ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

J-POP LEGEND FORUM(6/21)その2

2021-07-28 21:05:00 | メディア
甲斐バンド伝説の1つ、花園ラグビー場でのライブについて…
「で、2曲目に歌われたのが、1978年のアルバム『誘惑』の中の『翼あるもの』
この『翼あるもの』が始まった途端にですね
2万人のお客さんが、一斉にステージに押し寄せて来たんです」と田家さん

もちろん(笑)奥さんは「私は押し寄せてないけどね!
いきなり後ろから、なだれ込んで来られただけですけど、何か?(笑)」とツッコミ(笑)
両手を上げて手拍子していた時に、背中にものすごい圧力を感じ
「えっ!?」と思う間もなく、バンザイエビ反り体勢のまま、前へ前へと押し流され

「今、ここで倒れたら確実に死んでしまう」という恐怖と
呼吸もままならないほど圧迫された肉体的苦痛が
その後も数ヵ月間に渡って、ちょくちょくフラッシュバックしたらしく(汗)
いまだに「『花園で前に押し寄せた』と話す人には好感が持てない」んだとか…(苦笑)

ともあれ…「その時のですね、ライブバージョンをお聴き頂こうと思います
『翼あるもの』の花園ラグビー場バージョン
2019年の45周年ベスト『CIRCUS & CIRCUS 2019』からお聴き頂きます」
…と「翼あるもの」が流されたあと

「あの時、あそこにいたんですよね…ってことで
何かがですね、分かち合えたような気がするもんですけど
この会場にいらっしゃった方々がですね、今、何してんのかなあ?というのが
しばらく頭の中にありましたね」と振り返っておられましたが

我が家の住人は、あの大混乱の渦の中で、バッグを失くしてしまい
その中に入れていた通学定期…それも、夏休み明けに買って貰ったばかりの
…半年定期を紛失したことを母上に告げることが出来ず…って「そんなこと言った日にゃ
二度とライブになんか行かせて貰えなくなる!(汗)」という訳で
それから半年間、少しでも交通費を節約するために
最寄り駅の一駅先の駅まで歩いて、通学していたそうです(笑)

もっとも、当日はライブ終了後に、臨時の「落とし物預かり所」が設置されたり
数日後には、遺失物問合せの電話番号が発表になったりしたみたいだけど
残念ながら、バッグは行方不明のまま…(苦笑)
それでも「靴は両方揃ってたし、友達がポシェットを提げてライブを観てたから
電車賃を借りて、ナンとか帰って来られたし…」と奥さん

ラグビー場から最寄り駅まで歩いて行く途中には
片方だけの靴を持って、裸足で歩いている方々や、公衆電話の前に行列を作っている方々
その行列のそばや、最寄り駅の前で「お金を貸して下さい!必ずお返ししますから!」と
訴えている方々が大勢いらしたらしく、今ではライブそのものよりも
その終演後の光景の方が、より強く印象に残ってるんだとか…

「『翼あるもの』はですね、どのライブでも、お客さんは大合唱が起きるんですけども
今お聴き頂いて、お判りのようにですね、合唱が起きないですね
悲鳴のような声が記録されております
つまり、イントロが始まって途端にですね、お客さんが前に押し寄せて来たんですね

で、ステージはですね、当時、日本で使われた野外イベント用のステージの中で
一番大きかったでしょうね。ストーンズと同じものだって言ってましたから…
で、そこにですね、お客さんがこう…殺到した…2万人ですからね

芝生の上にですね、座布団が敷かれていたんですよ(笑)これがね、1981年ですね
野外イベントのノウハウなんか、何もなかったんですね。席をですね、座布団で示していた
で、お客さんが興奮して、自分の足元の座布団をですね、一斉に投げたんですね
そして、前に押し寄せて来た

あの空をですね、お客さんが投げた座布団が乱舞していて
何枚かの座布団がですね、ステージで歌ってる甲斐さんと松藤さんの胸にですね
当たったりするという、そういう光景がですね、繰り広げられました」と説明なさってましたけど「座布団」って…(笑)

実物は、30センチ角の厚さ2~3センチくらいのビニールシートなんですが
知らない方が、この説明をお聴きになったら
大相撲の土俵の上を座布団が飛び交う光景を思い浮かべられるんじゃないかと…(笑)

もっとも奥さんは「記念にお土産として持って帰って貰えるかなと思った」と
のちに、甲斐さんがおっしゃっていた通り
座席番号が記された、このビニールシートを目にした途端
一度も座ることなく、持っていたバッグに大切にしまい込んだみたいで
1曲目の「破れたハートを売り物に」から、この大切なお土産を
ステージに向かって投げるファンが、大勢いらっしゃることに心底ビックリしたらしい(笑)

ただ、この花園ライブの前年に行われた箱根・芦ノ湖畔でのライブは
日本に初めてブロック制が導入されたライブと言われているのに
花園ライブで、そのノウハウを採り入れなかったのは何故なんだろう?と思ったら
花園ラグビー場ライブは、最初から野外イベントを開こうと計画されたものではなく
大阪にある既存のホールでは、収容人数が少な過ぎるため、より広い会場をお求めになった
…というのが、そもそもの始まりだったみたいで

もちろん、他府県から参戦された方もおられたでしょうが
当初は、一大野外イベントというよりも、ちょっと大きめの地方ライブ的な扱いだったようです(笑)
まあ、そこに「ロックは格闘技だ!」という、甲斐さんの思いつき(笑)が
反映されたのであろうことは間違いないんじゃないかと…?(笑)

ちなみに…甲斐さんは、芝生の上にズラリと並べられたビニールシートをご覧になって
「大丈夫なの?これで…?」とお訊ねになったものの
「自分が買った席なんだから、その場でなら立っていい」という
甲斐さんのスタンディング・オベイション布教が浸透していたことで
周りの関係者の皆さんは、すっかり安心なさっていたため
「大丈夫ですよ!」と太鼓判を押されたそうです(笑)

それはともかく…
「もちろん、一番前に鉄柵はあったんですが、その鉄柵がですね
ズルズル、ズルズルとこう…ステージの方に、まあ動いて行くというシーンを見ておりましたね
カメラマンの井手情児が、真っ青になっておりました」と田家さん

映像で拝見する限り、甲斐さんがよく話されているみたいに
まるで電柱のような太い鉄柵ではないので(笑)
押し寄せるファンと、鉄柵を両手で支えて踏ん張っておられるスタッフの皆さんの間で
ボキッと折れてしまいそうだったし
2万という数の人流が、背後に迫って来たら、どなたでも真っ青になりますよねぇ…(汗)

「で、6曲目に『嵐の季節』という曲が歌われて
甲斐さんがですね『怪我人が出そうなんだ!一歩下がってくれ!』っていう風に言って
そこで、いったん空気が変わるんですね」…って
伝説の「説教タイム」なのに、そんな優しい言い方でしたっけ?(笑)

奥さんは、流されるだけ流されながらも、真っ直ぐ進めば
鉄柵と人流の間に挟まれ、身動き出来なくなってしまうと思い
少しずつ外側へ向かう流れの方に体を斜にして
早く甲斐さんが気づいてくれないかと念じつつ
ナンとか、楽に呼吸が出来る辺りに辿り着いた…と思ったら
元いた場所からは程遠い、後方の見切れ席の辺りだったらしく

甲斐さんが「センターの後ろ、下がれ!2メートル!」とおっしゃった時に
思わず「イヤイヤ!『元の席に戻れ!』でしょ!」と口答え(笑)
なんせ、せっかく3列目ど真ん中という夢のような席を手にしたのに
その幸せは「破れたハートを売り物に」1曲分しか続かなかったもので…(苦笑)

まあ、それを言うなら「翼あるもの」から「嵐の季節」まで
間違いなく演奏されたはずの5曲も全く記憶にないみたいだし(苦笑)
説教タイムが挟まったせいで、カットされてしまった曲もあったでしょう
奥さんが「THE BIG GIG AGAIN」開催決定を聴いた時に
「花園ライブで予定されていたセトリ通りのライブもやってよ~!」と
切に願っていたのもムベなるかなと…(苦笑)

「で、甲斐さんは、打ち上げで『オルタモントにはしたくなかったんだ』って言っとりましたが
この花園ラグビー場のですね『翼あるもの』
これはもう、まさにライブ伝説そのもののような曲
たぶん、この花園のライブバージョンがですね
CDになったのは、これが初めてだと思います
1981年9月13日、花園ラグビー場のライブバージョンで
『翼あるもの』をお聴き頂きました」と紹介なさってましたが

「CIRCUS & CIRCUS 2019」収録の「翼あるもの」の音源は
ライブCDのBOXセットの中に収められた「花園ラグビー場」の中のものですよね?
まあ、この日は「破れたハートを売り物」と共に「翼あるもの」も2回演奏されたそうで
…って、奥さんは、甲斐さんが「『♪今夜かぎりね♪』と歌いたくない」と
「翼あるもの」に差し替えられた「きんぽうげ」が聴きたかったみたいです(笑)
コメント
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