読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「アムリタ」

2008年01月10日 | 作家ヤ行
吉本ばなな『アムリタ』(福武書店、1994年)

この小説の最後あたりで、主人公の朔美の恋人である作家の竜一郎がこれから書こうとしている小説のタイトルが「アムリタ」だといって、「神様が飲む水」という意味だと説明している。人生というのは水をごくごく飲むようなものだということなのだろうか。

これは吉本ばななが30歳のときの作品だが、主人公の朔美は21歳という設定になっているので、本当にこんな若さでこんな人生哲学を語るなんて、とずっと読みながら、その身体と精神のアンバランスを感じていた。普通ならこれほどのアンバランスは頭でっかちというかたちで破綻するのだが、そう見せないところがこの作家のすごいところのなのだろう。

このアンバランスは、たいていの彼女の小説では主人公だけなのだが、今回は6歳という設定の弟の由男がそうだ。まだ6歳なのに言っていることはまるで、20数歳の大人だ。朔美とまったく対等と言っていい。

そのアンバランスを破綻をさせないように救っているのが、その文章というか文体というか、すかすかの文字列だと言えないだろうか。人生を語るといえば、昔のイメージなら、難しい漢字がいっぱい並んでいて、本を開くと文字が紙の上にびっしりという感じだが、吉本ばななの場合は、すかすかで読むのが速い速い。しかし書かれていることは、じつに深遠なのだから、若い女性にうけるわけだ。

この小説の出来事は、これも小説の最後のあたりで、朔美が竜一郎の部屋で彼の帰りを待ちながら書いたメモの通りである。
妹の死(半年前)
頭を打って手術
記憶が混乱
弟がオカルト小僧になる
竜一郎といい仲に
高知へ
サイパンへ
バイト先閉店
新しいバイト
記憶戻る
弟、児童院へ
純子さん逃亡
きしめん、メスマ氏と友達に

私がこの小説から読み取ったのは、人生を逃げてはいけないよ、嬉しいこと悲しいこと辛いこと、すべてを「水をごくごく飲むように」受け入れて、喜び悲しみ泣く、これが人生の真の幸福感というものだよということ。

30歳にしてこんな小説をこんな文体で書けるというのもすごいことだと思うし、コズミ君やさせ子なんかを造形する想像力もすごいと感心してしまう。

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