読書な日々

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「移民社会フランスの危機」

2007年12月30日 | 人文科学系
宮島喬『移民社会フランスの危機』(岩波書店、2006年)

これまでフランスにおける移民問題に関する本を何冊か読んできたが、一番分かりやすく問題点がまとめられていると感じた。というか、この問題について、論じているこの著者自身がきちんろ理解しているということなのだろうと思う。この著作が提案している移民問題の見方は、あまりにも大雑把であることを断って言えば、二つあるようだ。

一つは労働問題として現れてくる移民問題ということ、もう一つはフランス共和国が掲げる理念の一つである平等が移民問題の解決を難しくしているということである。

労働問題としての移民問題というのは、移民二世・三世とくにヴィジュアル・マイノリティーであるマグレブやブラックアフリカ系の彼らの場合、生まれも生活もフランスで母語もフランス語であり、自らも完全に自分をフランス人と思っているにもかかわらず、就職という避けて通れない社会との関わりの第一歩でいわれのない差別を受けてしまうという実態があるのに、それにたいして有効な措置が取られていないということである。

彼らの場合はその名前を見ればすぐにネイティブ・フランセと違うということが分かるので、よく言われるのは、名前を変えて応募したら一発で採用されたという、嘘のような本当の話もあるくらいだ。

私もよく見るTF1の20時のニュースのアンカーマンにハリー・ロゼルマックという黒人がいるが、彼が初めてテレビに登場したときには驚きの声が上がったということも、エピソードとして記されているが、「ホホー、そうだったのか」と思いながら読んだ。

この問題は次の問題で持ち出される割り当て(たとえば会社にこうしたマイノリティーが何割いなければならないとか、女性が何割いなければならないという措置)でかたづく問題ではないように思われる。

この問題は移民ということとかかわっているので、なにか移民の問題に固有の問題のように見えるかもしれないが、どんな社会にも存在する偏見にかかわっている。人間をその資質と人柄で見ようとしないでその出自とか学歴とかで判断する態度は、日本でも存在するのではないだろうか。たしかに人を採用するという、会社にとって重要なことを書類だけで、あるいは一回の面接だけで行うというのは、困難が伴うことは分かる。その結果、だれそれの紹介なら大丈夫だとか、どこそこの大学の出身者でなければ採用できないという対応の仕方が生まれてくるのだろう。

もう一つの問題は平等が移民問題の解決を難しくしているという点である。もともとフランスは法の前にはすべての市民が個人として平等であるという理念をもっている。それはどんな市民もその出自、階層、学歴その他によって決して差別されないということなのだが、それが200年を経て、今日の移民問題の前では逆に不平等を助長するというか、不平等を見逃してしまう機能を持つようになってしまったという指摘である。

平等ということは一見するといいようだが、現実には平等ではない。スタート時点から足かせをはめられた人もいるのに、足かせをはめられた人とそうでない人との競争が平等なわけがない。この本によるとこうした発想からアメリカやイギリスなどのアングロ・サクソン系の国々では早くからマイノリティにたいする優遇装置が取られてきたが、フランスではそれは特定の集団を利することになるということから、一部の地域への優遇措置は取られても、決して集団へのそうした措置はなかったのだそうだ。現実には、親がフランス語を話さないとか教育的でないためにディプロムを取得できないなど落第率が高いとかの問題が起きている。

現在のフランスはちょっとしたことがあるとすぐに暴動が起きたりするような国になってしまってまったく残念だ。理念はいいことを掲げているのに、どうしてそれがうまく機能していないのだろうといつも思う。だが議論好きのフランス人のことだから、きっとこうした問題も解決していくと期待している。


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