ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK番外編その6

2016-02-16 09:19:23 | 日記
1978年6月9日の「若いこだま」は
甲斐さんの弾き語りで「昨日のように」から始まったようですが
NHKの楽器班から「カンダ商会」のギターを借りてますって、いきなり…(笑)

機関紙では、音源紛失のためオンエア曲は不明となってるんだけど
「2分以内で終わるような短い歌」特集だったらしく
いつもの倍くらい?それ以上?の曲数です(笑)

それでも時間が余ったのか?(笑)奥さんは、それぞれの曲についての
甲斐さんのトークが長かったような気がするんだとか…(笑)

大瀧詠一さんの「いつも夢中」は
「夏!」って感じがして大好きな曲だと甲斐さん
夏休みに、お家の庭の朝顔を眺めてからラジオ体操に行かれてたのが
甲斐さんの夏のイメージだそうですが

サンストでは、飽きることなく朝顔をご覧になる甲斐さんを
お母様が「この子、大丈夫かしら?」と(笑)
心配なさっていたとおっしゃってました(笑)

「ワン・カオリ・モモイ」という桃井かおりさんのアルバムは
甲斐さんがナッシュビルに持って行かれたアルバムの内
唯一の日本人のLPだったみたいで、その中から「カオリ・ワン」
…って、LP盤のままで何枚も
海外に持ち出された訳じゃないですよね?(笑)

3曲目は、チューリップの「テイク・オフ」
甲斐さんは高校時代、地元のテレビ局主催のフォーク・コンサートに行かれ
当時4人編成だったチューリップをご覧になって

「レターメンよりスゴいハーモニー・バンドだ!」と思われたらしく
財津和夫さんにサインを戴いたそうだけど
1ヶ月くらいで失くしてしまわれたという(苦笑)

でも「アイドルのポスターを貼ったことがない(笑)」って方が
当時アマチュア・バンドだった方にサインを戴いたって
結構、イヤ、かなりスゴイことなんじゃないかと…?(笑)

ただ、奥さんによると…
甲斐さんは「日本語のロック」にこだわっていらしたので
チューリップにも「日本語でやって欲しい」と思っておられたようで
財津さんにお会いになると、遠回しに
「ほのめかしてる」と話されてたんだとか…(笑)

吉田拓郎さんの「高円寺」を流された後に
デビュー当時、甲斐バンドのメンバー4人で住んでいらしたから
「丸の内線だけは乗れる」…っていうか
丸の内線しか乗れないんじゃ?(失礼!)
…と甲斐さん

ソロではなくバンドでデビューすることになって
エレキに不慣れな大森さんや長岡さん
それにドラム経験のない松藤さんと甲斐バンドを結成されたのは
音楽的な技術よりも人間性を重視なさったからだと話され

もし、イヤイヤやってる部分があったら長続きはしない
4年続いて来たのは、メンバー全員が「俺は一生これで食って行くんだ」と
腹をくくっていたためだろうとおっしゃっていたそうだ

ともあれ、ペニーレインで拓郎さんとお会いになった時に、議論が白熱して
「俺はフォークを振り回し、拓郎は割り箸を振り回した」と…(汗)
「お手元のナイフとフォーク(笑)」を地で行かれた訳でしょうか?(笑)

同席なさっていたガロの大野真澄さんと山田パンダさんが
お二人を引き止められたことがあったんだとか…(苦笑)
甲斐さんは、かなり酔っておられたみたいで
お店を出られた途端に意識を失われ
どなたかに連れて帰って頂いたらしい(笑)

それはさておき、曲は矢野顕子さんの「風太」加川良さんの「こおろぎ」
泉谷しげるさんの「出船」と続き…

当時の甲斐さんは、音楽の世界で中堅…というか
「30歳くらいの人が主導権を握り、下には若い人が出て来て
俺はどこへ行こうか?」…といったことを考えていらしたようで

特に、泉谷さんとジョイントなさってから
拓郎さんや陽水さん、南こうせつさんなど
先達の皆さんを「もう越えなくちゃいけないと思った」と話されてたそうだ

「明日はどこへ行こう」という「翼あるもの」の歌詞には
そんな思いが表現されていたんですね

前回、前々回と2週続けてゲストを迎えられたことについて
リスナーから、様々な反応があったみたいで「人と会うのは難しいな」と…

対談なさる時のご自身の体調だったり
本音と建前を使い分けられるような器用さがなくて
言いたいことをズバッとおっしゃってしまったり

かつてセイヤングで、加藤和彦さんや泉谷さんとお会いになった際には
甲斐さんは、甲斐よしひろ個人として対談したいと
ご自身の聴きたい話をなさってたのを
ディレクターの方から、リスナーをないがしろにしていると
言われたことがあったらしいんだけど

ご自身はプロのインタビュアーではないし
ありのままで対談なさる様子を聴いて貰った方がいいんじゃないか?
それとも、もっとリスナーが聴きたがってる話をした方がいいのか?と…

甲斐さんが、そんな風に悩んでいらしたのは
風吹ジュンさんに対する態度が「スケベで頭に来る」と言われた(笑)
…からではなく、長谷川法世さんとお会いになって
長谷川さんが素敵で素晴らしい方だったことが、甲斐さんにとっては
ある意味「ムチ」で打たれたみたいに感じられたためだったようです

ちなみに…甲斐さんは、湊剛さんが長谷川さんにオファーなさったのは
甲斐さんが会いたがっておられたことはもちろん
「俺のためになると思って、会わせてくれた」と話されていたらしい

そうそう!風吹さんがゲスト出演なさった時は、ご本人のご意向もあってか?
風吹さんの曲は流されなかったのに(失礼!)
この日は甲斐さんが代わりに(笑)弾き語りで歌われてたそうだ(笑)

拓郎さんの「かくれましょう」と憂歌団の曲の後
友川かずきさんの「冷蔵庫」を絶賛なさって
色んな友達を作りたいと思ったのは
この曲を聴いたからだと話されていたんだとか…

甲斐さんによると、短い歌というのは
偶発的に出来たものが多く
言いたいことだけをポン!と言ってる
その凝縮された物の言い切り方が素晴らしいそうで

甲斐さんご自身も「1曲の中で言いたいのはホンの1~2行」だとか
湯川れいこさんのラジオでも
「本編が2分半というのは正しいのかも知れない」とおっしゃってましたね

1~2行で伝わるのに、他の言葉をつけて3番まで膨らませると
余計に中身が薄まってしまうと甲斐さん

ただ、作り手の方はそんなに深く考えておられる訳じゃなく
「思いつき(笑)」で作られていて
もしかしたら「言ってしまった!」と 思ってるかも知れないと話されてたらしい(笑)

この日、最後の曲は甲斐バンドの曲の中で一番短い「ゆきずりの風」でした
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