ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK番外編その2

2016-02-11 10:23:00 | 日記
1978年4月21日、甲斐さんの「若いこだま」第3回は
「翼あるもの」のA面に収録されている曲が順番に流され
それぞれの原曲に対する思いを語られるという構成だったらしい

今までにも「翼あるもの」を始め、折に触れて
このブログでご紹介させて頂いたので
…というか、皆さんよくご存知のことばかりだと思いますので
サラッと読み流して下さいね

甲斐さんが、このアルバムを作られたのは
オリジナル曲を書かれたり、ツアーに出られたりといった
甲斐バンドとしての活動とは別に
シンガー・甲斐よしひろとして「歌う」ことで得られる
刺激や体験をバンドに還元すれば
一回り大きくなれるはずだという思いがおありだったからだそうですが

バンドとソロの区別をキチンとつけるために
レコード会社を別になさったことで、業界に波紋が広がったり(汗)
「解散」報道が飛び交ったり(苦笑)…と
当時も奥さんはヒヤヒヤしたみたいだけど

この日の放送でも、甲斐さんが今まで一緒にお仕事されて来た
レコード会社の方々との関係は大事にしたい
でも、その関係に縛られて、ご自身のやりたいことが出来ないのはイヤだ
…といった話をされていた時に
つい「東芝EMI」という名前を口になさってしまったらしく
「ああ…言っちゃったよ」と…(苦笑)

ともあれ…甲斐バンドの曲の多くは、甲斐さんが書かれているため
オリジナル曲でソロアルバムを作られても
バンド活動の延長みたいに受け取られるかも知れないと
「カバーアルバム」になさったようですが

「(当時の)日本には、かつて誰かが歌った曲を
違う人間が歌う文化が根づいてない」ことに
一石投じたかったという側面もおありだったんだとか…

当初、甲斐さんがお好きな曲を300曲くらい?挙げられた中から
厳選された15曲を持ってナッシュビルに飛ばれ
その内の10曲がこのアルバムに収録された訳だけど

奥さんによると…甲斐さんは
「俺がどんな曲に刺激を受けたり、感じたりして育って来たか
聴いて来た曲に刺激され感じたことを
(オリジナル)曲にして来たということを感じて貰えればいいな」と話され

「翼あるもの」というタイトルを付けられたのは
甲斐さんにとって、このアルバムに収録された曲(だけじゃないかも?)が
文字通り「翼あるもの達」だからだとおっしゃってたそうだ

「カバーなんだけど、新しいものにしたかった」と、その違いが判るように
オリジナルの「サワリ」を流されてたらしいんですが

「えんじ」は、レコードがなく(笑)
「福岡の森山って友達が作った曲で、俺の初恋の色は水色なんだけど
彼の初恋はえんじ色らしい」と説明なさっていたという

森山達也さんが「開戦前夜」として
照和のオーディションを受けられた時に「一発で気に入って」
「初恋はえんじ色でしょう」とおっしゃったことに
シビレておられたんですもんね(笑)

あっ!奥さんのカセットテープのインデックスには
曲名の他に謎めいた単語がメモされてるものがあって
この曲の横に「歌詞マチガイ」と書かれてるのは何ぞや?と訊くと

少し考えた後、奥さんいわく…
甲斐さんが歌詞を間違えて歌っちゃったんだけど
良いテイクだからって、そのまま収録したんだと思う(笑)
…その頃から、些末なことより歌の勢いを大事になさってたんですね

それはさておき…「サルビアの花」に関しては
このアルバムのそもそもの発端になった曲ということで
他の曲のように大胆なアレンジは施されず

「早川義夫さんには敵わないかも知れないけど
自分の声で真面目に歌いたかった」と甲斐さん
この放送の中で、早川さんへのメッセージを語られたという

奥さんによると…ジャックスは、甲斐さんが初めて泣いた日本のバンドで
その曲を聴いて育った自分がロックエイジとして、こうしてプロになったこと

早川さんは、レコードの売れ行きという部分で
お辞めになったのかも知れないけど
甲斐バンドは、ポリシーは貫きつつ
ヒットチャートにも名を連ねるようなバンドになろうと思っていること

辞めた後にその偉大さに気づかれるよりも
歌い続けている間に認められたい…というような話をなさった後
「前から話したいと思ってた話をしたんだけど
今、ナンか落ち込んでます…」とおっしゃったそうで

甲斐さんがいかにジャックスをお好きだったのか
当時にその素晴らしさが認められなかったことを
いかに悔しく思っておられたのかが
ひしひしと伝わって来て、涙ぐんでしまったらしい

その後、早川さんが活動を再開なさって、ご一緒にライブで歌われた時に
甲斐さんが、どれほど感慨深く思っておられるだろうと
また、うるうるしてしまったんだとか…(笑)

ともあれ、A面ラストの「喫茶店で聞いた会話」は
「日本人初のポップス」として、甲斐さん大絶賛の曲ですが
奥さんは、間奏の時の甲斐さんや松藤さんの笑い声を聴くたび
いったい何の話をしてるんだろう?と気になってたみたいです(笑)

「今後一生やらない曲」ばかりの名古屋ライブで
「この曲だけは、またやるかも知れない」と訂正されたお言葉通り
今度のビルボード・ツアーで、再び聴けるかどうか、楽しみですね♪


























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