読書な日々

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『赤朽葉家の伝説』

2009年01月21日 | 作家サ行
桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』(東京創元社、2006年)

昨年、直木賞を受賞した桜庭一樹の長編小説で、舞台が彼女の出身である鳥取県西部に置かれ、その山の民とかたたらといった神話を題材にした、しかし時代は現代に置かれている、不思議な小説。

とりあえず、彼女と同じ鳥取県西部の出身なので、鳥取県西部と明記されている以外の適当に当て字で作られた地名などをあれこれ推測しながら読むという楽しみがあった。

たとえば、紅緑村というのはどう考えても米子のことのようだが、確信はない。その他、碑野川というのは鳥取県西部を流れている日野川のことだろうし、錦港というのはたぶん、境港のことでなかったら、米子市内にある錦公園を使ったものだろう。そしてこの小説の重要な神話的舞台となっている溶鉱炉をもつ赤朽葉製鉄とはたぶん米子の隣町である安来にある日立製鉄のことだろうか。

ただ地理的な距離感はまったく現実を無視して書かれているようなので、赤朽葉家のお屋敷がある山の中腹とそこにいたる「だんだん」になった職員住宅の街というのはいったいどこなのか分らない。そのようなものはないだろうし、ここで「だんだん」が繰り返し使われるのは、今NHKの朝の連続ドラマのタイトルにもなっているこの地方の方言である「ありがとう」の意味の言葉「だんだん」を強調したいためではないかと思う。そして毛毬の時代に廃れていき、瞳子の時代にはまたところどころ復活してきたアーケード街も私が高校生の頃によく自転車で通ったところだし、穂積蝶子が通ったという県内有数の進学校はたぶん米子東高校だろう。桜庭もここの卒業生だ。

なんといってもこの小説は主人公の万葉でもっているようなものだろう。山出しの娘で、ある日一人置いていかれてしまい、近所の多田夫妻に育てられ、これまた不思議なタツに認められて赤朽葉本家に嫁入りする。

山出しなんてものが本当にいたのかどうか、私も知らないが、たしかに私が小さかった1950年代後半はまだ山陰の山奥のようなところなら、山出しなんて呼ばれて不思議でない人々が住んでいた。たとえば私の村にも裏山に上がる道をしばらく上がると二つの道が交差するところに炭焼き小屋のようなものがあってそこに人が住んでいたらしい。私は夏になると蝉や甲虫を取りに上がったり冬になると橇すべりしに上がったが、だれか住んでいるのを見たようなぼんやりした記憶がある。しかし家の両親や祖父母との会話のなかにそこの人が出てくるようなことはなかった。きっと戦時中か終戦後の物不足の時代に疎開してきた人が世捨て人のようになって暮らしていたに違いない。そういう人がいても不思議でないような時代だったのだ。

そして毛毬が大暴れした80年代。私は80年代の風俗が嫌いなので、とくに感慨もないが、この小説にはそのあたりのことが概念的にもまた毛毬の活躍という具象的にも描かれている。きっと作者の桜庭一樹には思いいれのある時代だったのかもしれない。中学生の跳ねた連中が表に表に出て大暴れした時代。

それに比べるとこの小説でもきちんと描かれているように、その後の時代は悪が内向し、表向きと内向きがまったく想像も付かないほど乖離する時代で、表社会はのっぺらぼうになったように見かけはきれいだが、心の中はばば色って感じだろう。

そういう時代の移り変わりを赤朽葉タツ、万葉、毛毬、瞳子という女系でもって描き出した桜庭一樹の筆力はなかなかのものだと思う。それにしても不思議な小説だ。

そしてこの作品のもう一人重要な人物がたたらの伝統をひいた赤朽葉製鉄の溶鉱炉を命よりも大事に思い、時代の波にもまれて溶鉱炉の火が消されたあと、そのなかで自殺した片目の穂積豊寿だ。彼は万葉をひそかに愛し見守ってきた人でもある。無骨だが心優しい男で、典型的な職人魂をもった古いタイプの人間ということになるのだろう。私の親戚にも安来の日立製鉄で定年を迎えた叔父がいて、しゃべるのは下手で働くことしか能がないけど、製鉄の仕事に誇りをもっていたという人がいる。昨年秋に大山に行ったときに久しぶりに会ったのだが、そのとき少し製鉄の話も聞かせてもらった。ただ鉄を溶かして形にするとかというような簡単なことではない。まぁあたりまえか。この叔父さんもたたらの町の出身で、きっとこの小説のように彼が日立製鉄に就職した頃は花形の仕事だったのだろう。

たたらについてはこちらを参照のこと。横田町のたたらについてのサイト

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