて、絶対にレゲエだと思う
パンク・ムーブメントって結局、詞だけじゃなくて曲も暴力だから、それでみんな聞かないと思うんだ
強いことを言えば言うほど、それをスムーズに向こう側に通じさせる手口って大事だと思うな
俺は、本当に自分の思ってることを
みんなに伝えたいと思うからこそ、余計に考える」…とおっしゃってます

奥さんは今回改めて、79年は「HERO」の年みたいに言われているものの
80年代に向かわれる甲斐さんの中ではもう
「感触」がジャストフィットしていらしたことを思い出し
リアルタイムで、甲斐バンドのライブを観たり
甲斐さんのラジオを聴いていたことの幸運を実感したようで
「だから『ただオイラは街角に立ち お前の薔薇色の髪に顔を埋め今を感じていたいのさ』
…っていう歌詞が好きなのかも?」と申しておりました(笑)

もっとも「80年代」というワードで、一番印象に残っているのは
甲斐さんが、山口百恵さんの「しなやかに歌って」という曲に
「80年代に向かって」とのサブタイトルが付いていたことに
「ナニ言ってんだ?」とツッコんでいらしたことらしいけど…(笑)

それはともかく…田家さんは「先週のテーマは、福岡から上京して
東京と色々な形で格闘していたということでした
今週は、先週にはなかった官能的な艶、妖しさのようなものが加わって来る時期です
少年性に男の魅力が備わって来るバンドの充実
骨太なバンド…ロックバンドとしての新しい扉が開いて来ます」と紹介されてましたが

甲斐さんによれば…「『英雄と悪漢』『この夜にさよなら』それに『ガラスの動物園』なんかでは
僕の個人的な内なる思いが歌になって行った
自分の側から女を歌っていたし、結局、自分の中でしか完結しえなかったんだ
それが『誘惑』からは、外に向けて告発をし始めた
もちろん、個人的な理由からだけどね」…ということみたいです

「この夜にさよなら」を作っていらした時
長岡さんに「もう書けない…これ以上何を書けばいいんだ…」と涙を流されたそうですが(汗)
その後、スプリングスティーンの「夜は自由、夜は無限」という言葉から
「夜は昼の向こう側にあるだけじゃない
自由な無限の夜の側から見ると、昼はギリギリの今なんだ」ということに気づかれ

「これまでの歌って、いつも泣いてる
いつも悲しみに沈んでいて、いつも失恋なわけ
でもさ、そういう姿も本当だろうけど、人間って、泣き腫らしたあと
どこへ行ったらいいのか考えるんじゃないか?そんな曲を、今作りたいんだ
『この夜にさよなら』までで、俺は、俺の夜の世界から昼へ移行した
早くしないと燃えかすになっちまう『今』を、今こそ歌うためにね」と語っておられました

まあ、奥さん達のような初期からの甲斐よしひろファンの皆さんに
「よく判ってらっしゃる♪」と絶大な人気がおありだった(笑)水上はるこさんは
同じスプリングスティーンの言葉をお聴きになって
「そう、夜はただ昼の向こう側にあるだけの季節ではない
夜の隙間に、甲斐よしひろは魂を預ける」と評されてましたけど…(笑)
コメント
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