読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「GO」

2007年09月12日 | 作家カ行
金城一紀『GO』(講談社、2000年)

この作品は窪塚洋介と柴崎コウ主演の映画のほうを先に見ている。小説と映画とあれば、たいていどちらかがよくて、他方はもう一つだなという感想をもつものだが、これに関してはどちらもよく出来ているというか、小説のほうが先なんだから、映画がよく出来ているというべきか。なんといっても窪塚と父親役の山崎努のうまさだろう。

小説では、回想という形でいろんなエピソードが時間順でなく提示されても、あまり違和感がないが、それをもとに映画を思い出してみると、時間軸に忠実に並べてあったために、エピソードの羅列といわれても仕方がないようなところもあったかなと思う。映画ではこうしたエピソードが小説に忠実に再現されていたので、小説を読みながら、あの映画はけっこう原作に忠実に作ってあったんだ、面白おかしくするためにわざとあんな突拍子もないようなエピソードを作ってたわけではないんだな、と感心しきり。

さて、小説の面白さはその語り口にある。「在日」という、日本社会からも韓国本国からも差別的扱いを受けてきた人たちの計り知れない苦痛を全身で受け止めざるをえない状況の中で、「僕」は元ボクサーの父に仕込まれたボクシングの腕前を武器に喧嘩ばかりしている日々を送ることで、自分の存在価値をなんとか維持していたわけで、けっしてその最中は、もちろん桜川との恋愛も含めて、この小説の語り手のように、なんだか突き抜けた状態にあったわけではもちろんないだろう。バスケットの試合のときのように、また在日であることを桜川に告げて初セックスがうまく行かなかった後久しぶりにデートをしたときの「僕」の激昂ぶりのように、自分自身をどう押さえつけていいか分からないほど、自分が分からないような状態になっていた。

そして親友の正一の死。そういったものを乗り越えて、大学生を卒業してこの「僕の恋愛に関する物語」を書くまでになったときの「僕」はそういったわけの分からない怒りを自分なりに分析できる段階に達しているわけで、だからこそこうした語り口が生まれたといっていいだろう。

それにしても一見軽そうな「僕」の語りは「在日」がとくに「在日朝鮮人」が置かれている矛盾に満ちた状況を的確に読者に伝えてくれる。しかも語り口の面白さが読書を楽しくしてくれるので、まったく稀有な語りだと思う。出身地に関係なく「朝鮮籍」「韓国籍」を持つようになった経緯、民団と総連の役割、国籍を変更することの意味、朝鮮学校と日本の学校の違い、などなど。そして元学生運動家というような種族がいったいどんな考え方をしているのかまで的確に見せ付けてくれるところなんか、なかなか憎い。

最後に本読みにうれしい場面は、「僕」が正一や桜井といろんな本や音楽を紹介しあって感想を述べ合い、視野を広げていく、人生の糧としていくところ。青春時代はこうやって思索の土台を作っていくべきなんだ、ってことを若い読者にもすんなり分かる形で、この小説が教えてくれるところは、この小説がただの馬鹿の記録じゃないぞということを示していると思う。なかなかいい本だ。

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