ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

J-POP LEGEND FORUM(6/7)その1

2021-07-19 15:06:00 | メディア
この番組は、甲斐バンドフリーク必携の「入門書」とも言うべき
「ポップコーンをほおばって」の著者でいらっしゃる田家秀樹さんが
「日本の音楽の礎となったアーティストに、毎月1組ずつスポットを当て
本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく番組」です

2021年6月は甲斐バンド特集ということで、もちろん(笑)奥さんは録音予約した訳ですが
1986年の甲斐バンド解散後、田家さんは甲斐さんと、あまり交流なさっていないご様子
…って、批判的な文章を書かれたこともおありでしたし
甲斐さんが出演なさった番組で、お顔を合わせられた時もお互いによそよそしい感じでしたし
「ナンでまた急に…?」といった気持ちもナキニシモアラズだったみたいです(苦笑)

実際、田家さんも甲斐バンド特集収録前のブログで…
「86年の6月に行われた武道館5日間の解散コンサートから35年という区切り
今やらなければ、もうそういうタイミングはないかも知れないなあと思いながらです
と言っても、2019年にはデビュー45周年で、ツアーやリリースがあったりしました
でも、僕は見てませんし、僕が語れるのは74年のデビューから86年まで…
改めて、その頃の話を思い出しながらやろうと思います

70年代の後半から80年代にかけて、一番好きだったバンドなのは間違いありませんし
幸い、現場の近いところで見せて貰ってましたからね
当時は判らなかったことや気づかなかったこと、今だから思うこと、色々あります」
…と、ちょっと歯切れが悪いというか、含みのある言葉で綴られているような気が…?(苦笑)

ただ、その内容については…「基本的なスタンスというんでしょうか
こんな話が出来たらいいなと思うのは、はっぴいえんどからBOOWYに至る過程の
日本のバンド史の最重要バンドということですね
あまりそういう見方はされてないような気もするんです

比較する気はありませんけど、同じ時期にはRCもいた訳です
そうした中で、商業的な意味も含めて、一番成功したバンドという言い方も出来る
その割に語られてないようにも思えますし…
メジャーだけどカルト性が強い。ライブにしろ作品にしろ妥協せずに
メジャーになったバンドということでは、他に例がないでしょう

当時、彼らがやろうとして来たこと、担っていたこと
求めていたことを振り返ってみようかなと…」と説明なさっていて
それなら、田家さんが適任でいらっしゃるんじゃないかと…?

ただ…「まだ終わってませんが、今日、全部のアルバムを聞き直してました
懐かしくもあり、今まで感じたことのないプレッシャーもありつつですね
これだけ時間が経っていて、しかも今も健在
僕より詳しい人が沢山いる中で何を伝えるのか」…と迷っておられるようにもお見受けするし

翌日のブログにも…「明日、1週目の収録。今日も1日、甲斐バンド漬け
元々は2週分の収録予定だったんですが
自分の台本というか、構成が出来なくて、1週だけになりました
と言っても、ゲストもいないんで、誰にも迷惑はかけてませんが…って、そんなことないか
もう1週分のスタジオは押さえ直しだし、ディレクターのスケジュールも貰わないといけない
まっ、はた迷惑は変わりありません

1週分と言っても、4週分の流れや選曲が出来ないと、どうにもならない訳で
結局、4週分を考えないといけない
全部のアルバムを聞き直して、どの曲をどこに入れようか
パズルみたいな作業が終わってから、原稿です
いったい誰に向かって、そんなに詳しく書いてるんだ?(笑)

それが好きでやってるんじゃないかと言われれば、はいそうですと言うしかありませんが
でも、時間が迫って来ると、ただただ焦る訳です
この曲よりこっちの方がいいのではないかとか、これにしたらこっちはこうじゃないでしょうとか
その内に、前にやっていたことを忘れてしまう
組み換えてみようと思っても、前の状態をすぐに忘れるから、元に戻れない
堂々巡りね。で、何を書こうとしたんだっけ

この間、はっぴいえんどからBOOWYに至る過程での最重要バンドと書きました
甲斐バンドの解散武道館のすぐあとにBOOWYを観ているということもありますね
こんなにビートが変わるのかと思った
甲斐バンドは70年代的な重さみたいなものが特徴でしたけど、BOOWYには全くなかった
そういう意味では、はっぴいえんどの松本さんのドラムは、70年代ロックな感じはしましたからね
でも、BOOWYはそうじゃなかった。縦ノリ感ですよね。もっとドライだった

でも、ライブ活動が基本で、流れに媚びないという姿勢は共通していた
精神的な核は似ていたと思います
だから惹かれるんでしょうし、時代が変わったという証しのような気がしてます
違うのは、片や再結成、片や完全封印ということかな。それは同じ土俵では語れませんけどね
でも、どんな4週間になるんだろうと思ってます
自分の中の何かに決着がつく気もしています」

…と、何気にディスってません?(苦笑)みたいな文章もあり
ナンて言うか「何を伝えるのか?」ということより
どこまで「本音をぶっちゃけるか?」の匙加減で悩んでおられる風にも受け取れるし…(失礼!)
まあ、何十年も前に別れた恋人を思い出して書いたラブレター的な感じ?(苦笑)

つまり、別れた直後、まるで「黒歴史」のように封印したものの
魅力的な相手との新しい恋愛を経て、年齢を重ねたあと
過去の恋人を否定することは、当時の自分を否定することと気づいて
改めて見つめ直してみようと思い始めた…みたいな…って言ったら、穿ち過ぎでしょうか?(笑)

ともあれ…「決着」とおっしゃるからには、何かしら胸に抱えて来られた思いに触れられ
その落としどころを明らかにして下さるんじゃないかと思い、いざ第1週の放送へ…

いきなり「バンドの活動っていう風に考えると、はっぴいえんどが始まりにあったものの
その後のこう…ロック史の中ではですね、それほどの語られるべきものがないんではないか
当時、思ったりもするんですね。実際これだけの期間、活動して
じゃ何を残したかって考えた時に、やっぱり甲斐バンドというのは、それ、こう…上手くて
違う形でもっと語られるべきだっていうのが、今月の趣旨なんです」と田家さん

「2019年に発売になった、デビュー45周年のライブベスト
『CIRCUS & CIRCUS 2019』からお聴き頂いてます」と「吟遊詩人の唄」を流されながら
「この曲のオリジナルはですね、1974年12月に出た甲斐バンドのデビューアルバム
『らいむらいと』の中の曲なんですね

で、この『らいむらいと』はですね、他の曲は全部オリジナルなんですが
この曲だけがカバーだったんです
イギリスのシンガー・ソングライター、レオ・セイヤーの74年の
『One Man Band』という曲に甲斐さんが詞を付けてる。74年の新曲だったんですね
当時、発売されてすぐ、あ、この曲いい曲だなってことで
詞を付けて歌ったって曲なんでしょうね」と紹介なさってましたが

甲斐さんは「ROCKSII」をリリースされた際に…「アマチュア時代の18歳から歌っていて
レオ・セイヤーの曲をザ・フーのロジャー・ダルトリーがカバーしてるのを聴いて
衝動的に、日本語の歌詞を書いたんです
あの頃は、モータウンとストーンズをひたすら思い浮かべ
行き先も見えないまま、ビート詩人のようになりたいと思ってた。文学性と衝動感が強い歌を書こう
ストーリーが見える歌を書こうとしてましたね」…と振り返っておられました

それはともかく…「先ほどの…あのー、お客さんの声をですね、お届けしたくて
えー、長めにお聴き頂いたというですね、そういう(番組の)始まりです
えー、2019年に出た45周年ベスト『CIRCUS & CIRCUS 2019』というのはですね
これまでに行われたライブからのベスト盤だったんですね

で、今お聴き頂いたこのライブはですね、77年12月の中野サンプラザ…
えー、イヤ、何年前だ!?40年以上前ですね…えー、このお客さんのですね
えー、甲斐さんと一緒に声を上げていた、あなた、今おいくつなんでしょ?(笑)
甲斐バンドの初めてのライブアルバム『CIRCUS & CIRCUS』というのもですね
発売になって、そこに収録されていたものを
この45周年ベストの中に入れたというですね、そういう曲です」…と、おっしゃっていて

確かに、甲斐さんの歌声だけじゃなく、観客の皆さん…ほぼほぼ女性…の声も
「ああ、若いなあ~!」って感じなんですが(笑)
「『今おいくつ?』は、大きなお世話だわ!(笑)」と奥さん(笑)
もっとも、本人も「初めてラジオで『バス通り』を聴いた時は
まさかこんなに長いつき合いになるとは、夢にも思わなかった(笑)」と申しておりましたし(笑)
他にも大勢「大きなお世話だわ!(笑)」とお思いになった方がいらっしゃるんじゃないかと…?
コメント
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